つゆあけ 168 性別の訴え

このカマキリの子は、何を捕まえたのかしら。
八朔の実も、こんなに可愛らしい。
カマキリって、子供の頃から、人が見ていても、平気で食べます。
 
GIDの子や、人格障害や、統合失調症や、発達障害の子は、
子供の頃に、おしっこや、ウンチの躾に、手こずります。
授乳の時に、すでに異常が現れているの。
 
後々の、いちばん上っ皮のところに、
性別を訴える症状が、乗っかっています。
 
「発達障害は、客観的事実にこだわる。wikipediaをよく読め」って、
メールが来ました。
読みました。
このブログは、GID(性同一性障害)の人に、バレていますけれど、
メールアドレスも、出回っているのかしら。
 
医学的な質問が来ると、回送されて、わたしが、お答えします。
このブログに、書いていないのに、知られているのよね。
 
発達障害は客観的事実を見ないって、書いたかしら、わたし。
統合失調症でも、そうですけれど、
脳の器質的な原因や仕組みが、わかっていませんから、
心理症状を文学的に纏めて、
このへんの症状を、こういう診断名って、
診断基準に示して、分類しているだけです。
 
その分類の仕方も、
操作的って言われる人為分類が、国際的に主流です。
自然の仕組みが、わかっていないのですから、
人間のほうの、文化的な便宜によって、分類せざるを得ません。
 
それでも、統合失調症では、抗精神病薬の効く症状ってのが、
わりと、自然な病気の特徴に、添っているのかも知れません。
 
発達障害では、決め手になるお薬さえ、あるとは言えません。
治すのを諦めて、本人や周囲が、病気を受け入れることを、
治療としているぐらいです。
幼児までを中心にした発達期に、
心の成長が、生活に必要となる最低限の水準に、達することができず、
社会的に要求される能力の不足から、生活に支障をきたしていれば、
どのような症状でも、発達障害と言われる可能性があります。
 
たとえば、言語を使うとか、暗算をするとか、空想をするとか、
動作を協調させるとか、集中して物事を観察するとか、
一部だけでも、不足していれば、
必須の能力は、社会生活に重大な支障をきたします。
 
思考や記憶や論理能力などが、優秀でも、
客観的事実を把握することができない子供でしたら、
当然、発達障害と言われます。
どのような具体的な症状でも、起こり得るという点では、
統合失調症と同じです。
 
発達障害なら、客観的事実を見ないという症状は出ないとか、
発達障害は、客観的事実にこだわるとかと、
具体的な能力や症状が、何であるかによっては、
発達障害であるか、そうでないかは、決まりません。
 
発達障害の子でも、客観的事実を、よく見る子もいれば、
客観的事実を、見る能力の足りない子もいます。
そのような症状が、どれぐらいの蓋然性で出てくるかが、
統計的に調べられるだけで、
そのような症状の有無は、発達障害の診断基準になっていません。
どのような具体的な症状でも、
現れる可能性があると、思っていて下さい。
 
いくつかの症状のメニューを指定して、
アスペルガーやADHDや自閉症などと、
特定の診断名に纏めることもありますが、
それらでなければ、発達障害でないということも、ありません。
脳の性能の、生まれつきの異常があり、
すでに発達期に、その異常が現れて、支障をきたしていれば、
発達障害と言われます。
どのような具体的な症状も、あり得ます。
 
勉強不足で、wikipediaの、精神医学の項目では、
性同一性障害しか、読んだことがありませんでした。
ごめんなさい。
GIDには、客観的事実よりも、心の中の主観にこだわる人が多く、
性的快感にしがみついている人が、少なくありません。
 
数学みたいな、机上の定義の、辻褄合わせに強い人がいて、
ゲームのプログラムを、お仕事にしている人も、いらっしゃいます。
 
工場のロボットや、銀行のオンラインみたいに、
現場のお仕事の実務を知っていなければ、作れないプログラムを、
職業にしているGIDは、ほとんどいないと思います。
 
発達障害やGIDの症状を、病気の分類みたいに、杓子定規に言っても、
病気は治らないし、介護にならないし、
御本人や御家族の人の、生活の助けにも、苦しみの緩和にも、
ならないかも。
 
