あなたを失えば 177 自閉症

ヴェルディ Giuseppe Verdi : 『仮面舞踏会』 Un Ballo In Maschera
第三幕第二場 ボストン総督リッカルドの歌うロマンツァ
【あなたを永遠に失えば…】 Ma se m'e forza perdeti …
テノール : フランコ・コレッリ Franco Corelli
 
コレルリが削除されたそうですけれど、
舞台の動画のない音楽と写真だけのバージョンがありましたので、
差し替えます。
 
パバロッティのビデオもありましたので、代役にいかがですか?
パバロッティでは、少し軽いので、もの足りないかしら。
 
テノール : ルチアーノ・パバロッティ Luciano Pavarotti
 
アントニオ・ソンマの原詩         訳 : このブログの私 
 
Forse la soglia attinse,          彼女も家に帰り、
E posa alfin.              ほっとしていることだろう
 
L'onore Ed il dover fra i nostri petti   名誉と義務が 
han rotto L'abisso.         わたしたちの心の奈落を救った
Ah si, Renato              そうだ、レナートを
Rivedra l'Inghilterra ...e     イングランドに帰してやろう
la sua sposa Lo seguira.    そうすれば、彼女も、夫のあとを追う
 
Senza un addio,               さよならも言わずに
L'immenso Ocean ne separi...        海がわたしたちを隔て、
E taccia il core.              二人の心を鎮める
           
Esito ancor?               まだ、ためらうのか
ma, oh ciel, non lo degg'io?       わたしの 義務でないと?
                   
Ah, l'ho segnato              あー 署名してしまった
Ah, l'ho segnato il sacrifizio mio!      自分を 犠牲にした
 
Ma se m'e forza perderti     永遠にあなたを失っても
Per sempre, o luce mia,       命の光のように
A te verra il mio palpito    あなたを求める心のときめきは
Sotto qual ciel tu sia,    いかなる空のもとにも、届くでしょう
Chiusa la tua memoria         二人の思い出を
Nell'intimo del cor.      心の奥深くに、秘めておこう
                  ※後ろ二行繰り返し
 
Ed or quai reo presagio     でも、何か、不吉なものが
Lo spirito m'assale,          心に襲いかかる
Che il rivederti annunzia       会えば再び
Quasi un desio fatale...     致命的な欲望が甦るのに
Come se fosse l'ultima       この思いが 最後の愛の
Ora del nostro amor?        瞬間になるのだろうか
                 ※最後二、三行、何度も繰り返し
 
幕末の、1859年初演のオペラですけれど、
スウェーデンのグスタフ三世が、
仮面舞踏会の場で、暗殺された事件を、題材にしています。
 
そのままですと、政治的に問題でしたので、
オペラでは、イギリスのボストン総督が、
アメリカで、暗殺されたことになっています。
 
このアリアを歌ったあと、仮面舞踏会の場面に変わり、
ボストン総督リッカルド(スウェーデン王グスタフ三世)は、
人妻(アメリア)の夫の、レナートに殺されます。
 
ボストンって、独立戦争の時に、茶会事件のあった町ですけれど、
南北戦争が、1861~1865年ですから、
初演の1859年って、戦争直前の、世情騒然としている頃かしら。
 
100年後の、1965~1975年頃に、
SRS(性転換手術)を受けた日本のMtF(male to female)の人たちも、
この町で暮らしていたことがあります。
 
フランコ・コレルリって、
当時すでに、世界一流のテノール歌手でしたので、
MtFの人たちは、話もできなかったそうですけれど、
ニューヨークの、ビクター・フックスっていうボイストレーナーの所で、
よく、見掛けたそうです。
彼女たちのお友達の、日本の医師が、
フックスさんのアシスタントをしていました。
 
コレルリって、wikipediaはコレッリって、表記しています。
固有名詞のカタカナ表記って、慣用があるから、難しくて困ります。
専門用語の翻訳も、決まり切った訳語があるので、面倒ですけれど、
歌や映画の題名も、決まり切った文句があるでしょう?
それを検索するのが、邪魔くさくて…
 
