阿修羅 388 宗教

ウィキペディア wikipedia の、阿修羅の項目から、
パクってきました。
すみません。
 
著作権の版権が、切れているそうです。
1933年の東洋美術特輯日本美術史の中の、
小川晴暘という人が撮影した写真。
 
 
宗教に、なんとか学会ってのがあります。
まぎらわしい名前でしたけれど、
いまは、慣れてしまい、学会と聞けば、宗教を連想します。
 
学問をする心構えや、学者さんの信条や、人間性って、
宗教みたいに、精神障害に近い思い込みや、
独り善(よ)がりの、自惚(うぬぼれ)れなどの、
一種の戯画のようなものですから、
なんとか学会という宗教法人の命名は、
けだし、傑作と評価しております。
 
GID(性同一性障害)にも、学会というのがあるそうですが、
どうして、宗教法人の免許を取らずに、お医者さんの免許を取るのか、
けっこう、不思議なものです。
 
宗教にも、新興宗教屋さんというのがあって、
御本人たちは、真理を目指しているそうですが、
はた目には、夜店のテキ屋さんが、
縄張り争いをしているようにも、見えます。
 
良い場所を取れば、黙っていても、儲(もう)かるのかも知れません。
在宅の痴呆老人を、いい鴨(かも)にしているうちに、
訪問販売だけでは、我慢できなくなり、
振り込め詐欺に、手を染めてしまったなどと、よく聞きます。
 
絶食療法や、星状神経節ブロックなんか、効きそうにありませんけれど、
とうとう、性転換医療に、手を出してしまった、などという医師は、
いないと思います。
 
精神の病気が、性転換で治るわけがありませんけれど、
御本人は、治したいなどと思っていませんから、
なんで、GID(性同一性障害)という診断名がついているのか、
なかなか、わかりません。
 
精神の病気であるにもかかわらず、
御本人が病気と思っていないのでしたら、受診するわけがありません。
でも、統合失調症のように、
病識がなくても、周囲に危害を加えますと、強制的に治療されます。
 
病識のないことの多い精神疾患は、統合失調症のほかにも、
人格障害や、発達障害や、解離性障害などがありますけれど、
人に危害を加えることがなければ、
受診は、御本人の自由ですから、
強制的に治療されることは、ありません。
 
御本人は、病識がなく、自分のことを病気と思っていませんから、
受診するはずがありません。
人格障害では、受診しても、どうせ、治療法がありませんし、
人に危害を加えて、逮捕された時に、人格障害と鑑定されても、
どうせ、責任能力は完全であるとされて、
少しも、刑罰を負けてもらえませんから、
受診しても、何の得にもなりません。
 
おまけに、死刑判決では、
矯正の可能性がない、更正の余地がない、治療法がない、などと、
いちゃもんをつけられて、
かえって、死刑の理由の一つとされてしまいますから、
踏んだり蹴ったりです。
 
発達障害も、治らないと言い、
その理由は、発達障害だから、と教えてくれるお医者さんもいます。
治らないから、病気でない、と言うお医者さんもいますけれど、
ちゃんとした精神疾患のジャンルです。
 
解離性障害って、端的に言うと、ヒステリーのことですけれど、
健康な人の、要領のよい、狡賢い判断の形跡を、
見てとることができます。
御本人は、天地神明に誓って、嘘偽(うそいつわ)りはない、
と言いますから、精神の病気とされます。
 
ほとんどは、受診しませんけれど、
受診するときは、嘘偽りを正当化するために、
お医者さんの診断や治療を、利用しようとしているのかもね。
至極健常です。
だれでも、お医者さんを受診するのは、
お医者さん利用するために、決まっていますから。
 
GID(性同一性障害)って、そのへんの精神の病気なの。
病識のない種類の病気に、共通の特徴を、GIDは持ち合わせています。
 
自分のことを、病気と思っていないのなら、
強制的に治療させられる羽目(はめ)でなければ、
受診するわけがありません。
 
でも、GIDの人は、自分から受診します。
治して欲しいのでなく、診断書が欲しい、ホルモンをしたい、
手術を受けたいってことですけれど。
 
なかには、自分が何者かを知りたい、と言う人もいます。
そんなことのために、病院へ行く馬鹿は、いないのに。
GIDの人って、知能や学力は、正常なんです。
もちろん、勉強嫌いの人は、落第しますけれど、
たとえ劣等生でも、学力は正常です。
馬鹿でないのに、自分が何者かを知りたいなどと、
抜け抜けと言ってくれます。
 
