ナシの冬芽 358 体の世話

梨(なし)の冬芽です。
葉を落とした樹木って、冬は、冬芽や樹肌を見て、識別します。
品種までは、わかりませんけれど、おちんちんみたい。
 
ゆうべの夢の中で、わたしは、
どんぶりばっちゃ、浮いた浮いた、ステテコしゃんしゃんって、
歌っていました。
 
1970年頃に、SRSを受けたMtFのGIDの、赤坂の芸者さんが、
この都々逸(どどいつ)を歌いながら、踊ってくれましたけれど、
 
 
精神は、体の世話をするためにあります。
体の世話ができなくなると、精神の病気です。
 
体が体の世話をするためのコミュニケーションが、
他の個体と、コミュニケーションをする時の、共通の規格でしたら、
精神として解釈されると言うことですが…
 
精神の病気って、精神として解釈され難(がた)く、
体と体の独自のコミュニケーションを、他の個体に発信するので、
体の病気でないのに、
結果として、体が体の世話をインチキして、体を壊すようになると、
精神の病気とされます。
 
他の個体の体を、壊す人もいますけれど、
たいていは、犯罪と言われます。
体が体の面倒を見る機能に、異常があれば、精神の病気とされます。
 
体や脳の器質に、原因となる病変もないのに、
他の人の体に危害を加えるのを、犯罪でなく、
自分の体が、自分の体の面倒を見る機能に、低下があると見て、
精神の病気として、社会が連帯責任を持つ優しさは、
日本の人が世界に誇るべき素晴らしい文化です。
 
欧米の猿真似(まね)をしなくても、よろしい。
欧米でしたら、言葉も通じない異民族が、
自滅する病気に罹(かか)れば、喜ぶべきです。
民族を超えようとした新約聖書のキリスト教は、
生殖拒否を、精神の病気として忌避せざるを得ませんでした。
嘆きの表現ね。
同性愛差別になりました。
 
日本人は、同族社会ですから、みんな、言葉の通じる血縁です。
精神障害者を間引くのは、自分で自分を間引くようなものです。
病気でも、みんなで工夫して生きて行かねばなりません。
それが、大昔からの、人類の文化を作ってきました。
病気の人ばかりが、生き残って、健常な猿は、絶滅しました。
毛皮の皮膚を持った健常者なんか、絶えてしまったでしょう?
 
欧米の考え方とは正反対の歴史が、人類の進化を支えて来たの。
日本に、その文化が残っています。
キリスト教は、生殖拒否の精神の病気を、忌避すべきでなかった。
病人を毛嫌いするのは、イエスキリストの考え方に矛盾しています。
 
健常な人も、老化すると、体の世話が難しくなりますので、
若く元気なうちに、子供を育てて、備えます。
体が死んでも、子供がいれば、若返ったも同然です。
世代交代します。
 
若く、体が元気なのに、生殖を拒否して、世代交代をしないのは、
体の世話をしないのと、同じですので、精神の病気と言われます。
 
体の世話どころか、体が元気なのに、わざと傷つけて、
体の世話をしようとするのも、精神の病気です。
 
自己同一性と、免疫機能に似た自他識別の境界性が、
自我機能の、二つの目玉であると、言いました。
 
子供を生んで、育てて、世代交代するには、
自己同一性だけでなく、
自分と他人との境界を、調節しなければいけません。
お腹(なか)の中の赤ちゃんが生まれて、
一つの体が、二つになるのですから、当たり前ですけれど。
 
自他の境目(さかいめ)って、固定されていませんから、
どこに境目を設定するかが、自他識別の境界性の機能です。
免疫機能に似ていますが、自我機能の目玉の一つです。
 
生殖を拒否して、健康な体を、わざと自分で傷つけて、
傷ついた体の世話をするって、自我機能が低下しています。
精神の病気なの。
 
     老化した体や、病気の体を世話するって、
     どの個体にも共通の、生まれつきの、一律の自動行動では、
     ありません。
     個体の特殊性に応じて、臨機応変に行動します。
 
     精神って、そのために自覚されます。
     自己同一性と、自他識別の境界性っていう自我機能ね。
 
     いくら個体それぞれの特殊性に応じて行動すると言っても、
     どうせ、一定のプログラムに、その都度、数値を入力して、
     その答えの通りに、行動するだけなので、
     自動機械と同じでないかと、思うかも知れません。
 
     そうなの。
     でも、生物のプログラムって、変わります。
     情報に応じて、神経細胞の形が変化するの。
     よく使うと、神経伝達物質を受容する神経細胞の樹状突起を、
     千手観音みたいに繁茂させて、
     その先端の受容体が幅広くなります。
     使わないと、アポトーシスみたいに、自分から破壊されるの。
 
     男性の朝立ちみたいに、使わずに封印されていても、
     毎朝、試験的に電気を通して、アポトーシスを防ぎます。
     それを怠れば、GIDの生殖機能のように、破壊されます。
     性ホルモン剤を使っているから。 
 
     自我があるから、昨日の経験も、一年前の経験も、
     今現在のことも、ぜんぶ同じ個体の出来事であり、
     けっして、それぞれに違う個体の出来事でないと、
     理解できます。
     自己同一性の機能ね。
 
     この個体の経験も、
     70億人の経験も、1万年前の人の経験も、
     この個体の昔の経験のように、
     現在の状況に応じて、将来の行動を見積もるための、
     基本資料として、利用できることを知ります。
 
     情報の規格が共通なの。
     コミュニケーションによって、他の個体の経験記憶も、
     この個体の経験のように、客観的に使えます。
     自他識別の境界性の機能ね。
     