検索しましたけれど、このアリア、
日本語訳が、見当たりませんでしたので、
わたしの下手な訳を、付けておきます。
すごく、いい加減な訳ですけど、やっぱり、しんどかった。
繰り返しを省略しましたから、わかりにくいかも。
すみません。 
 
フランスの、ウジェーヌ・スクリーブ Eugene Scribe の戯曲から、
イタリアの、アントニオ・ソンマ Antonio Somma が台本を書きました。
 
文学作品は、たくさんの人が資料を集めて、話を書き、
未完成品や完成品の、資料や話の筋書きなどが売買されて、翻案されて、
最終的に、誰々という売れる名前の、作家名で出版されます。
売れる名前の人は、他人の作品の文体を、
自分流の文体に、校正するだけの、
ミーハーの、タレントみたいな人かも知れません。
その校正も、事務所の人がやっていたりして…
 
けっして、文学は、個人の独創的な才能による孤独な作業でなく、
一つの事務所の共同作業でもありません。
株券や債権のように、原稿や資料が売り買いされます。
手形や小切手のように、
裏書きされたり、されなかったりして、流通します。
 
ヨーロッパのオペラは、18世紀から、すでに、その典型でした。
日本の文学も、高度成長期に、その形に変わりました。
現在では、アニメやコンピューターのプログミングのように、
末端で作業する人たちが、たくさんいて、
作業結果の、絵やフログラムが取引されて、人の手から、人の手に渡り、
最終的に、誰々という有名な作家の名前で、出版されます。
コンピューターのプログミングでは、企業の名前かしら。
アニメ映画では、監督の名前みたい。
 
昔流の小説家などと言うのは、もはや、絶滅しましたから、
ノーベル文学賞も、今では、お笑い草かも知れませんけれど、
廃止になるまで、あと数十年かかると思います。
 
プロレスも、昔は、反則を、なぜ警察が取り締まらないのかと、
国会で質問した議員さんもいましたが、
今でも、プロレスは続いています。
映画も、エジソンの名前で流行した昔は、スクリーンに映った内容を、
観客は、ドキュメンタリーと思っていました。
本物の、大砲や船まで持ち出して、
戦争の現場のように、原野でロケーションして、
芝居のように、役者さんが演技するって、お客さんが知ったのは、
劇場で映画が上映されるようになってから、何十年も経ってからでした。
 
GID(性同一性障害)も同じですけれども、
マスコミって、オペラやプロレスや映画を作って、
売り込むほうの人なんです。
GIDを作って、視聴率や、読者や、広告収入を、稼ぐのですよ。
精神科医や、学者や、弁護士や、政治家って、
将棋の駒みたいに、指先で使われている人かもね。
遊び人出身の、総理大臣もいました。
 
 
GID(性同一性障害)の人は、心と体の性別が一致しないと、訴えます。
表現は、人によって違いますが、
体を変更して、異性になりたい気持ちを、正当化します。
 
心や脳の、まだ知られていない仕組みを、得手勝手に解釈して、
その想像の内容と、現実の体とが違うので、
体を変更したい、性転換したいと、訴えます。
 
心のほうは、変更したくない、変更不能ですって、
誇らしく、言い張ります。
自分の心は、生まれつきに異性であると、確信しているとね。
 
心と体の性別が一致しない、って言うのは、
ただの、文学的表現の一つに、過ぎませんので、
人によって、表現の仕方は、様々です。
 
でも、大部分の人は、
お医者さんが、よくある例として、紹介した表現を、真似します。
ステレオタイプって、言います。
GIDの人は、性転換したいので、
お医者さんの言うままに、マインドコントロールされます。
麻原っていうオウムの教祖さんの言うことを、
信者さんが、無条件に模倣するようなものです。
トランス状態って言います。
 
