このカマキリの子は、何を捕まえたのかしら。
八朔の実も、こんなに可愛らしい。
カマキリって、子供の頃から、人が見ていても、平気で食べます。
GIDの子や、人格障害や、統合失調症や、発達障害の子は、
子供の頃に、おしっこや、ウンチの躾に、手こずります。
授乳の時に、すでに異常が現れているの。
後々の、いちばん上っ皮のところに、
性別を訴える症状が、乗っかっています。
「発達障害は、客観的事実にこだわる。wikipediaをよく読め」って、
メールが来ました。
読みました。
このブログは、GID(性同一性障害)の人に、バレていますけれど、
メールアドレスも、出回っているのかしら。
医学的な質問が来ると、回送されて、わたしが、お答えします。
このブログに、書いていないのに、知られているのよね。
発達障害は客観的事実を見ないって、書いたかしら、わたし。
統合失調症でも、そうですけれど、
脳の器質的な原因や仕組みが、わかっていませんから、
心理症状を文学的に纏めて、
このへんの症状を、こういう診断名って、
診断基準に示して、分類しているだけです。
その分類の仕方も、
操作的って言われる人為分類が、国際的に主流です。
自然の仕組みが、わかっていないのですから、
人間のほうの、文化的な便宜によって、分類せざるを得ません。
それでも、統合失調症では、抗精神病薬の効く症状ってのが、
わりと、自然な病気の特徴に、添っているのかも知れません。
発達障害では、決め手になるお薬さえ、あるとは言えません。
治すのを諦めて、本人や周囲が、病気を受け入れることを、
治療としているぐらいです。
幼児までを中心にした発達期に、
心の成長が、生活に必要となる最低限の水準に、達することができず、
社会的に要求される能力の不足から、生活に支障をきたしていれば、
どのような症状でも、発達障害と言われる可能性があります。
たとえば、言語を使うとか、暗算をするとか、空想をするとか、
動作を協調させるとか、集中して物事を観察するとか、
一部だけでも、不足していれば、
必須の能力は、社会生活に重大な支障をきたします。
思考や記憶や論理能力などが、優秀でも、
客観的事実を把握することができない子供でしたら、
当然、発達障害と言われます。
どのような具体的な症状でも、起こり得るという点では、
統合失調症と同じです。
発達障害なら、客観的事実を見ないという症状は出ないとか、
発達障害は、客観的事実にこだわるとかと、
具体的な能力や症状が、何であるかによっては、
発達障害であるか、そうでないかは、決まりません。
発達障害の子でも、客観的事実を、よく見る子もいれば、
客観的事実を、見る能力の足りない子もいます。
そのような症状が、どれぐらいの蓋然性で出てくるかが、
統計的に調べられるだけで、
そのような症状の有無は、発達障害の診断基準になっていません。
どのような具体的な症状でも、
現れる可能性があると、思っていて下さい。
いくつかの症状のメニューを指定して、
アスペルガーやADHDや自閉症などと、
特定の診断名に纏めることもありますが、
それらでなければ、発達障害でないということも、ありません。
脳の性能の、生まれつきの異常があり、
すでに発達期に、その異常が現れて、支障をきたしていれば、
発達障害と言われます。
どのような具体的な症状も、あり得ます。
勉強不足で、wikipediaの、精神医学の項目では、
性同一性障害しか、読んだことがありませんでした。
ごめんなさい。
GIDには、客観的事実よりも、心の中の主観にこだわる人が多く、
性的快感にしがみついている人が、少なくありません。
数学みたいな、机上の定義の、辻褄合わせに強い人がいて、
ゲームのプログラムを、お仕事にしている人も、いらっしゃいます。
工場のロボットや、銀行のオンラインみたいに、
現場のお仕事の実務を知っていなければ、作れないプログラムを、
職業にしているGIDは、ほとんどいないと思います。
発達障害やGIDの症状を、病気の分類みたいに、杓子定規に言っても、
病気は治らないし、介護にならないし、
御本人や御家族の人の、生活の助けにも、苦しみの緩和にも、
ならないかも。
精神障害では、御本人の言うことを、仕訳しても、アテになりません。
統合失調症の急性期の症状ですと、診察室でも、
御本人の言葉や振る舞いに、どうしても症状が出てきますから、
強制的に入院って、言えますけれど、
統合失調症でも、自宅療養の通院治療になると、
もう、本当のことを言いませんから、GIDと同じです。
心の中だけの、本当のことって何か、
そんなもん、健常者自身にも、わかりませんよ。
GIDの人って、本を書くでしょう?