精神障害では、御本人の言うことを、仕訳しても、アテになりません。
統合失調症の急性期の症状ですと、診察室でも、
御本人の言葉や振る舞いに、どうしても症状が出てきますから、
強制的に入院って、言えますけれど、
統合失調症でも、自宅療養の通院治療になると、
もう、本当のことを言いませんから、GIDと同じです。
心の中だけの、本当のことって何か、
そんなもん、健常者自身にも、わかりませんよ。
 
GIDの人って、本を書くでしょう?
講演したり、テレビに出演したり、
新聞社の記者に、話したりするでしょう?
お医者さんにも、話します。
GIDのことを知らない人にも、話します。
 
そんなの全部、オウムの教義と、似たようなものです。
オウムの教義って、オウムの信者さんの、心の中の、本当のことですか。
GIDの人の言うことを聞き取って、
GIDって、こういうのですって、
学者さんは、知ったつもりに、なっていますけれど、
それって、オウムの教義を普及しているのと、同じことです。
御丁寧に、そうして知ったことを、大学の学生さんに講義しています。
オウムの時も、そんな宗教学者が、たくさんいました。
GIDの自助組織の運動と、同じことをしています。
 
べつに、GIDやオウムだけでなく、
任意で通院中の、大部分の統合失調症の患者さんや、
その他の、脳の器質に原因となる病変のない精神疾患の患者さんや、
受診しないけれど、人格障害と言われている人なんかも、同じです。
犯罪の常習者や、特殊教育を受けている知的障害者も、似ています。
そんなの、東京大学の学生さんにも、お医者さんにも、
当然、マスコミの人や、学者さんにも、たくさんいます。
精神障害者の御家族の人にも、少なくありません。
 
そのほかに、体の病気のせいで、生殖不能の人や、同性愛の人も、
GIDに盲目的に同情しますから、人口の半分ぐらいは、
オウムと、五十歩百歩です。
オウムを普及した学者さんと同じように、
GIDに同情的な人と、GIDを差別虐待する人とは、
だいたい同じ種類の人たちです。
 
社会の底辺では、
犯罪の加害者と、犯罪の被害者が、容易に交代するように、
心の中の世界に惑う人って、
オウムの信者さんになる人と、
オウムの信者さんを差別虐待して、オウムの住民登録を拒否する人とが、
簡単に入れ替わります。
 
オウムの人って、テレビにしょっちゅう、出ていたけれど、
別に、頭がおかしくなかったでしょう?
支離滅裂でなかったし、犯罪的なことも、言っていませんでした。
信教の自由って、感じでした。
でも、サリンを撒いたり、
電子レンジや、硝酸で、人を焼き殺したり、溶かしたりしていました。
みんなで、陰で疚しいことをしていました。
裏切り者を、殺していました。
 
GIDも、心の中で、同じことをしています。
心の中で、人を殺しても、犯罪になりませんけれど、
たぶん、みんなで精神障害になります。
人を殺すように、嫌な記憶を殺して、
嫌な人間に、吐き気を催しますから、
だんだんと、心が歪んできます。
性別の違和感って、その歪みが現れたものです。
 
     わたしは、発達障害の動作に現れる症状や、
     チックや吃音やべた足のように、
     表情や発声や運動に現れる症状や、
     耳の聞こえや、幻聴や幻嗅や幻視のように、
     目で見たり、手で触ったり、耳で聞いたりして、
     直接に知り得る異常を、精神の病気の症状として、
     大切にしています。
 
     御本人の訴えるような、心の中だけのことを、
     粗末に扱うわけではありませんけれど、
     嘘か本当か、わからないでしょう?
     脳や体の器質に、原因となる病変のない精神疾患では、
     御本人の訴えの言葉が、病気の症状だったりします。
     嘘か本当か、わからないことを、ダミーにしようとするのが、
     見掛けの最大の症状になります。
     オウムと同じ仕組みなんですよ。
 
     患者さんの、心の中の苦しみって、
     患者さんの日常生活を、しっかり見れば、
     その意味がわかります。
     言葉の中だけから、答えを見つけ出そうとするのは、
     ただの修辞です。
 
     「発達障害は、客観的事実を見ている」なんてのが、それ。
     わたしたちは、目に見えたものを、
     全部、丸覚えできないでしょう?
     要点や、あらすじだけを覚えたり、
     興味のある部分や、嫌な部分だけを、覚えたりするでしょう?
     事実って、そういう抽象です。
 
