サツマイモ 172 GID(性同一性障害)のオナニー

もう少し、畝を高くしたほうが、よかったのでは。
よその畑ですけれど、水浸しになっても、知らないよ~
サツマイモ。
 
カメラの自動機構って、
全部の光の色を合わせると、平均的に灰色になるって、
想定しているから、
画面一面が、緑色のときは、色合いが、おかしくなるみたい。
この葉っぱの緑って、利休ネズミが混じってるよ。
オリンパスのカメラだけど、
緑ばっかりだと、これはおかしいって、思わないのかしら。
測定点が、少ないのかも。
 
精神障害や性分化疾患って、男性は色覚障害の人が多いので、
色の話って、ごめんなさい。
色気や色ボケは、いいかしら…
 
精神障害や性分化疾患と、色覚障害とが、
同じ素質から発症すると言うのでは、ありません。
色覚障害ですと、それが心理的なハンディになって、
 
GIDの人が、自分の心は異性に違いないと、確信する気持ちって、
健常な人の、オナニーの気持ちに、そっくりです。
そのことに、気づいていないGIDが、少なくありません。
 
統合失調症の人は、誰かと話すように、
よく、一人ごとを言います。
 
健常な人なら、他人の気持ちを、シミュレートして、
自分も共感してみなければ、人の考え方や行動を、理解できません。
人に賛成するか、反対するかとは、また別です。
自分が採用すべき考えや、行動についても、
色々な場合を想定して、うまく行くかどうかを、
頭の中で、あらかじめ、あれやこれやと、試してみます。
 
統合失調症の人の多くは、頭の中で、類推することを、
他人のことでも、自分のことでも、
自分と誰かが、心の中で話しているように、
実際に口に出して、一人ごとのように、喋ってしまいます。
まるで、本当に、だれかと話しているようですけれど、
御本人も、本当に、だれかと話している気持ちです。
 
統合失調症の人でなくても、ただの、一人ごとのように、
口に出すだけの人なら、たくさんいます。
統合失調症の人では、他人のように確信して、
その人と話すように、口に出して、問答します。
自分の未来を想定しても、過去のことを思い出しても、
心の中の架空の自分や、思い出の自分が、
馴れ馴れしく、自分の心に、無断で上がり込んだ他人に感じられて、
本気に、その人と、口論になってしまいます。
 
どうして、君が、わたしの心の中にいるのかと。
すると、相手が、実際に口に出して、答えます。
そんな問答を、いつも一人ごとのように、喋っています。
 
GIDにも、オナニーのように、鏡に映った自分を愛するだけでなく、
性的快感を得るために、架空の人物や、理想の愛人や、
憧れの実在の人物や、夢のように美しい自分などを、空想します。
心の中で、仮に演じられた人物を、
本当の自分のように、確信してしまう人がいます。
 
嫌な人を、シミュレートすると、自分に乗り移り、
自分自身に、嫌悪感を催しますから、
嫌な人の、考えや感じ方や、不快な意見や行動などに、
共感することを、拒否します。
賛成するか、しないかは、別として、
人の心に共感しなければ、言っている意味を、理解できなくなります。
問答無用で自閉的になり、認知障害の道を進むかも知れません。
 
統合失調症の人の、思考の枠組の、
自我というタガが、弛んでしまうように、
GIDの人は、性行動のタガが弛んで、解離することから、
オナニーのように、心に空想された性別を、
体と反対の現実の性別のように、確信してしまうみたい。
御本人の訴えを信じれば、そうなってしまいます。
 
     オナニーって、異性の素敵な人を、想像するだけでなく、
     絶世の美女の自分が、若い男性を誘惑するように、
     想像する人もいます。
     反対に、誘惑された若い男性になりきって、
     想像の中に登場する若い男性の自分の、お相手として、
     他人のように、本当の自分を、登場させる人もいます。
 