講演したり、テレビに出演したり、
新聞社の記者に、話したりするでしょう?
お医者さんにも、話します。
GIDのことを知らない人にも、話します。
そんなの全部、オウムの教義と、似たようなものです。
オウムの教義って、オウムの信者さんの、心の中の、本当のことですか。
GIDの人の言うことを聞き取って、
GIDって、こういうのですって、
学者さんは、知ったつもりに、なっていますけれど、
それって、オウムの教義を普及しているのと、同じことです。
御丁寧に、そうして知ったことを、大学の学生さんに講義しています。
オウムの時も、そんな宗教学者が、たくさんいました。
GIDの自助組織の運動と、同じことをしています。
べつに、GIDやオウムだけでなく、
任意で通院中の、大部分の統合失調症の患者さんや、
その他の、脳の器質に原因となる病変のない精神疾患の患者さんや、
受診しないけれど、人格障害と言われている人なんかも、同じです。
犯罪の常習者や、特殊教育を受けている知的障害者も、似ています。
そんなの、東京大学の学生さんにも、お医者さんにも、
当然、マスコミの人や、学者さんにも、たくさんいます。
精神障害者の御家族の人にも、少なくありません。
そのほかに、体の病気のせいで、生殖不能の人や、同性愛の人も、
GIDに盲目的に同情しますから、人口の半分ぐらいは、
オウムと、五十歩百歩です。
オウムを普及した学者さんと同じように、
GIDに同情的な人と、GIDを差別虐待する人とは、
だいたい同じ種類の人たちです。
社会の底辺では、
犯罪の加害者と、犯罪の被害者が、容易に交代するように、
心の中の世界に惑う人って、
オウムの信者さんになる人と、
オウムの信者さんを差別虐待して、オウムの住民登録を拒否する人とが、
簡単に入れ替わります。
オウムの人って、テレビにしょっちゅう、出ていたけれど、
別に、頭がおかしくなかったでしょう?
支離滅裂でなかったし、犯罪的なことも、言っていませんでした。
信教の自由って、感じでした。
でも、サリンを撒いたり、
電子レンジや、硝酸で、人を焼き殺したり、溶かしたりしていました。
みんなで、陰で疚しいことをしていました。
裏切り者を、殺していました。
GIDも、心の中で、同じことをしています。
心の中で、人を殺しても、犯罪になりませんけれど、
たぶん、みんなで精神障害になります。
人を殺すように、嫌な記憶を殺して、
嫌な人間に、吐き気を催しますから、
だんだんと、心が歪んできます。
性別の違和感って、その歪みが現れたものです。
わたしは、発達障害の動作に現れる症状や、
チックや吃音やべた足のように、
表情や発声や運動に現れる症状や、
耳の聞こえや、幻聴や幻嗅や幻視のように、
目で見たり、手で触ったり、耳で聞いたりして、
直接に知り得る異常を、精神の病気の症状として、
大切にしています。
御本人の訴えるような、心の中だけのことを、
粗末に扱うわけではありませんけれど、
嘘か本当か、わからないでしょう?
脳や体の器質に、原因となる病変のない精神疾患では、
御本人の訴えの言葉が、病気の症状だったりします。
嘘か本当か、わからないことを、ダミーにしようとするのが、
見掛けの最大の症状になります。
オウムと同じ仕組みなんですよ。
患者さんの、心の中の苦しみって、
患者さんの日常生活を、しっかり見れば、
その意味がわかります。
言葉の中だけから、答えを見つけ出そうとするのは、
ただの修辞です。
「発達障害は、客観的事実を見ている」なんてのが、それ。
わたしたちは、目に見えたものを、
全部、丸覚えできないでしょう?
要点や、あらすじだけを覚えたり、
興味のある部分や、嫌な部分だけを、覚えたりするでしょう?
