JR吉倉トンネル 161 知的障害

横須賀の吉倉町から、横須賀本港と、JR横須賀線です。
自衛隊の桟橋と、青緑の蒲鉾屋根の、横須賀地方総監部と、
奥のほうに、ダイエーのベージュ色の建物が見えます。
トンネルは、JRの吉倉トンネル。
これを抜けると、横須賀駅です。
芥川龍之介の、『蜜柑』という短編に出てくるトンネルは、これかも。
 
左手前の建物は、湘南アフタケア協会。
昔は、結核専門の社会復帰施設でしたけれど、
今は、内臓疾患全般の、社会復帰施設になっています。
ここの番地が、吉倉町無番地なんだって。
線路の右手の、草木の生い茂っている所は、吉倉公園。
トンネルの上は、立入禁止の第二臨海公園の山。
 
知的障害者って、放置されると、差別虐待されます。
特殊教育を受けても、一般社会の中で、虐待されないように、
ひたすら、抵抗せずに逃げることを、教える必要があります。
交通信号をよく見て、車に注意して、走って逃げるように、教えます。
そうでなければ、自分から暴力を振るう子に、育ちかねません。
 
山下清という貼り絵の画家が、そうでしたけれど、
軽い知的障害者は、よく暴力を振るいます。
粗暴な刑事犯罪の常習者は、
ほとんどが、IQ70~90ぐらいの、軽い知的障害者です。
 
発達障害には、客観的な知能検査で測れる知的障害の人と、
客観的な知能検査では、測れない知的障害の人とがいて、
測れない知的障害のほうを、知的障害以外の発達障害と言います。
 
人間では、原因となる器質的な病変の、確認できない発達障害は、
体の動作に、症状が現れていなければ、すべて知的障害ですけれど、
客観的な知能検査では、測れない知的障害が、少なくありません。
便宜的に、知的障害以外の発達障害と言います。
客観的に測れませんから、
東京大学出身のお医者さんの中にも、たくさんいます。
 
性同一性障害(GID)は、知的障害の一種ですけれど、
客観的な知能検査では、測れませんので、
便宜的に、知的障害以外の発達障害と言われています。
 
どうして、客観的な検査で計り知れないのに、
知的障害って、わかるかって言うと、
人格障害として、症状が現れているからです。
診断名として、子供の頃は、人格障害と診断されませんけれど、
性格に、歴然と現れています。
 
でも、性格って、客観的に測れません。
人と同じことが、できない、わからない、と言うだけです。
たとえば、人を殺してはいけないのが、
わかりません、共感できません。
東京大学に入学できる知能や学力があるのに、
理解できません、実感できません。
悪いことをしてはいけないと、わかりませんから、
屁理屈で、遠回りに理解しなければならず、
処理速度が遅くなり、間違いが多くなります。
  
こういうのを、性格が歪んでいる、偏っていると言い、
成人なら、人格障害と診断されます。
 
未成年でも、神戸の酒鬼薔薇君のような性格です。
知的障害者の首を切り取って、学校の校門に、展示した子です。
被害者の知的障害者のお父さんは、お医者さんでした。
客観的には、知能検査にも、学力検査にも現れませんから、
性格がおかしいとしか、言えません。
仕方なく、便宜的に、知的障害以外の発達障害と言いますけれど、
理屈から言うと、知的障害の一種です。
 
苦痛を避けて、快感を求める行動を、
生存や生殖に、一致させることができません。
短期的な苦痛や快感と、長期的な苦痛や快感との、
折り合いをつけられません。
 
刺激に反応して、自動的に、苦痛や快感として感じられる回路の、
ほんの一部は、生まれつきに変更不能な、
臓器の自律運動のようなものに、固く癒着しているかも知れませんが、
ほとんどは、変更可能な、些細な条件反射の回路です。
3才以降も、蜥蜴の尻尾切りのように、
麻痺させたり遮断したり、壊死させたりすることが可能です。
 