これって、流行に乗って、高(たか)を括(くく)っているように、
見えますけれど、
やっぱり、精神の病気かもね。
 
お灸(きゅう)を据(す)えるって、言うでしょう?
やいとですけれど、
昔の人は、精神的でないかと、訝(いぶか)られる苦痛を訴えた時には、
やいとを薦められました。
治ると言われて、御本人から、やいとを所望することも、
珍しくありませんでした。
 
仏教でも、イスラム教でも、宗教には難行苦行というのがあり、
わざと、自分の体を傷つけて、神聖な苦しみに耐えます。
仏教やゾロアスター教などの、五体投地や、
イスラム教シーア派のアシュラなどは、
宗教的な、聖なる自傷ですけれど、
わたしは、灸(やいと)を思い出します。
 
     アシュラって、イスラム教のヒジュラ暦の、
     最初の月の、10日のことです。
     太陰暦ですから、
     10日目のお月様の形って、いつも、半月と満月の中間の、
     あの形ね。
 
     ユダヤ教の断食(だんじき)の儀式を、
     アシュラって言うそうです。
     イスラム教は、それを取れ入れたので、
     アラビア語では、その日のことを、アシュラと言います。
 
     断食って、贖罪(しょくざい)のためです。
     絶食療法みたいなものかしら。
 
     ゾロアスター教のアフラ・マズダっていう神様や、
     ミトラ教のミトラっていう神様などは、
     光や太陽の神様でしたけれど、
     たくさんの具体的な自然現象を現す神様よりも、
     人間の知恵や力を現す神様のほうが、
     立派であるとする考えから、
     光や太陽に、人間の作る火や約束の意味を、
     見つけ出しました。
 
     他の自然現象よりも、比較的に大切なのでなく、
     絶対に比較できないほど、格段に大切であるということを、
     唯一の神様のように、表現しました。
     人間は、自然や神々よりも、尊(とうと)いって言うの。
     
     光や太陽が、人間の作る火や炎や、
     暦(こよみ)の持つ約束や基準などの、
     形而上学的な意味になりました。
     
     ミトラ教って、古代ギリシャの、
     アレクサンダーっていう若い王様が、
     ペルシャやインドを侵略した時に、
     そのあたりで、流行していました。
     ギリシャ人が、ミトラ教をヨーロッパに持ち帰りましたので、
     その後、古代ローマで、大流行しました。
     ローマ人って、ギリシャ文化を、尊敬していたの。
 
     キリスト教と、ミトラ教が、
     ローカルな民俗宗教を除けば、古代ローマの二大宗教でした。
 
     ミトラって、ミスラと同じで、太陽の神様ですけれど、
     冬至のあとに、復活します。
     毎年、太陽は、冬至に死んで、
     その数日後に、新しく復活するの。
     なんか、年末休暇と、新年のお祝いみたいですけれど、
     復活の日が、イエス・キリストの誕生日になりました。
 
     クリスマスや、復活の思想って、
     ミトラ教のパクリですけれど、
     昔ながらの年中行事に、
     形而上学的な屁理屈を、こじ付けました。
 
     アフラ・マズダって、ゾロアスター教の最高の神様ですけれど、
     アシュラからミトラと来た宗教の流行を、
     ゾロアスターって人が、
     もっと大胆に、意図的に押し進めた宗教改革の結果かしら。
     古代ペルシャで、信仰されていましたので、
     ペルシャが、新バビロニアを征服した時に、
     ゾロアスターの思想が、ユダヤ人に伝えられました。
 
     いわゆるバビロン捕囚として、
     ネブカドネザル二世に囚われていたユダヤ人たちを、
     ペルシャのキロス二世が解放したの。
 
     アシュラのシュラって、天の神様という意味ですけれど、
     アには、否定の a の意味がありますから、
     古代インドでは、神様でない、とされて、
     徐々に、没落しました。
 
     中国語でも、阿や亜には、
     否定的な意味や、賎称としての意味がありますので、
     a を割愛して、修羅と翻訳しましたけれど、
     インドの仏教のほうが、
     人間の境遇と、動物の境遇の、中間のことを、
     アシュラと言い出しましたので、
     やはり、非天と翻訳されるほど、卑(いや)しめられました。
 
     インドでは、多神教の神々の境遇と言う意味の、
     天であることが、
     あくまで、信仰の対象として、必須の条件だったみたい。
     中央アジアから、ヨーロッパでは、
     多神教よりも、多民族の殺し合いのほうが、
     魅力的に見えたのかも。
 
     星のように数(かず)ある神話よりも、
     唯一の覇権のほうが、いいってこと。
     インドの彫刻って、お腹(なか)の割れ目が一杯なのに、
     ヨーロッパの彫刻って、牛の角(つの)ばっかり。
     
     アシュラや、ミトラは、
     仏教のマイトレーヤ、つまり弥勒菩薩に、
     その意味の、残骸が伝えられていますけれど、
     日本でも、いまひとつ、パッとしませんでした。
 