     主体と客体が、簡単に入れ替わりますし、
     男女も、どちらでも構いません。
     一人称で、想像することもあれば、三人称の場合もあります。
     小説の、地の文や、映画のカメラが、どこにあるかと同じで、
     どのような立場も目線も、可能です。
 
     それどころか、人間を思い浮かべる必要も、ありません。
     動物でも、物体でも、空気でも、雰囲気でも、抽象語でも、
     雨でも風でも、何でも構いません。
     オナニーって、擦れば、気持ち良くなりますから、
     その時に、何を想像して、
     お摘みにしようが、人の勝手ですし、
     実物の亭主と、性交渉をしながら、
     わたしの心は、美しい青年と戯れる美少女かも知れませんし、
     亭主のほうも、見ず知らずの石ころと、
     取っ組み合いをしている気持ちかも知れません。
 
     オナニーにしても、実際の性交渉にしても、
     現実にこだわる必要がなく、何を想像しても構いませんから、
     想像の中身が、異性であっても、同性であっても、
     鶏や豚であっても、自由自在です。
     そのせいで、自分は同性愛であるとか、
     自分の心の性別は、体と性別と違っているとかって、
     妙なことを信じる必要なんて、全然ありません。
 
     健常な人では、そんな混同は、起こりませんので、
     心の中で、レタスやキュウリと、セックスしていても、
     現実の行動や発言は、いつも健康です。
 
     でも、GIDの人って、オナニーの時に、
     心の中で、自分が、素晴らしい男になって、登場すると、
     自分のことを、同性愛って、確信するみたい。
     実際の性交渉で、同性とエッチをすれば、
     体を手術して、生殖機能を壊さなければいけないと、
     思い込むみたいなの。
 
     現実と想像を、
     一致させなければいけないと、思い込むみたいに、
     体の性別と、心の性別を、一致させなければいけないと、
     思い込んでしまうみたいなの。
     そんなの、混線しないように、使い分ければ、仕舞いなのに。
 
     男の子が、女性の下着や衣服を、身につければ、
     性的に、気持ち良くなるのは、
     健常な男の子として、当たり前の性欲なのに、
     ちんちんを切り取らなければいけないと、思い込むみたい。
 
     御本人に尋ねると、
     女性の裸を見ても、立たないって言います。
     当たり前ですよ、
     女性の衣服を身に着ければ、気持ちよくなるように、
     射精をこらえていれば、インポテンツになりますよ。
     男の人って、江戸時代でも、
     みんな知っていますよ、そんなこと。
     たぶん、原始時代の男の子でも、
     思春期になれば、みんな知っています。
     健常なら。
     だって、小学五年生の、女の子でも、
     クチコミで知っているんだから。
 
     男の子として、正常なのに、
     GIDの子は、自分の心は女って、確信します。
     これって、発達障害ですよ。
     御本人の言うことを、信じればね。
     GIDの性別の心も、インポテンツになる心も体も、
     正常な仕組みです。
     知性のほうに、問題があるかも。
 
統合失調症の人の、だれかと話している一人ごとって、
GIDの人の、オナニーのように、
心に浮かべた自分や他人を、鏡に映して、
自分と他人との識別を、混同してしまい、
期待する性交渉の相手を、
自分のことのように、確信してしまう気持ちと、
よく似た仕組みを、共有しているように見えます。
 
自我って、人とコミュニケーションするために、
人と共通の形式によって、記憶を整理します。
そうして、他人に伝えるために、整理された自分の記憶を、
他人から聞く情報のように、理解することができるようになります。
自分の心を、他人とのコミュニケーションの形式によって、
理解しますので、
まるで、鏡に映った自分を見るように、
他人から聞く情報と、同類のものとして、
自分の心の情報を、知ることができるようになります。
 