GID(性同一性障害)の患者さんの、言い草を聞いて、
一般の人が、いかにも精神障害らしいって、印象を受けるのは、
GIDの専門医と自称するお医者さんの、精神障害の症状かも知れません。
昔も、そうでした。
 
性転換が非合法だった時代に、
SRS(性転換手術)を、闇で行なっていたお医者さんの、精神障害を、
患者さんが、真似をしました。
脳に作用するお薬まで、同じものを飲んでいましたので、
患者さんの飲んでいるお薬を知れば、
そのお医者さんの、精神障害が、わかったほどです。
患者さんに、抗精神病薬を飲んでいる人が多ければ、
お医者さんも、高い確率で、飲んでいました。
 
     4~6才頃の、フロイトの言うところの、男根期に、
     女の子は、自分もそのうちに、おちんちんが生えてくると、
     思うことがよくあります。
     これは、大昔から知られていましたので、
     フロイトは、男根期と名付けました。
 
     GIDのうちの、FtM(female to male)の患者さんは、
     幼児の頃から、自分は男でないかと、思っていたとして、
     おちんちんが生えてくると期待していた、と言います。
     それって、よくある女の子の心理なのに…
 
     年寄りのGIDと自称する人たちは、1965~1975年頃に、
     SRS(性転換手術)を受けたMtFですが、
     彼女らは、手術前に、男性に対しても、女性に対しても、
     まったく性欲を催さなかったのに、
     手術後に、作られた自分の女性器を見て、
     男性に対する性欲が、湧いてきたと言います。
     
     そこで、彼女たちは、視覚的に性器の形を見て、
     反射的に性欲を催す回路が、
     人間には、生まれつきにあるのでないかと、言います。
     
     フロイトも、性器を見て、男女を識別したり、
     性欲を催したりすることが、あるかのように言っていました。
     わたしは、男根期の女の子が、ちんちんを欲しがるのは、
     父親と仲が良かったからで、
     男の子が、ちんちんに違和感を感じるのは、
     母親と仲が良かったから、と思います。
 
     両親のどちらを慕うかは、
     生活状況や、両親の養育態度などによって、異なりますから、
     女の子なのに、ちんちんを欲しがったり、
     男の子なのに、ちんちんに、
     出臍(でべそ)のような劣等感を、いだいたりすることも、
     組み合わせとして、十分にあり得ます。
 
     ふつうは、体の特徴って、
     人種差別や民族差別を見れば、わかるように、
     取り去ることが出来ませんので、
     他人と違っていると、すごい劣等感になります。
     女の子では、背が高い、体が大きいってのが、
     死ぬほど辛くなる子も、昔は少なくありませんでした。
 
     今は、欧米人に近い体型のほうが、
     優越感を持つかも知れませんが、
     テレビや映画などから、
     それだけ、欧米の情報が、豊富に入って来るからです。
     わたしの子供時代は、まだ、テレビがありませんでしたから、
     背が高い、体の大きな女の子は、地獄だったかも知れません。
     いつも俯いて、小さくなっていました。
 
     テレビが普及すると、だんだんと、女の子でも、
     背が高いほうが、鼻が高くなって来たようですけれど、
     今でも、体の大きな、ごつい女の子は、
     性転換しろと言われて、虐められています。
 
     また、背の低い男の子は、今も昔も、
     すごい劣等感を持っています。
     人種差別を受け続けている人のように、
     なぜ、生まれながらの、変更不能な体の特徴なのに、
     背が低ければ、劣等な男のように、
     思われなければいけないのか、という根本的な疑問と、
     激しい抵抗の気持ちを、抑えられません。
 
     年寄りのGID(性同一性障害)の人たちは、
     体のことで差別されて、虐待を回避するために、とうとう、
     SRS(性転換手術)を、自分から強く望むところまで、
     追い詰められて行く心の過程を、
     今は、治癒して、しっかりと、回顧できるようになっています。
     治らないうちは、心が病気になって行く過程を、自覚できずに、
     ひたすら、性転換を正当化していました。
 