     同じ事実を見れば、
     どの人にも、だいたい同じように見えるのは、 
     どの人も、同じような文化や趣味を、持っているからです。
     客観的事実ってのが、成り立つのは、
     人と人との、コミュニケーションによって、
     共通の情報を得られるからです。
     ステレオタイプの典型なんですよ、事実って。
     メールをくれた人は、
     もう少し、ゆっくりと考えてください。
 
     患者さんの日常生活を見るには、
     こちらの身分や地位を隠して、GIDのような顔をして、
     患者さんの仲間内に、それとなく、入り込む必要があります。
     オウムでは、スパイと言われて、殺されました。
 
     患者さんの言うことを、信じていたのでは、
     オウムのお先棒を担ぐのと、同じになります。
     統合失調症の人の言うことは、軽快しない人の場合、
     発症して30年も経てば、全部が妄想になります。
     日常の実用的な会話や動作まで、
     全部、妄想を根拠にして、妄想の裏付けを、持っています。
 
     妄想には、統合失調症のように、
     切実な被害意識を伴う妄想もあれば、
     解離性障害や人格障害のように、
     被害意識の少ない妄想や、強迫観念のようなのもあります。
     統合失調症のように、支離滅裂になる人もいれば、
     人格障害のように、
     言葉や行動の、しっかりしている人もいますが、
     患者さんの御家族にとっては、
     統合失調症よりも、人格障害のほうが、遙かに厄介で、
     介護疲れから、御家族のほうが、自殺してしまいます。
 
     統合失調症のように、
     誰かと話して、一人ごとを言う人もいれば、
     GIDのように、心の中の人と自分とを、
     鏡に映さなければ、識別できなくなり、
     鏡のように、前後左右が逆転して、
     人生が、オナニーのようになる人もいます。
     統合失調症のように、いつも自分の心の中を、
     覗かれている気持ちになる人もいれば、
     GIDのように、人に積極的に嘘をついて、
     嘘を自覚しない人もいます。
 
     これらは、全部、同じ精神の病気の、裏腹の症状です。
     脳の器質に、原因となる病変がないのに、
     精神疾患が現れます。
     GIDのように、精神疾患の中で、
     ヒステリーの、最も極端な症状では、
     本人が自分から訴えることは、
     すべて、病気を隠して、偽るための演技に近く、
     裏に、どのような病気があるかを、知りたければ、
     この人たちと、同じ顔をして、
     知らん顔で、日常生活を観察するしかありません。
 
     GID(性同一性障害)の人には、
     わたしのブログを、一日分、読んだだけでも、
     吐き気がして、実際に気絶する人が、少なくありません。
     一日分の、途中までしか読んでいなくても、
     わたしの患者さんのことを、可哀想だって、
     GIDの人は言います。
     わたしのブログを、一日分たりとも、読む能力がないのに、
     途中まで読めば、すべてがわかるそうです。
     GIDの患者さんの書いた本や、
     GIDを煽って儲けている新聞記者や、学者さんの書いた本や、
     専門医と称する医師の書いた本は、何十冊も読んでいます。
     少しも吐き気を催しません。
     
     これって、統合失調症の大部分の人と、同じです。
     自分と同じ感情や、同じ意見の人の話しか、理解できません。
     世界が、自分と同じクローンなら、つまらないのに。
     統合失調症とGIDとは、見掛けの症状は違いますけれど、
     GIDの25%ぐらいの人は、
     たぶん、統合失調症と、基礎的な仕組みが同じで、
     もしかしたら、統合失調症よりも、重症の人かも知れません。
 
     吐き気を催すのでしたら、読まないほうがいいけれど、
     それですと、きっと、生きる道がなくなり、
     引きこもった先が、統合失調症の、妄想の世界や、
     GIDの吹き溜まりの、仲間社会などになります。
     吐き気を催さないように、対策を講じて、
     症状を亢進させないようにするのが、たぶん順当です。
 
     患者さんは、やってみたと、言いますけれど、
     関西の人が、納豆を食べる練習をするようなものなの。
     東京の人は、納豆には、糸引き納豆と、塩納豆の、
     二種類があるって、言いますけれど、
     関西の人は、腐った納豆と、甘納豆の、
     二種類があると言います。
     
     関西の人に、糸引き納豆を食べてもらっても、
     吐き気を催すそうで、何度、練習しても、
     目を瞑って、呑み込むのが、限界で、
     思う存分、堪能できるほど、好きにはなれないそうです。
 
