アオキ 427 津波でも、逃げずに、町を作る勇気って?

そのへんに、一杯ある青木(あおき)です。
紫のお花って、けっこう、奇麗ですけれど、
だれも、見向きません。
 
わたしも、ゴルフは、たまについて行くだけです。
主人は、見向きもしません。
アメリカ人は、青木と言わずに、エイオキと言いますけれど、
アオキの学名は、Aucuba japonica なので、
スウェーデン人も、東北の人みたいに、訛(なま)っていました。
 
出島の三学者の、ツンベルクが、日本語のアオキバ(青木葉)から、
Aucuba っていうラテン語の名前を作りました。
三学者って、ツンベルクと、ケンペルと、シーボルトですけれど、
みんな、お医者さんなので、
お花や動物などの生物学と、お薬や鉱物などの錬金術が好きなの。
 
きっと、土木や造船も、記号論理や建築も、好きですよ。
法律や文学や音楽や株式情報を聞きながら、洋裁の型紙を広げて、
溶鉱炉でお料理を作ったり、
会社の帳簿や人間の体を、いじくったりしていると、
横着していると言われて、怒られました。
心はファウストみたいに、魔物とお話していたり…
 
子供の頃は、何もかもを、やってみたいのが、あたりまえだから、
 
 
三陸の、港町の人って、
過去に、高い津波を、何度も経験して、
そのたびに、町が壊れて、家が流されて、
たくさんの人が、亡くなっているのに、
どうして、海のそばに、家を建てるのかしら。
 
どうして、逃げずに、死んでしまったのかしら。
 
どうして、過去に経験している津波よりも、
低い防潮堤しか、作らなかったのかしら。
 
家を建てては、いけないことにすると、土地の値段が暴落します。
そうかと言って、津波が来るのに決まっているのに、
わざわざ、そこに家を建てて、
今さっき、大きな地震があったのに、
一向に避難しないって、何かが変でないかしら。
 
宮古市田老(みやこしたろう)の人は、10メートルの防潮堤を、
津波が軽々と超えたので、がっかりしたそうです。
明治の三陸地震のときは、田老って、15メートルでしたのに。
 
どうして、15メートルなのに、
10メートルの防潮堤で、安心するのかしら。
住民は、催眠術にかかっていたみたいに、ものすごく変です。
 
防災関係者は、逃げるための時間稼ぎの防潮堤と、言っていたそうです。
地震から津波まで、20分間です。
津波が届いてから、防潮堤を乗り越えるまで、1分間ぐらいです。
時間稼(かせ)ぎって、責任逃れの、言い訳(わけ)かもね。
 
宮古市田老の10メートルの防潮堤も、
釜石市両石(かまいししりょういし)の9.6メートルの防潮堤も、
津波に破壊されました。
高さが足りなかっただけでなく、強度も足りませんでした。
 
防潮堤って、波の高さのほかに、波長が、強度に関係あります。
その高さの波が、何秒間、続くかとか、
その高さの波が、どれぐらいの沖合まで続いているかとかが、大切です。
津波では、何百Kmも沖合まで、10分間も20分間も、続きます。
 
普通の波ですと、10メートルの高さって、数秒間しか続きません。
波の波長も、20メートルぐらいでしょう?
津波の波長は、何百Kmです。
 
15メートルの津波を経験しているのに、
10メートルの防潮堤で安心できるって、
もしかしたら、だれかに騙(だま)されているかも。
そのせいで、高(たか)を括(くく)って、逃げなかったとしたら…
 
学者さんは、知らないはずが、ありませんから、
10メートルの防潮堤でも、15メートルの津波に耐えられるって、
専門家やお役人や土木会社の人たちが、寄ってたかって、
素朴な住民を、チョロマカシタのかも。
そうでなければ、世界の七不思議です。
  
だって、過去の津波のデータがあるのに、
どうして、無視するのかしら。
命が危ないのに、家を新築しています。
死ぬのに、逃げていません。
絶対に、変です。
 
精神障害者や、逃げられない身体障害者や、お年寄りが、
そんなに多かったのかしら。
津波が起こった時の、テレビのニュース番組を見ていると、
10人や20人の、逃げられない人が、
置いてけぼりにされているかのように、
解説者やアナウンサーが、心配していました。
 
実際には、一つの港町で、千人を超える人が、流されて死にました。
地震から、津波まで、相当な時間がありましたから、
逃げられないのでなく、逃げないぞって、
腹を括(くく)って、決め込んでいます。
過去に、これこれの津波が来て、これだけの家が流されて、
これだけの人が死んでいるって、データがあるのに、逃げません。
何かが変です。
 
どうして、マスコミは取材しないのかしら。
あと回しでも、結構ですけれど。
明治の三陸地震って、震度2~3でした。
それでも、今回と同じぐらいの、大きな津波でした。
 
今度のは、すごい大きな地震でしたのに、逃げません。
どうしてかしら。
合理的には、考えられません。
 
わたしは、GID(性同一性障害)の場合を、考えています。
専門家は、どうして、教えてあげなかったのかしら。
住民の命よりも、むしろ、自分にとっての、
大切なものを、選んだのかもね。
GIDの専門家にも、情けない人が、少なくありません。
 
性転換をしても、そこにあるのは、望みの性別でなく、
生まれつきの体の性別の通りなのに、
服装や、事務上の取り計らいなどによって、
望みの性別に成り済ましているだけの、逃亡者のような暮らしです。
朝から晩まで、毎日毎日、自分と他人を、
騙(だま)し続けて、生きて行かねばなりません。
 
GIDという精神の病気の人と、その取り巻きの人たちなどの、
仲間内の社会に、たむろしている時だけが、
みんなと一緒に、心のリラックスできる時かもしれません。
 
根も葉もない、偽(いつわ)りの暮らしと訣別(けつべつ)して、
健常な人に、心を打ち明けられる人生を、手に入れるには、
GID(性同一性障害)という精神の病気に、
マスコミや学者さんたちの描いた架空の夢を、
託(たく)さないほうが、良いかも知れません。
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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