幕末(ばくまつ)の江戸の屋敷町(やしきまち)を、
愛宕山(あたごやま)から見た写真。
ほぼ真北から、南南東にかけて、150度ぐらいの画角(がかく)です。
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東京都港区芝公園の、東京タワーから、
真北の方向の、皇居の桜田濠(さくらだぼり)まで、
2.5Kmぐらい、あるかしら。
内堀のお堀ばたを、ジョギングする人が、
テレビに、よく映っていますけれど、
皇居って、お堀の周囲の公園が狭く、
堀の横が、すぐに車道や官庁街なの。
東京タワーから、0.5Kmほど東北の、
愛宕神社の鎮守の森を、愛宕山(あたごやま)って言います。
標高25メートルぐらいの、低い岡ね。
ここから、慶応元年(1865年)に、
フェリックス・ベアトというイギリス人が、
ほぼ東側150度ぐらいの範囲の、東京の町並みを、撮影しています。
東の方向の、正面左の遠くに、
築地本願寺(つきじほんがんじ)の屋根が見え、
正面に、浜離宮の森が広がっています。
本願寺や浜離宮の向こう側は、東京湾なの。
江戸前(えどまえ)の海ね。
画面の右手に、細長く、仕切りのような松林が延びていますけれど、
その南側の、芝(しば)という所の、増上寺(ぞうじょうじ)と、
北側の、大名屋敷の町並みとを、区切る境界です。
防火林の意味かしら。
御成門(おなりもん)のあたりです。
増上寺には、たくさんの塔中(たっちゅう)がありましたけれど、
境内の、東北の隅の、幾つかの建物の屋根が、写っています。
正面の浜離宮の手前は、全部、大名屋敷で、
最も手前の、奇麗な長屋に囲まれているのは、
越後長岡の譜代大名の、牧野備前守(まきのびぜんのかみ)の、
中屋敷だそうです。
その右は、片桐石見守(かたぎりいわみのかみ)、
それらの向こうは、松平隠岐守(まつだいらおきのかみ)。
写真の左のほうも、全部、大名と御家人ばかりの、屋敷町ですから、
庶民の町とは、全然、違います。
江南信國(えなみのぶくに)という写真家が、
1890年に、同じ位置から撮った写真が、残っていますけれど、
牧野さんのお屋敷の長屋が、二階建ての商家の長屋に変わっています。
わずか25年後なのに、あたり一面の大名屋敷が消えて、
町の地割(じわり)を決める道筋だけが、昔の通りに受け継がれました。
現在は拡幅されていますけれど、現在の道も、江戸時代と同じです。
大和盆地の田畑が、奈良時代の条里制のままに残っているのと、
似ているかしら。
明治になると、大名は、お城や蔵屋敷などの、公共の資産だけでなく、
領地や上屋敷(かみやしき)のように、
世襲される職責に応じて、幕府から拝領した資産も、没収されました。
江戸時代の武士って、自分の所有地を、親分に差し出して、
その代わりに、地位や職責や、お給料やお屋敷を、
世襲できるように、保証してもらったの。
お給料は、個人の物になりますけれど、
お屋敷の土地は、官給品の、いわば領地でした。
大名と、将軍さまの関係も同じで、
上屋敷のような江戸の藩邸は、将軍からあてがわれた公邸用の領地に、
各藩の公共の資産として、藩の予算を使って、家が建てられました。
蔵屋敷は、藩の公務のための公共施設ですから、
各藩の税金を出費して、土地と建物が賄(まかな)われました。
日本人って、飛鳥時代から奈良時代の頃に、
公地公民っていう政治スローガンを掲げるようになると、
だいたい、個人の財産と、公共の財産を、
厳密に区別するようになりました。
中国の考え方の、輸入ですけれど、
フランス人が、古代ローマの考え方の、真似(まね)をした時期と、
同じ頃かも。
江戸時代の武士の制度は、戦国時代にできたものですけれど、
それよりも前の武士って、
なかには、平氏や源氏のように、天皇から姓を賜って、
武家の職責を与えられた人も、いましたけれど、
武士を自称する大部分の人は、やくざや、ならず者のようなもので、
一部は、農家が武装して、自分の土地を守っていただけでした。
武力を糾合(きゅうごう)するために、先祖代々の土地の代わりに、
世襲の職責やお給料ってのが、やり取りされました。
現物の代わりに、証券っていう紙っぺらを使ったの。
金本位制よりも昔は、お米(こめ)や田畑(でんばた)が、
最高に信頼できる価値でしたけれど、
それを表す証券の、信頼性を保証するために、
検地や刀狩りを行ないました。
お米や田畑を持っているだけでは、人に奪い取られるから、
実力で守らないといけないでしょう?