     自我機能って、みんな一緒っていう協調機能のことなの。
     昨日の自分と、今日の自分とが、違う自分でしたら、
     昨日の行動と、今日の行動が、バラバラになってしまい、
     責任っていう考えが、出てこないでしょう?
     昨日の行動の責任を、今日の自分がとります。
     同じように、あしたの自分も、あさっての自分も、
     協調しています。
 
     手と足が、ばらばらに動いていたのでは、
     うまく行動できません。
     協調させて、一つの行動に纏(まと)めるでしょう?
     この個体の行動も、他の個体の行動も、協調させて、
     一つの行動に纏(まと)めなければ、
     みんなと一緒に生きて行けません。
 
     みんなと一緒でないと、
     70億人が食べて行く食糧さえ、生産できません。
     みんなで、同じ品種のお米を作り、みんなで改良したから、
     熱帯のお米を、日本のような寒い土地でも、作れます。
     みんなで、力を合わせて機械を作ったから、
     田植えや稲刈りも、機械でできます。
     みんなで用水路を作って、みんなで井戸を掘ったでしょう?
     お水がなければ、日本でお米なんか、作れないもんね。
 
     サモアの人は、うまいことを言います。
     蛇口をひねるたびに、あなたの顔を思い出すでしょうって。
     簡易水道を作ってくれた日本人に、
     お礼(れい)の言葉を述べたそうです。
     サモアの人って、アメリカインディアンみたいに、
     日々の暮らしの言葉が、こういう洒落た表現なの。
 
     周恩来って人も、日中国交回復のセレモニーの席で、
     水を飲む時は、井戸を掘った人のことを忘れないって、
     言っていました。
 
     みんなと一緒でなければ、
     たぶん人間って、一人も生きて行けません。
     だって、言葉がなければ、知能もないでしょう?
     手話でも、記号でも、なんでも構いませんけれど、
     とにかく、言葉を知らなければ、
     人間の知能って、ミミズぐらいの賢さです。
     この体さえ、治(おさ)められません。
 
     言葉って、自分一人で発明しても、役に立ちません。
     みんなに通じる共通の規格や、
     約束事の塊(かたまり)みたいなもの。
     法律なの。
 
     みんなで作る議会があって、
     わたしたちが、井戸端でお喋(しゃべ)りしているのは、
     その議会の発言なの。
     言葉の使用そのものが、
     言葉っていう法律を作る議会の発言です。
 
     法律って、法律に使われる言葉の意味を、
     どうして、定義するのかしら。
     その定義に費(ついや)す言葉の意味は?
     わたしたちの日々の生活って、その現場です。
     
     使用そのものが、言葉の定義ですから、
     人間が生きるって、GIDや統合失調症の人の主張とは、
     かなり違うって、わかります。
     病気の精神で生きて行くのは、茨(いばら)の道です。
     イエスキリストという人は、それを望んだはずなの。
 
心って、体の面倒を見るためにあるって、覚えておいてください。
そういう考え方があるってね。
目的論で申しわけありませんけれど、
本能ってのも、目的論でしょう?
個体が生きるためとか、世代交代するためとかね。
目的を示して、日常感覚で生物を理解するって、便利なんです。
アリストテレスの発見かしら。
 
彼は、物体の力学的運動や機械的変化にも、
目的があると、理解しました。
アインシュタインの相対性理論も、一理ありますけれど、
ニュートンのような、天体の運動の仕方のほうが、
庶民的で便利でしょう?
ニュートンの運動の法則って、
もちろん、アリストテレスの考え方を継承しました。
 
わたしは、アリストテレスの古典的な論理よりも、
記号論理のほうに、馴染みがありますけれど、
ウィトゲンシュタインやラッセルも、
やっぱり、アリストテレスと同じ形式論理です。
ヘーゲルの弁証法よりも、
空間や時間の日常感覚を、よくなぞっています。
 
心のことも、性転換のような、逆立ちした弁証法的な観念論よりも、
アリストテレス風の、実用的な医療が、着実かも知れません。
 
心って、体の世話をしています。
心のために、体を手術するって、あくまで心の病気の治療です。
けっして、自由な美容手術でありません。
 
生殖が絡(から)んでいるから、
仕方なく精神の病気にしておくのでなく、
手術という医療を受けるから、仕方なく病気なのでなく、
心の性別が、体と違うと言って、
性ホルモン剤や、体の手術を求めて、生殖機能の阻害を望むのは、
絶対的な、心の病気と、わたしは思います。
 
性転換医療全体が、オカルトのような気がするの。
治療を受けるのが、ヘーゲルの観念論なら、
医療を行なうほうも、マルクスの弁証法だったりして。
一人が雄牛の乳を搾(しぼ)れば、
もう一人が、笊(ざる)で受ける感じね。
どちらも、滅び行く人たちのような、気がしてなりません。
 
ヘーゲルやマルクスの弁証法って、オカルトだったみたい。
オウムやナポレオンやヒトラーやスターリンを、思い出すの。
 
性転換医療の間違いって、たぶん、それです。
ただの感じですから、後日、釈明しますけれど、
性転換って、昔の新左翼の運動にそっくり。
どこぞの総理大臣がやっていた運動ね。
 
わたしは、精神の病気の人の、体のことが心配です。
苦しさは、お薬や脳内麻薬や、お酒や手術などによって、
感じなくしてしまうことが、可能なの。
でも、苦しいのを感じるって、体の世話をするためです。
GIDって、教科書みたいに、精神の病気の典型って、わかります?
結局、世話をされずに放棄された体が、犠牲になります。
 
けっして、新聞のような、美談でありませんけれど、
なんとか、切らずに、おいしい実をならせたい。
梨(なし)の木のこと。     
病気だからと言って、切るのは簡単ですけれど…     
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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