     背が低いからと言って、
     だれも、口に出して、差別していないのに、
     御本人だけが、差別を受けていると、強く感じて、
     悶々とした気持ちになります。
     犬が、人間の家庭の中の、最高権力者を察知するように、
     たいへん敏感な能力ですが、
     犬の知能は、人間の1才ほどです。
 
     人種差別と、かなり違いますけれど、
     映画を見ても、素敵な男性の主人公は、
     けっして、背の低い、ちんちくりんでありません。
     犬は、体の大きな人や、声の大きな人や、
     食べ物をくれる人や、散歩に連れて行ってくれる人や、
     よく撫でてくれる人や、優しくしてくれる人などを、
     その家のリーダーと、見ているのでありません。
     比較的、一家の大黒柱と言われる人と、よく一致しています。
 
     1才で、その程度のことを、見抜きますが、
     生まれつきに、知っているのでなく、
     人間の所得を、知っているはずもありません。
     人間生活を観察して、類推して帰納します。
     自分の命を、決定的に左右しますので、
     そう簡単には、間違いません。
 
     GIDの人は、もしかしたら、発症時に、
     1才未満の能力まで、退行しているかも知れません。
     性別を知る能力が、生存に必要な、最低限未満ですので、
     特別に保護されなければ、生きて行けません。
     性別を知る能力だけでなく、
     後天的に、犬が獲得する様々な基本的な知能のうちの、
     幾つもが、GIDの人には、著しく不足しています。
 
     年寄りのGIDと自称する人たちは、
     支援してくれる財閥の、お仕事のために、
     外国に赴任することになりましたが、
     いくつかの出張先の中から、
     スーダンや北欧などを選びました。
     北欧は、手術を受けたエストニアの地ですから、当然ですが、
     スーダンは、世界一、背の高い民族の、
     ディンカ族が、お目当てでした。
     北欧も、長身の民族です。
 
     背の低い男だったことが、自身の悩ましい性転換の気持ちに、
     強く作用していたことを、
     うまく心の中で、整理できるようになった時、
     GID(性同一性障害)が、治癒していました。
     医師が、SRSを支援して、
     財閥が、お仕事や結婚や代理母出産などを、支援しました。
 
テレビの普及し始めの、高度成長期の始め頃に、
思春期を過ごした女の子の中には、
背の高いことに、ひけ目を感じたくないと思い、
アメリカや北欧の、背の高い文化に、憧れた人もいます。
向こうで、SRSを受けて、
帰国して、普通の身長の男性として、生活していますが、
心に及ぼす体の作用を、うまく理解できていない人は、
今も、性転換を美化することを、
良いことのように、確信しているかも知れません。
 
心の形而上学の、美化されたお題目をつけて、性転換を普及すれば、
体の事情もなく、望みの性別の生活経験もない精神障害者が、
形而上学的な、心のお題目にしがみついて、
喜び勇んで断種して、立ち往生する羽目になるだけなのに…
 
後悔しようにも、人の制止を振り切って性転換した人は、
それ見たことかと言われたくないので、
意地でも、後悔を口にすることができずに、
GIDの追跡調査にも、
幸せになりましたと、嘘をつくほかありません。
もの悲しい人生のGIDを、たくさん知っています。
 
マスコミは、治癒していないGIDに、
安易に同調してはいけません。
そうかと言って、非難すると、必ず症状を悪化させて、
一層、加速をつけて、性転換に走ります。
GIDを悪く言えば、患者さんに対する世間の差別を、招きかねません。
 
でも、マスコミが美化して同調したのでは、
精神障害者の断種を、普及することになります。
どうせ、精神障害の生殖機能など、除去したほうが良いとする社会を、
わたしは、望みません。
 
GIDって、自我障害が出ます。
自我機能って、端的に言うと、生殖を制御する機能です。
動物では、自動的に反射的に、生殖できるようになっていますが、
人間は、その機能が退化しています。
個体それぞれの、能力の特殊性や、状況の特殊性などに応じて、
個体のほうで、生殖を制御する機能を、獲得したからです。
その機能のことを、自我機能と言います。
自我に障害の生じる病気を、自我障害と言います。
 