そのための、軍事力ですから、
それだけの軍事力があります、っていう印(しるし)に、
検地や刀狩りを実施しました。
自分の田畑を、実際に耕している小作人から、
年貢を徴収しないといけないでしょう?
検地や刀狩りができるってことは、
年貢を徴収するだけの、軍事力があって、
証券の信頼性があるってことなの。
実際のお米や田畑を、やり取りしなくても、
世襲の職責やお給料っていう形の、証券にすれば、便利ですから、
人間と人間の、命と生活の関係が、
紙っぺらや、舌先三寸に、表現されました。
戦国時代からこっちの、殺し合いと商売の仕組みって、
現在の雇用や国家制度の、雛形なの。
性転換よりも、桁違いに誠実で、合理的な仕組みです。
フランスの、啓蒙思想から革命に至るまでも、似たような歩調かしら。
向こうのほうが、多民族だから、軍隊が強かったってことが、
ペリーの黒船に表れて、明治維新になっただけです。
そんなもん、ホモサピエンスになってから、この20万年ほど、
脳味噌の性能は、同じですから、考えることは、今も昔も同じです。
痛い苦しいってのを避けて、楽(らく)に生殖をするために、
殺し合いと屁理屈を使います。
体と舌が、資本かしら。
数学や物理って、屁理屈なのよ。
文学や流行文化などの、舌の一種。
マスコミや小説家や漫画家のような、遊び人も、
芸者さんに付き従う太鼓持ちに似て、
お大尽(だいじん)さまに奉仕するのが、一番なの。
野党精神なんて言っても、
新聞が何を書いて、戦争になったかって、みんな覚えています。
太鼓持ちが囃し立てて、殺し合いになるの。
性転換みたいにね。
法律や医療って、権力や毒を使うから、殺し合いの一種かしら。
高層ビルを建てて、宇宙船を飛ばすのも、
鏃(やじり)を磨くのと同じですから、戦争の準備みたい。
兵站(へいたん)を整えているの。
殺し合いって、多民族のほうが、試行錯誤の回数が多く、
磨き抜かれて、選(え)り抜かれているから、強いでしょう?
屁理屈って、精神の病気の人を見ればわかるように、
自閉したほうが、美しいの。
江戸時代の日本も、美しかったって、
石原なんとかっていう遊び人が、大名屋敷の写真を、絶賛していました。
川端康成とか、美容外科とか、マイケルジャクソンとか、
美しいものは、全部、滅びます。
三島由紀夫って人も、GID(性同一性障害)と、そっくりでした。
薩長の新政府なんか、いつまで持つのか、わかったものでなく、
早急に、故郷の有力者を纏(まと)めて、
地元の支持を、固めなければいけません。
大名さんね。
将軍がいなくなれば、東京に、人質のように留め置かれる理由もなく、
薩長ごときに服従したくなければ、さっさと帰国して、
兵站(へいたん)を厚くするに、如(し)くはありません。
西南戦争が終わり、薩長の支配が盤石(ばんじゃく)になると、
ほとんどの殿様が、故郷の実権を失い、
再び上京して、こじんまりとした没落華族の年金暮らしを、
味わうようになりました。
現在の物価に換算すると、年間所得5000万円ぐらいが、
男爵さんの最低の生活水準かしら。
お殿様の生活からすると、鼻くそでした。
侯爵さまで、5億円ぐらいですから、
美容外科医と、ちょぼちょぼみたい。
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