このことを、客観と言い、
自我っていう脳の機能の仕方は、客観的な方法でなければ、
自分の心を、知ることができません。
客観は、人間特有の自我機能です。
 
それに対して、主観ってのは、
自分の記憶や、現在の感覚を、整理しようとする時に、
最初に直観的に知る手段で、
人間以外の動物と同じ方法です。
たぶん、刺激の量や種類や時間を、
刺激や、量や、種類や、時間という西洋薬学のような、
分析的なものとしてでなく、
感情として、漢方の生薬のように、総合的に認識する方法です。
 
動物と同じですけれど、
統合失調症の人が、一人ごとを言い、心の中の空想に表れる人物を、
現実の他人のように、思い込んでしまったり、
GIDの人が、オナニーのお摘みにする空想上の人物を、
鏡の中の自分のように、思い込んでしまったりする錯覚と、同じです。
感情的で主観的な、動物の認識方法から来る間違いです。
 
自我は、生殖機能を制御する人間特有の、脳の機能ですから、
当然ですけれど。
嗅覚からの情報を、自動的に処理して、
自動的に生殖を制御していた動物の機能は、人間では退化して、
自我機能に置き換えられましたけれど、
感情という動物の機能は、人間でも、現役で機能しています。
 
退化しつつあるように思いますけれど、
猫や犬や、ライオンや馬の表情を見ると、
人間も、間違いなく理解できます。
感情って、哺乳類の種類を超えて、
今も、通用しているコミュニケーションの方法ですから、凄いものです。
これが、太い尻尾のように、人間の脳味噌に残っています。
脊髄があって、脳幹があって、
中枢神経の端っこの片田舎に、大脳があるって、
太い尻尾の構造かもね。
 
目や口や鼻や耳が、尻尾に付いているってのも、
お釈迦さんが、脇の下から生まれたのと、同じくらいに、
不思議なものです。
女性に、ちんちんを作るとなると、
形成外科医は、生き甲斐を感じて、喜びます。
どうせ、どこの馬の骨か、わからないお医者に、
GIDの患者さんが、尻尾を振る犬みたいに、成り下がっているのなら、
いっそのこと、GIDの脇の下に、ちんちんを作ってみてはどうかと、
美容外科医に、薦めたことがあります。
だって、雄の犬って、片足をあげて、おしっこするんだから、
脇の下に、ちんちんがあるのと、似たようなものよね。
鎌倉時代には、千手観音の脇の下に、
千一個目の、目を作ってみた仏師もいました。
 
性別の違和感って、生殖に関する自分と他人との、
理性的な識別が、不能になる症状かも知れません。
自我障害ですけれど、
オナニーのように、自他の性別を、取り違えたみたい。
生殖を拒否すれば、性別を識別する必要も、
自他を識別する必要さえ、ありませんけれど…
形成外科医や美容外科医は、GIDのちんちんや女性器を、
作らなくてもよろしい。
 
性転換と聞けば、一般の人は、真っ先に、同性愛と共に、
男性の精力不足と、淫乱な女性を、思い浮かべるかも知れません。
でも、MtF(male to female 男から女へ)の子って、
けっこう、旺盛にエッチで、ちんちんも、大きいのが普通です。
オナニーでは、ちゃんと立つくせに、
女性の目の前では、意気地(いくじ)がないの。
 
FtMの子も、女の子としか、エッチのできない子が多く、
淫乱でありませんけれど、
女の子同士で、磁石みたいに、くっついて行動しないと、
一人では、男の子と、対等に付き合えない子が多いの。
わざわざ、自分の下腹部に、ちんちんを作って、
男の子の真似をしないと、男性と話ができないって、
淫乱や同性愛でなく、心の問題と思いません?
体のほうにも、問題のある人が多いけれど…
卵巣や卵管ね。
 
体の生殖機能に病気があって、
この先、生殖できない、結婚もできないと悲観すると、
同性愛が好きなら、この際、性転換に情熱を傾けて、
有意義な人生にしたほうが良いって、見切りをつけるのは、
人情と思います。
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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