イスラム教のアシュラって、
シーア派では、ヒジュラ暦のアシュラの日に、
イマーム・フセインが、カルバラの戦いで、
ウマイヤ朝の軍隊に、殺されましたので、
今でも、彼の死を悼(いた)んで、
自分の体を鞭打ち、血だらけにする殉教の日になっています。
 
自分で自分の体を、自傷するの。
贖罪と殉教のために。
神聖なの。
 
ヒジュラって、マホメットが、メッカを追われて、
アスクムやメジナへ、亡命したことを言います。
アスクムって、紀元前5世紀~紀元後10世紀ぐらいまでの、
紅海の西側の、ソマリアやエチオピアやスーダンあたりの、
キリスト教の国でした。
 
たぶん、紅海沿岸に、古代インドの植民都市が、
たくさんありましたので、
その上がりを、内陸部の、サバ人やアムハラ人のような、
セム系の民族が、頂戴していたってことかしら。
サバ人って、イエメンのほうと同じ民族で、シバとも言います。
 
港町って、船乗りさんや、荷役(にやく)の人みたいに、
特殊な知識がなければ、運営できませんから、
職業による専門の自治組織ができます。
カーストみたいなものかしら。
 
内陸に根拠を持つ権力と、港の自治組織の間で、
持ちつ持たれつの取引関係が成り立つって、
戦国時代の堺も、似たようなものです。
太平洋戦争後の、関西のやくざが、沖仲仕(おきなかし)を束ねたりね。
自由都市の堺や、やくざの自由って、
インド人の感じるカースト制度の自由みたいでしょう?
  
インドとアラブの、中間みたいな、
インド洋沿岸の、アラブの港町の雰囲気って、
紀元前の昔から、変わらないのかも。
 
現在でも、ソマリアの沿岸って、海賊の根拠地になっていて、
日本の自衛隊も、海賊退治に出掛けたことが、なかったのかしら。
オサマ・ビン・ラディンって人も、
スーダンに、アルカイダっていうイスラム原理主義の、
軍事基地を作りました。
イエメンの豪族の家柄ですけれど、御本人はサウジの生まれなの。
サウジを追われると、スーダンね。
 
スーダンの石油って、
アメリカのメジャー資本と、中国の石油当局が、握っているみたい。
南はアメリカで、北は中国の縄張り。
でも、紅海沿岸は、伝統的にインドなの。
 
旧約聖書のシバの女王と、ユダヤのソロモン王との間に生まれた子供が、
アスクムの国を作ったそうです。
ほんとかしら。
 
わたしは、インドのヒジュラって聞くと、
シバの女王は、イエメンの人なのか、アスクムの人なのか、
ソロモン王に貢いだ香料って、ジャスミンでしょうねって、
ロマンチックに想像したくなります。
 
インドのヒジュラって、いわゆるダリット(不可触賎民)の一種の、
インドのGID(性同一性障害)のうちの、イスラム教徒のことね。
精神の病気のせいで、健常な社会を、自分から飛び出して、
ホームレスの間の、同性愛によって、性欲を処理するようになると、
一部の人たちは、女装のままで暮らすようになります。
そういうMtF(male to female 男から女へ)の人たちのこと。
 
当然、性交渉のお相手になる男性って、
性的には、普通の男性の、浮浪者みたいな人たちですけれど、
やっぱり、精神の病気の人です。
健常な人の、カーストのしきたりって、うるさいから、
精神の病気の人には、適応できないの。
 
ヒジュラに似たようなのに、ジプシーってのがあります。
耳に残るは君の歌声っていう映画の中に、ロマの人が描かれていました。
ロマって、東欧諸国のツィンガニーや、英語のジプシーですけれど、
エジプト出身と思われていました。
ほんとは、インドのほうから移動して来た白人です。
 
映画の主題歌は、ビゼーの真珠採りっていうオペラの中の、
スリランカの真珠採りの男が歌うアリアを、使っていましたけれど、
オペラは、バラモンの尼(あま)さんになった女性を、
若い頃に愛した二人の男性の、友情を描いていました。
恋敵(こいがたき)の友情って、同性愛の変種かしら。
 
映画の、耳に残るは君の歌声のほうは、
ロシアのユダヤ人の女性が、
第二次世界大戦のさなかのロンドンやパリで、
故郷のロシアの、ジプシーの人たちを思い出しながら、
子守歌を歌ってくれた父の面影(おもかげ)を求めて、
戦後のアメリカで、父と再会する物語です。
 
