三浦市三崎町小網代(みさきまちこあじろ)の、荒井浜です。
こちら側の岸辺と、向こう側とは、
ぐるっと弓なりの浜辺になって、ひと続きに繋がっています。
油壺湾は、写真の手前の、背中側ですので、写っていません。
左手の赤い建物は、京急油壺マリンパークの、
三浦半島は、先っちょが三浦市、
真ん中が、東京湾側も、相模湾側も、横須賀市、
根元は、東京湾側が、横須賀市、相模湾側が、葉山町と逗子市です。
油壺って、奇麗な入江の奥の、ヨットハーバーで有名ですけれど、
日本の人は、お金持ちを、連想するそうです。
わたしは、地中海やカリブ海の、ヨットハーバーを、思い出しますので、
油壺のヨットを見ると、
日本って、貧乏でも、肩を寄せ合って生きる国だなあって、感心します。
ヨットの大きさが、違うの。
海は、太平洋のほうが広いのに、
維持費は、日本のほうが、少し、お高いみたい。
それよりも、お金持ちの収入が、全然違うの。
あっちの人って、一年中遊んでいても、年収数億円って人が、
ヨットを楽しみます。
そんな人は、遊んでばっかりなのに、ちゃんと、一流企業の経営者です。
おまけに、ブッシュ前大統領みたいに、
エール大学から、ハーバードのビジネススクールを出た、
っていう肩書きまで、付けてもらえます。
ビジネススクールって、日本流に言うと、経済関係の大学院ね。
あっちの一流大学って、お金があれば、誰でも入学できて、
誰でも卒業できます。
貧乏人が、管理職や経営者になりたい時は、お金持ちと、お近づきになり、
華麗な人脈の中に、入れてもらおうとして、エリート大学に入学します。
核になるお金持ちのお坊っちゃんは、大歓迎ね。
全寮制で仲良くなって、
卒業後も、名士の卒業生が、後見人になってくれます。
血族の結束みたいに、卒業生のサロンが、
どのような会社に就職しても、実績を上げられるように、
お互いに、資金と情報と人脈を、融通し合っているの。
戦後の日本の、孤児も皇室も平等、という生き方は、
欧米では、相手にされません。
日本のお医者さんが、アメリカで研修して、白人と一緒に働けば、
身一つ、頭一つで、コスモポリタンに、生きて行ける気持ちになるのは、
被差別部落出身の船乗りさんが、港々の娼婦を抱けば、
世界を股に掛けた気持ちになれるのと、あまり違いません
「井の中の蛙(かわず)、大海を知らず」って、誰のことなのかしら。
昔、「古井戸や、芭蕉飛び込む、水の音」っていう川柳がありました。
小学五年生が作ったそうで、国語の教科書に、載っていました。
アラン・ドロン主演の、「太陽がいっぱい」っていう映画の、
主人公の犯人みたいに、わたしは、GIDを見ると、
とても、可哀想な気持ちになります。
戦後の日本の、学生さんのような、旧ソ連風の潔癖さは、
ヨーロッパでも、インドでも、アラブでも、アメリカでも、
通用しません。
管理職のお給料も、ぜんぜん違うの。
エリートの人は、最初からエグゼクティブコースだから、
与えられるお仕事も、待遇も、味方の顔ぶれも、違います。
あっちは、実際に血を流す手間を、省けるように、
平和主義や民主主義や法治主義で、行きますから、
喧嘩や戦争をする心意気で、働いて暮らします。
会社って、征服者が、農奴を使役する施設ね。
昔の荘園と、同じです。
敵と味方を、ちゃんと識別できなければ、生きて行けないし、
敵と味方の、顔ぶれを見れば、戦うまでもなく、勝てるか、死ぬか、
だいたい、わかります。
大学って、敵と味方を、決める所ですから、
あほなお金持ちと、仲良くするに、如(し)くはありません。
お仕事って、欧米では、多民族社会の仕組みが、
いちばん良く、表れています。
管理職の人が、下っ端の従業員と、一緒に働いても、
戦争になれば、ボスニアヘルツェゴビナみたいに、
民族は民族で、皆殺しになります。
貧乏人は貧乏人で、インターナショナルに、こき使われます。
だって、下層労働者の上に、あぐらをかいて暮らすために、
管理職になるのよ。
満州民族が、清朝を作って、漢民族を支配したみたいに、
好きなことをして、楽に暮らせるように、大学に行くのでしょう?