統合失調症が、代表的な診断名ですが、
GIDや解離性障害などの、
脳や体に、原因となる病変がないにもかかわらず、
慢性的に、色々な精神症状をきたす病気では、
必ずと言ってもいいほど、自我障害が出ます。
 
器質的には、病気の原因や仕組みが、わかっていませんので、
社会生活に、支障をきたす精神の仕組みを、文学的に知ると、
必然的に、自我機能の障害に、辿(たど)りつきます。
社会性って、生殖を守り、生殖によって生じますので、当然です。
GIDのような、性の精神の障害は、
自我と生殖と社会性に、支障をきたしていることの、表れです。
自我障害と言います。
 
脳や体に、原因となる病変がないにもかかわらず、
慢性的に、色々な精神症状をきたす病気は、
すべて、GIDに誘導され得ますので、
安易に美化して、性転換を普及することは、
精神障害者を、根絶やしにする試みと、同じです。
マスコミは、ナチスの優生学を、模倣してはいけません。
 
GIDは、自滅を美化する精神状態になっていますので、
肩を持たずに、精神障害を保護しなければいけません。
統合失調症の患者さんにも、そうしているでしょう?
患者さんの言う通りのことを、宣伝したのでは、
患者さんも、社会も、もろともに自滅してしまいます。
バブル思考のGID報道は、慎むべきです。
金八先生などは、もってのほかの、最悪の例です。
 
自滅するのが良いなどと、思ってはいけません。
GIDは、自滅を実行する精神障害です。
生殖を拒否すれば、自滅するのに、決まっています。
     
心と体の性別など、一致しないのが当たり前です。
心の中の机のイメージと、心の外の実物の机とは、
違うのが当たり前です。
実物の机が、脳味噌の中に、入るわけがありません。
 
ベルクソンの言うような心のイメージを、
実際の物体と同じとするのは、定義なのです。
GIDの患者さんが、心の性別と、体の性別とが、一致しないと訴えるのは、
その心の性別は、その体の性別と、同じであると、
定義しないからです。
みんなと同じように定義するのを、拒否しているだけです。
コミュニケーションを拒否しています。
自閉症の一種です。
 
     ボスニア・ヘルツェゴビナでは、
     仲良く暮らしていた幾つかの民族が、
     社会主義の独裁政権がなくなると、
     自分達の意志を決定する仕組みも、失いました。
     住民は、以前のように、
     軍隊の行動にも、それなりの、政治的な意志を、
     決定する仕組みがあると、思い込んでいました。
 
     実際には、倒れた社会主義政権の軍隊を、
     ならず者たちが、山分けして、動かしていました。
     住民が、不当な命令に、抗議しただけで、
     目の前で、家族が殺されました。
     あれよあれよと言う間に、
     民族と民族の間の、大量虐殺になってしまいました。
 
     国民や政治家が、何も知らないのをいいことに、
     GIDの病的な判断を、唆(そそのか)して、
     一部の医師や学者が、法律を制定して、マスコミを煽るのは、
     虐殺を行なう狂気と同じでないかと、疑問を感じます。
     ナチスドイツの優生政策や、
     オウムのマインドコントロールや、
     かつての、部落解放運動の手口などを、思い出します。
 
     GID医療の指導者たちが、テロの被害を受けないように、
     やがて、弁護してあげる時代が、来ると思うと、
     やれやれ、という気持ちです。
 
     医師や学者や弁護士などが、
     患者さんの、精神の病気の症状に跨り、
     病気の勢いを借りて、政治や文化に物申し、
     保身や処世に利用しようとするのは、間違っています。
     必ずと言う自信はありませんが、
     必ず、悪い結果になるような、気がします。
     場合によっては、悪徳です。
     許してもらえる貧困ビジネスかどうか、
     患者さんが、決めるでしょう。
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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