猫柳(ねこやなぎ)って、女性の象徴ですけれど、どうしてかしら。
脳の、未発見の微細な器質的原因のせいで、
能力の不足をきたしても、
御本人に責任がないとは、誰も思ってくれません。
医師も学者も、周囲の人も、御本人も、
そんな具体的な原因を、誰も知りませんから、証明できません。
理由や原因もなく、何かの能力の不足があるだけですから、
怠けている、嘘をついている、ダメ人間などと言われて、
具体的な能力の不足を、責められるだけです。
1970年代に、発達障害という言葉が、報道されました。
子供の能力不足を、責めないで欲しいと、
親御さんや研究者が、学校に注文を付けました。
発達障害という精神疾患なので、本人のせいでないと。
世間の人は、笑いました。
知能が正常で、体も健康なのに、
学校の先生や、みんなの言うことを聞かずに、
自分一人だけ、勝手なことをするのは、
躾(しつけ)が、できていないからでないか。
学校は、それを教えるところでないか。
それなのに、発達障害だから、本人を責めてはいけない、とするのは、
教育の放棄でないかと。
脳の、器質的な原因や仕組みも、無く、
みんなと一緒のことをしない、っていう精神症状が、
あるだけでないか、とね。
知的障害や、精神病でなければ、教育の失敗であると、
世間の人は思いました。
ようするに、犯罪者の卵。
それを、叱ってはいけいとは、何事かと、
世間の人は、呆(あき)れました。
発達障害という精神症状で括(くく)っていますが、
それに対応する器質的な原因や仕組みを、
一つに纏(まと)められるとは、限りません。
極端には、一人一人が別々の、
微細な器質的な異常を、原因としているかも知れません。
統合失調症や、うつ病などでも、似たような状況ですけれど、
ある程度の遺伝が、疫学的に確認されていますので、
一人一人が、まったく別ではないはずですが、
未発見の、器質的な原因や仕組みが、
精神症状に対応しているとは、必ずしも言えません。
ヒステリーが、器質的原因と、精神症状との、
中間に挟まっているからです。
器質的原因による、何らかの低い能力を、
御本人は、社会から責められます。
器質的原因によるので、自分の責任ではないことを、
御本人は、証明できません。
だれも、耳を揃えて、証拠を提出できません。
それどころか、御本人でさえも、器質的原因など、
思いも寄らないのが、普通です。
理由もなく、能力が足りないのに、
みんなから、責められます。
自分の責任でないと主張しても、
それこそ、理由もありませんから、
キチガイ扱いにされてしまいます。
御本人にしてみれば、能力の不足を認めたのでは、
身も蓋(ふた)もありません。
怠け者の、嘘つきであると、他人に尻尾を掴(つか)まれて、
非難されて、弱みを握られるだけでなく、
自分自身でも、理由がわからずに、
首を傾(かし)げるばかりの、
悲痛な人生になってしまいます。
能力の不足を、絶対に認めないに、如(し)くはありません。
自分自身でさえ、自覚してはいけません。
ヒステリーって、そのための、誤魔化しの、心の操作です。
MRIやCTなどの、画像に表れない微細な器質的異常は、
生存中に、証拠を掴(つか)むことが、困難です。
死後に解剖されたとしても、
微細な異常が発見される幸運は、めったにありません。
ましてや、一人一人が異なる器質的原因を持つとなれば、
その微細な異常が、精神症状の原因であったとは、誰も証明できません。
脳の、血管障害や脳腫瘍や交通事故や変性疾患などのように、
画像に表れる巨大な異常では、能力の不足の原因を、
はっきりと、物的証拠によって、提示することができますので、
能力の不足を、敢(あ)えて隠す必要は、まったくありません。
器質的な原因を素直(すなお)に示して、
能力の不足が、御本人の責任でないことを主張すれば、
かならず、特別な配慮を受けられる道が開けます。
そのほうが、得に決まっていますので、
脳の器質的な異常のある箇所と、精神症状の内容とは、よく対応します。
でも、微細な器質的な異常では、
死んでも、証拠を示すことができませんので、
精神症状の内容は、
微細な器質的異常のある箇所と、一致しない、と見るのが普通です。
ヒステリーです。
GID(性同一性障害)は、性別が違うと訴えますので、
性別に関する脳の部分に、微細な器質的異常のある可能性は、
きわめて低いと、わたしは想像します。
ヒステリーの結果の精神症状を、GIDとして括(くく)っていますから、
器質的な原因は、
性別に関する精神症状に、対応していません。
GIDの性別は、たぶん安全圏です。
性別の適応力は、優秀であり、
自家薬籠中(じかやくろうちゅう)のものに、
わざと症状を出していますが、
生殖の拒否は、必ずしも、わざとでないかも知れません。
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