ビゼーの真珠採りのアリアが、ジプシーの歌と重なっていますけれど、
わたしは、ダリットの一種の、インドのヒジュラを思い出しながら、
GID(性同一性障害)っていう精神の病気の人が、子供を生んでも、
精神の病気を治さなければ、
部落差別やジプシーやダリットのように、なるだけなのにって、
心配しています。
 
ヒジュラって、ムンバイのスラム街でも、
顎(あご)で、あしらわれていました。
日本でも、1960年代にSRS(性転換手術)を受けて、
ブルーボーイ事件にもなったようなGIDの人たちって、
一夜限りの関係でしか、人間社会の中に、入って行けない精神でした。
 
後のTV(トランスベスティズム)の人たちの主張したような、
心の性別っていう原動力や羅針盤があるのでなく、
精神の病気のせいで、端的に、売春夫になった人たちですけれど、
御本人には、病識がありませんでした。
  
ダリットやジプシーなどのように、
性的にはノーマルでも、一般社会に適応できない精神の病気の人が、
自分たち同士で、ホームレスの集団を作り、
放浪したり、特定の職業を持ったり、特定の居住地に定住したりすると、
生まれた子供が、生まれながらにして、
不当に差別されることになります。
 
生まれた子供は、精神の病気と限りませんけれど、
素質が遺伝しないとも、限りません。
 
ヒジュラやGID(性同一性障害)って、その変形なの。
GIDの人の言う心の性別って、
ようするに、精神の病気の人たちの、
手っ取り早い性欲の、現れの一つです。
元になる精神の病気って、さまざまですけれど、
自分の気持ちと、違う気持ちの人との、折り合いをつける能力が、
低くなります。
 
生殖って、違うものを混ぜ合わせて、新しい人間を作るでしょう?
異性との性交渉ができなくなるって、
精神の病気が、生殖能力の不足として現れるってことなの。
違うものや、変化などを、許容できなくなります。
異性との、長ったらしい社会的な手続きが、能力の限界を超えているの。
手っ取り早く、気持ちのいいことに、自閉したいの。
 
関係を調節できないって、適応力が低いってことですけれど、
たぶん、脳味噌の神経細胞の変形を、制御する仕組みに、
異常があります。
千手観音みたいに、手や網を伸ばすための、
神経成長因子っていう化学物質の生産が、変かもね。
文学的には、自我機能の、境界性の機能に異常があると、
言ったりもします。
 
能力が無いのでなく、自分の意志によって選んだと、
御本人が言いますと、生殖拒否ってタイプの精神症状って言われます。
意志でなく、ホルモンシャワーのような、
胎児期の偶発事故によると、主張する人もいます。
 
     紅海やアラビア湾沿岸の、古代の遺跡って、
     だいたい港町ですけれど、
     古代インドの印章や、ローマの貨幣が一杯、出てきます。
     インドのポンディシェリーの、
     ポドゥケーのような、港の遺跡でも、
     似たようなものが発掘されます。
 
     アスクムの王朝を、エチオピアの王家が継承して、
     つい最近まで、
     ハイレセラシオっていう男前(おとこまえ)の皇帝が、
     何度も訪日していましたけれど、
     処刑された後のソロモン王家は、どうなったのかしら。
     ソロモンって、ダビデの子ですけれど…
 
     GID(性同一性障害)の、心の性別や、性転換って、
     わたしは、難行苦行や、殉教のための自傷を、思い出します。
     宗教の体裁をとっていますけれど、
     アシュラって、精神の病気でないかと疑うの。
     お灸で、やっつける病気みたいな、気がします。
 
     五体投地って、柔道の受け身みたいなのを、やりながら、
     お寺を巡礼するの。
     畳でなく、地面ですから、ほんとに骨が折れるみたい。
     東大寺のお水取りの時に、
     五体投地の儀式化したのを、やっていますけれど、
     チベットでは、今でも本物を、やっているそうです。
     GIDにも、本物のGIDを主張する人が、たくさんいます。 
 
     インドのヒジュラって、
     やっぱり、イスラム教のヒジュラのことみたい。
     イスラム教って、紀元後7世紀からですけれど、
     インドのヒジュラは、それ以前の、ヴェーダの時代から、
     使われていた言葉だそうです。
 
     マホメットのヒジュラは、
     とりあえず、アスクムに避難しましたけれど、
     少なくとも紅海の港町が、紀元前5世紀ぐらいから
     インド人の寄港地になっていましたから、
     ヴェーダの時代と、ほぼ同じです。
     
     わたしは、現実のヒジュラやGID(性同一性障害)を見て、
     性別のことよりも、
     むしろ自分から、一般社会を去って行く人たちの、
     精神の病気のことが、気になります。
     即身成仏したと言って、
     白骨と一緒に暮らすような心の人たちね。
     GIDに、そういう病気を見ます。
 

     

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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