     絶食療法の後に、お粥を食べて、糸引き納豆を食べても、
     やっぱり、吐いてしまいます。
     絶食って、何も食べないのが、すごく気持ちよくなり、
     身も心も、清浄になって、
     人生と世界の真理を、達観したような、
     すがすがしい気持ちになるそうです。
     一生懸命、汗をかいて、峠まで登り詰め、
     反対側の景色を見た時のような、未知との遭遇ね。
     今まで、見たこともない、奇麗な色を見たとか、
     天国の音楽を聞いたとかと、言う人もいます。
     幻覚です。
 
     食べ物のような汚物を、
     二度と体の中に、取り込みたくないと、確信しますので、
     絶食を、勝手に個人で実行するのは、危険です。
     拒食症のような、精神障害者でないと、無理かもね。
     食べないと餓死するっていう先入観がありますので、
     3日も食べないと、死にそうな不安や恐怖のせいで、
     絶食を続けられなくなります。
     飢饉や戦争のせいで、すごく、おなかがすいて、
     死んだ人の、お肉を食べてしまうのも、
     たいてい、餓死するっていう先入観が原因です。
     
     文化的な先入観を、除去すれば、
     絶食は、気持ちよくなるみたい。
     絶食療法では、お医者さんが、安全を保証してくれるので、
     患者さんは、安心できます。
     お薬を使わずに、水だけの絶食療法をしている病院もあって、
     二週間ぐらいは、軽作業もできます。
     畑に出て、イチゴを収穫するような作業ね。
     少なくとも、健康な人が3日間、食べなかっただけで、
     へこたれることは、ありません。
     韓国や中国の人は、ハンガーストライキをしても、
     3日間ぐらいで、よくリタイアします。
     
     どこかの、お医者さんの息子さんが、
     英語講師の、イギリス人の女性を殺して、
     整形手術を受けて、逃げていましたけれど、
     逮捕されてから、二週間、絶食して、切り上げたそうです。
     順当なところでしょう。
     期間ね。
     ひょっとしたら、達観したかも知れません。
     1人しか、殺していませんから、死刑になりません。
     食べた後、たぶん、元に戻ったと思います。
 
     絶食すると、食べ物を、汚らわしく思うのが普通ですから、
     絶食の後、関西の人が納豆を食べても、
     かえって、吐き気を催して、
     一層、納豆が嫌いになるかも知れません。
     飢えるほど、おなかをすかせても、
     嫌いなものを、好きにはなれないのが、普通です。
 
京都の嵐山に、ニホンザルが住んでいます。
餌付けで増えすぎたので、一つのグループを捕獲して、
九州の山に、放しました。
ところが、何十匹かのうち、数匹を除いて、
みんな餓死しちゃいました。
九州の山には、食べ物になる木の実が、たくさんあるって、
事前の調査で、わかっています。
それなのに、京都育ちのお猿さんは、
九州の木の実を食べずに、餓死しちゃったの。
     
京都と九州の山では、植生が違うので、
九州の木の実は、京都にありませんでした。
京都の木の実も、九州にありません。
それで、食べずに、餓死しちゃったの。
 
ところが、お猿さんって、
雄は成人すると、群を離れて、武者修行に出ます。
よその群に、居場所を見つけて、受け入れてもらいます。
だから、女系社会なの。
女が、家に残って、男が放浪して、よその群の婿になるの。
ライオンも、そうよね。
     
嵐山には、九州出身の、お猿さんがいました。
九州から放浪して、京都まで渡り歩くんですよ。
そして、嵐山に居場所を見つけた雄の猿が、数匹いて、
彼らは、九州に送られた後も、生き残りました。
京都の食べ物も、九州の食べ物も、両方を知っていたの。
それも、成人してから、放浪するから、
けっして、幼児の頃に、両方を習得したのでありません。
 
可愛い子には、旅をさせろって、言うでしょう?
お猿さんの時代からの、伝統なの。
数匹だけが、生き残りました。
餓死したお猿さんは、餌付けのせいで、甘やかされていたのかも。 
     
嫌なものを、許容できない我が儘な心って、
死ぬところまで、行きます。
食べ物があっても、食べません。
そんなの、食べ物でないって言って、餓死します。
 
GID(性同一性障害)と同じかも知れません。
けっして、幼児期の躾でなく、生まれつきでもなく、
思春期以後や、成人してからの、今の生き方や、文化に、
問題があるのかも知れません。
現代日本のGIDの場合は、バブル病かもね。     
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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