事実って、そういう抽象です。
同じ事実を見れば、
どの人にも、だいたい同じように見えるのは、
どの人も、同じような文化や趣味を、持っているからです。
客観的事実ってのが、成り立つのは、
人と人との、コミュニケーションによって、
共通の情報を得られるからです。
ステレオタイプの典型なんですよ、事実って。
メールをくれた人は、
もう少し、ゆっくりと考えてください。
患者さんの日常生活を見るには、
こちらの身分や地位を隠して、GIDのような顔をして、
患者さんの仲間内に、それとなく、入り込む必要があります。
オウムでは、スパイと言われて、殺されました。
患者さんの言うことを、信じていたのでは、
オウムのお先棒を担ぐのと、同じになります。
統合失調症の人の言うことは、軽快しない人の場合、
発症して30年も経てば、全部が妄想になります。
日常の実用的な会話や動作まで、
全部、妄想を根拠にして、妄想の裏付けを、持っています。
妄想には、統合失調症のように、
切実な被害意識を伴う妄想もあれば、
解離性障害や人格障害のように、
被害意識の少ない妄想や、強迫観念のようなのもあります。
統合失調症のように、支離滅裂になる人もいれば、
人格障害のように、
言葉や行動の、しっかりしている人もいますが、
患者さんの御家族にとっては、
統合失調症よりも、人格障害のほうが、遙かに厄介で、
介護疲れから、御家族のほうが、自殺してしまいます。
統合失調症のように、
誰かと話して、一人ごとを言う人もいれば、
GIDのように、心の中の人と自分とを、
鏡に映さなければ、識別できなくなり、
鏡のように、前後左右が逆転して、
人生が、オナニーのようになる人もいます。
統合失調症のように、いつも自分の心の中を、
覗かれている気持ちになる人もいれば、
GIDのように、人に積極的に嘘をついて、
嘘を自覚しない人もいます。
これらは、全部、同じ精神の病気の、裏腹の症状です。
脳の器質に、原因となる病変がないのに、
精神疾患が現れます。
GIDのように、精神疾患の中で、
ヒステリーの、最も極端な症状では、
本人が自分から訴えることは、
すべて、病気を隠して、偽るための演技に近く、
裏に、どのような病気があるかを、知りたければ、
この人たちと、同じ顔をして、
知らん顔で、日常生活を観察するしかありません。
GID(性同一性障害)の人には、
わたしのブログを、一日分、読んだだけでも、
吐き気がして、実際に気絶する人が、少なくありません。
一日分の、途中までしか読んでいなくても、
わたしの患者さんのことを、可哀想だって、
GIDの人は言います。
わたしのブログを、一日分たりとも、読む能力がないのに、
途中まで読めば、すべてがわかるそうです。
GIDの患者さんの書いた本や、
GIDを煽って儲けている新聞記者や、学者さんの書いた本や、
専門医と称する医師の書いた本は、何十冊も読んでいます。
少しも吐き気を催しません。
これって、統合失調症の大部分の人と、同じです。
自分と同じ感情や、同じ意見の人の話しか、理解できません。
世界が、自分と同じクローンなら、つまらないのに。
統合失調症とGIDとは、見掛けの症状は違いますけれど、
GIDの25%ぐらいの人は、
たぶん、統合失調症と、基礎的な仕組みが同じで、
もしかしたら、統合失調症よりも、重症の人かも知れません。
吐き気を催すのでしたら、読まないほうがいいけれど、
それですと、きっと、生きる道がなくなり、
引きこもった先が、統合失調症の、妄想の世界や、
GIDの吹き溜まりの、仲間社会などになります。
吐き気を催さないように、対策を講じて、
症状を亢進させないようにするのが、たぶん順当です。
患者さんは、やってみたと、言いますけれど、
関西の人が、納豆を食べる練習をするようなものなの。
東京の人は、納豆には、糸引き納豆と、塩納豆の、
二種類があるって、言いますけれど、
関西の人は、腐った納豆と、甘納豆の、
二種類があると言います。
関西の人に、糸引き納豆を食べてもらっても、
吐き気を催すそうで、何度、練習しても、
目を瞑って、呑み込むのが、限界で、
思う存分、堪能できるほど、好きにはなれないそうです。
絶食療法の後に、お粥を食べて、糸引き納豆を食べても、