労働者の年収が、1000万円でも、
支配階級の部長さんは、1億円です。
スーダンの勤労者なんか、15万円です、年収。
お金持ちって、イタリアみたいに、ちんちくりんの国でも、
別荘みたいに大きなヨットに、乗っています。
油壺のヨットは、
欧米の運河で暮らしているホームレスのヨットよりも、小さいの。
小学生の男の子が、プラモデルに、夢中になる感じかしら。
ボトルシップって、あるでしょう?
透明なガラス瓶の中に、
瓶の口よりも、うんと大きなお船が入っています。
どうやって、作ったのかしらって、不思議に思うけれど、
油壺のヨットハーバーを見ると、
たくさん並んでいる帆柱が、お弁当の割り箸みたいに、見えて来ます。
瓶の中のヨットを、お箸の先っちょで、つまむのかしら。
これで、太平洋を横断するのですから、ほんとうに感心です。
日本人は、倹(つま)しくて、GIDも、年収1000万円を超えると、
ピノキオみたいに、鼻が高くなるみたい。
「星に願いを」って、歌いますけれど、
あれは、ディズニーの、ミュージカルでしたかしら。
みんなで助け合って暮らす文化を、大切にしなければ、
日本人は、生きて行けません。
油壺って、油を流したように、てらてら光っていたそうです。
壺みたいに、入り口が狭くて、自然に、高波が遮られるので、
ヨットには、持って来いの、良い入江です。
三浦義同(みうら よしあつ)っていう戦国時代の武将が、
北条早雲と戦って、散華(さんげ)しました。
全滅したの。
その血が、油壺湾の海面を、油のように光らせたそうです。
どっちなのかしら。
人の血が、油のように光ったのか、
湾の形が、油壺のようだったのか。
三浦義同(よしあつ)って人は、
鎌倉幕府の三浦一族の、末裔を自称していましたけれど、
北条早雲のほうも、北条家を名乗っていながら、
どこの馬の骨か、わかりませんでした。
戦国時代は、やくざが刀を振り回して、
縄張りを守るために、殺し合いをする時代ですから、
血筋も家柄も、へったくれもありません。
被差別部落の人が、好んで皇室に近づくように、
やくざの人も、平家や源氏の血筋を名乗って、
富貴(ふうき)を誇る生き方に、憧れました。
楠木正成や名和長年が、後醍醐天皇に仕えたようなものかしら。
清水の次郎長が、山岡鉄舟や榎本武揚を支援したのとは、
また違うけれど…
戦国の武将って、侍(さむらい)を標榜しましたから、
死に際が奇麗です。
三浦義同(よしあつ)は、
出家後の、三浦道寸(どうすん)って名前のほうが、
よく知られていますけれど、へんな名前が好きなのね。
油壺の新井(あらい)城に、3年間、籠城した後、
1516年の夏に、華々しく打って出て、最期を飾りました。
写真の、三浦市三崎町荒井浜の、背後一帯が、新井城でした。
三崎城とも、言います。
荒井浜は、もちろん、新井の浜です。
五月の最終日曜日の、三浦道寸祭りでは、
荒井浜の波打ち際に、標的を掲げて、
笠懸(かさがけ)の行事が、行なわれます。
馬に乗って、走りながら、弓矢で的(まと)を射るの。
三浦道寸の辞世の句は、洒落ています。
討つ者も 討たるる者も 土器(かわらけ)よ
くだけて後は もとの土くれ
土に帰るのは、当たり前の表現ですけれど、わたしは好き。
うちの家も、土や石から、花や実を育て、
金属や人を、鍛える気風だったからかしら。
人間の、命や文化も、水や火のように、つねに変化します。
本来の性別に帰りたいと言い、生殖を拒否するのは、
なにか、一瞬の炎が、止まった感じで、とても奇麗です。
新井城址(あらいじょうし)から、
油壺湾と諸磯(もろいそ)湾の、入り口の反対側に、
諸磯漁港が見えます。
油壺湾と諸磯湾は、入り口が、二つ一緒になっています。
狭い入り口の部分を、
油壺湾と言うのか、諸磯湾と言うのか、よく知りません。
諸磯漁港の、すぐそばに、
ルーシー・ブラックマンという女性が、
死体になって、埋められていた洞窟があります。
火山灰の地層が、縞模様になり、
波に浸食されて、ところどころが、
深く抉(えぐ)られています。
写真の左端の、桟橋の左側を回ると、
写真の背中側に、油壺湾の入り口を挟んで、
洞窟のある浜が見えます。
在日朝鮮人の境遇から、
お金持ちの生活が、転がり込んで来た犯人みたいに、
GIDの生き方の落とし穴が、見えて来ます。
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