季節はずれの写真で、すみません。
岩手県宮古(みやこ)市の、田老(たろう)鉱山です。
おもに、硫化鉱(りゅうかこう)を採掘していましたが、
ニクソンショックの頃に、廃鉱になりました。
硫化鉱から、鉛や亜鉛や銅や硫化鉄(りゅうかてつ)などを、
生産していたの。
明星大学が、精錬所跡を買い取り、
田老宇宙線観測所というのを作りましたけれど、
今でも、精錬所の廃墟(はいきょ)を、見ることが出来ます。
ブレトン・ウッズ体制の崩壊(ほうかい)と、
日本の高度経済成長時代の終わりが、
鉱山の採算ラインを呑み込みました。
今年の1月30日の、このブログのコメント欄に投稿して、
シャンソンの在処(ありか)を教えてくれた【宮古の海】さんは、
岩手県宮古市の人でした。
田老町(たろうちょう)って、宮古市と合併した漁港の町ですけれど、
高さ10m、総延長2.4Kmの、
万里の長城と言われた防潮堤がありました。
観光名所になっていたの。
今回の津波は、簡単に防潮堤を越えて、町全体を押し流しました。
北海道の奥尻島でも、そうですけれど、
どうして、津波のあとに、巨大な防潮堤を作るのかしら。
15階建てのマンションを建てて、
3階ぐらいまでを、商店と駐車場にすれば、いいのに…
素人(しろうと)の、オバマ大統領でさえも、
鉄筋のビルは、よく持ち耐(こた)えていると、言っていました。
ビデオを見れば、誰でも、そう感じます。
どうして、巨大なダムのような防潮堤を、
作らなければ、いけないのかしら。
鮭(さけ)が、川を遡(さかのぼ)って、
故郷(ふるさと)に産卵するように、
津波って、谷を遡上(そじょう)するでしょう?
リアス式の沈降海岸は、細長い谷川が沈んで、海の水に溺れた地形なの。
川の岸辺に、土砂が溜まり、海岸近くまで、谷を埋めますので、
土砂の上に、町を作って、
海底に沈んでいる谷を、天然の良港として使います。
海が川を遡(さかのぼ)るのは、男女の営みのように、あたりまえかも。
沖の高波から、港を守るには、どうしても、防波堤が必要ですけれど、
津波を防ぐには、巨大な防潮堤って、不合理です。
マンションにすれば、安上がりなのにと、
黒人でなくても、津波のビデオを見れば、すぐにわかります。
なぜ、三陸の町は、何度も津波の被害に遭(あ)っているのに、
マンションにしなかったのかしら。
津波は、海そのものが持ち上がりますから、風による高波と違います。
防潮堤によって、津波を防ぐのは、
高くなればなるほど、経済的に困難になるのは、あたりまえですけれど、
ある一線を越えれば、マンションの高層階に住まいしたほうが、
安上がりになりそうな気がします。
どうして、学者さんは、アドバイスをしてあげなかったのかしら。
ダムのような堤防を作れば、
国の補助金が下りて、土木会社は儲かると思いますけれど、
なんとなく、高度経済成長期の、日本の農家が、
先を争って、機械や施設を、購入したようなものかしら。
借金をしてでも、今、投資しなければ損をすると、勧誘されました。
老人が増えれば、福祉施設に、また補助金。
三陸沿岸の町って、
明治29年と昭和8年に、津波の被害を受けたそうです。
昭和8年の、昭和三陸地震では、
現在の大船渡市は、29mの津波だったそうです。
当時の田老村は、ほぼすべての家屋を、流失しましたので、
高さ10メートルの、大防潮堤を作りました。
谷にダムを作るようなものですが、
29mなのに、10mって、計算が合いません。
どうして、防潮堤なのか、変でしょう?
昭和35(1960)年5月の、チリ地震の揺れは、
日本人に、まったく感じられませんでした。
それでも、三陸の町は、
2~6メートルの、大津波に襲われました。
田老町は、高さ10メートルの防潮堤のお陰(かげ)で、
被害が、ほとんど、ありませんでした。
翌年の、昭和36(1961)年の、また5月に、
台風の風が、フェーン現象になり、山が丸焼けになりました。
三陸フェーン大火って言いますけれど、
田老鉱山の施設も社宅も、みんな、丸焼けになりました。
それでも、ラサ工業は、儲(もう)かると見て、
鉱山の町を復興しましたけれど、
わずか10年後の、1971年に、閉山しました。
アメリカが、ドルと金(きん)の交換を、停止したからです。
ニクソンショックや、ドルショックなどと、言われています。
スミソニアン協定により、1ドル308円の時代になり、
1973年に、欧米先進国や日本などが、
変動相場制に移行すると、第四次中東戦争が起こり、
アラブの産油国が、石油の輸出を停止しましたので、
日本は、オイルショックになりました。
津波の第一波でした。
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