やっぱり、吐いてしまいます。
絶食って、何も食べないのが、すごく気持ちよくなり、
身も心も、清浄になって、
人生と世界の真理を、達観したような、
すがすがしい気持ちになるそうです。
一生懸命、汗をかいて、峠まで登り詰め、
反対側の景色を見た時のような、未知との遭遇ね。
今まで、見たこともない、奇麗な色を見たとか、
天国の音楽を聞いたとかと、言う人もいます。
幻覚です。
食べ物のような汚物を、
二度と体の中に、取り込みたくないと、確信しますので、
絶食を、勝手に個人で実行するのは、危険です。
拒食症のような、精神障害者でないと、無理かもね。
食べないと餓死するっていう先入観がありますので、
3日も食べないと、死にそうな不安や恐怖のせいで、
絶食を続けられなくなります。
飢饉や戦争のせいで、すごく、おなかがすいて、
死んだ人の、お肉を食べてしまうのも、
たいてい、餓死するっていう先入観が原因です。
文化的な先入観を、除去すれば、
絶食は、気持ちよくなるみたい。
絶食療法では、お医者さんが、安全を保証してくれるので、
患者さんは、安心できます。
お薬を使わずに、水だけの絶食療法をしている病院もあって、
二週間ぐらいは、軽作業もできます。
畑に出て、イチゴを収穫するような作業ね。
少なくとも、健康な人が3日間、食べなかっただけで、
へこたれることは、ありません。
韓国や中国の人は、ハンガーストライキをしても、
3日間ぐらいで、よくリタイアします。
どこかの、お医者さんの息子さんが、
英語講師の、イギリス人の女性を殺して、
整形手術を受けて、逃げていましたけれど、
逮捕されてから、二週間、絶食して、切り上げたそうです。
順当なところでしょう。
期間ね。
ひょっとしたら、達観したかも知れません。
1人しか、殺していませんから、死刑になりません。
食べた後、たぶん、元に戻ったと思います。
絶食すると、食べ物を、汚らわしく思うのが普通ですから、
絶食の後、関西の人が納豆を食べても、
かえって、吐き気を催して、
一層、納豆が嫌いになるかも知れません。
飢えるほど、おなかをすかせても、
嫌いなものを、好きにはなれないのが、普通です。
京都の嵐山に、ニホンザルが住んでいます。
餌付けで増えすぎたので、一つのグループを捕獲して、
九州の山に、放しました。
ところが、何十匹かのうち、数匹を除いて、
みんな餓死しちゃいました。
九州の山には、食べ物になる木の実が、たくさんあるって、
事前の調査で、わかっています。
それなのに、京都育ちのお猿さんは、
九州の木の実を食べずに、餓死しちゃったの。
京都と九州の山では、植生が違うので、
九州の木の実は、京都にありませんでした。
京都の木の実も、九州にありません。
それで、食べずに、餓死しちゃったの。
ところが、お猿さんって、
雄は成人すると、群を離れて、武者修行に出ます。
よその群に、居場所を見つけて、受け入れてもらいます。
だから、女系社会なの。
女が、家に残って、男が放浪して、よその群の婿になるの。
ライオンも、そうよね。
嵐山には、九州出身の、お猿さんがいました。
九州から放浪して、京都まで渡り歩くんですよ。
そして、嵐山に居場所を見つけた雄の猿が、数匹いて、
彼らは、九州に送られた後も、生き残りました。
京都の食べ物も、九州の食べ物も、両方を知っていたの。
それも、成人してから、放浪するから、
けっして、幼児の頃に、両方を習得したのでありません。
可愛い子には、旅をさせろって、言うでしょう?
お猿さんの時代からの、伝統なの。
数匹だけが、生き残りました。
餓死したお猿さんは、餌付けのせいで、甘やかされていたのかも。
嫌なものを、許容できない我が儘な心って、
死ぬところまで、行きます。
食べ物があっても、食べません。
そんなの、食べ物でないって言って、餓死します。
GID(性同一性障害)と同じかも知れません。
けっして、幼児期の躾でなく、生まれつきでもなく、
思春期以後や、成人してからの、今の生き方や、文化に、
問題があるのかも知れません。
現代日本のGIDの場合は、バブル病かもね。
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