人間って、先天的な動物由来の能力を、たくさん、受け継いでいます。
誕生後の、人間生活に不必要なものは、臨機応変に処分しますけれど、
捨ててしまって、困ることもありますので、
何を捨てて、何を保存して置くかは、とても大切な判断です。
知能は、脳の神経細胞の、アポトーシスに関与していますけれど、
客観的とされる知能検査や学力検査などでは、測れません。
この能力の不足を、性格の個性とも、人格障害とも、言います。
アポトーシスって、細胞の自死ね。
 
簡単に言うと、よく使う神経細胞は、千手観音みたいに、立派になり、
使わない神経細胞は、壊死します。
それが健常ですけれど、赤ちゃんにとって、生活環境が過酷であったり、
脳のアポトーシスが、うまく行かない生理的仕組みがあったりすると、
動物のように、共食いや殺し合いの回路を残したまま、
人間社会で生きていく羽目になるかも知れません。
 
もっと簡単に言うと、忘れる機能に、障害があるの。
そのほうが、東京大学の理科3類に、
首席で合格しやすいぐらいですから、
いくらでも、個性的なお医者さんになれます。
うまく忘れるのも、知能の大切な要素ですけれど、
知能検査や学力検査では、客観的に測れないでしょう?
怨みを忘れなかったヒトラーや、スターリンよりも、
性同一性障害(GID)のほうが、優秀かも知れませんので、
頑張ってください。
 
ほんとうのことを言うと、
悪いことをしてはいけない、人を殺してはいけないと、
わかるようにするのが、治療ですけれど、
東大出身の、たとえば外科のお医者さんを、実際に治療できます?
法的に強制力がないのに、説得できますか。
本人は、一蹴するのに決まっています。
GID医療って、そんな人を、性転換に導いていますので、
これをよしとするか、否かは、一概に決められません。
 
     GIDの人たちは、体の性別に適応できないと、
     御本人は言いますけれど、
     実際は、体の性別の社会にも、その反対の性別の社会にも、
     どちらにも適応できません。
     性別には関係なく、社会に適応できませんけれど、
     御本人たちは、性別が違うので、適応できないと言い、
     性転換すれば、きっと適応できると、主張します。
 
     あるいは、性転換までは望まないけれど、
     性別の違うことを正当であると、世間が認めれば、
     適応できると言います。
 
     実際に性転換しても、
     お世辞にも、適応できているとは、言えません。
     世間から、浮き上がって、
     性転換者ばかりの、狭い仲間内社会に、
     たむろしているのが、実態ですけれど、
     GIDを差別しないように、
     一般社会に呼びかける社会運動によって、
     かろうじて、虐められずに、
     性転換後の性別社会に、入れてもらっています。
 
     性別が違うのは、体のことであれ、心のことであれ、
     病気の証拠ですので、
     世間が、それを正当と認めることは、ありません。
     性分化疾患のように、
     体のことが原因で、戸籍の性別が不相応ならば、
     体の病気ですし、
     体に異常がないのに、体の性別を許容できなければ、
     心の病気です。
     両方を兼ねている人も、います。
 
     社会運動の利益を得るには、
     性同一性障害(GID)であることを、
     周囲に言わなければいけません。
     そのことを、カミングと言います。
 
     知的障害者のことを、
     この人は知的障害だから、虐めてはいけませんと言い、
     虐めを防ぐのと同じように、
     GIDの社会運動は、GIDが虐められないように、
     GIDであることを、おおっぴらにする運動を行ないます。
     現在のGIDの社会運動と、カミングは、
     どうしても、切り離せない関係にあります。
     カミングをしなければ、運動をしても意味がありませんので、
     GIDの専門医と自称する人たちは、
     自助組織の運動やカミングを、盛んに煽る傾向があります。
 
     同性愛のカミングまで、奨める医師もいます。
     性交渉の趣味を、人におおっぴらに言うのが、いいのかしら。
     なにか、昔の部落解放運動と、間違えているのかも知れません。
 
     欧米では、同性愛や異性装に、
     公然とした差別や虐待がありましたけれど、
     日本は、同性愛や異性装を、
     江戸時代から、文化や趣味のことと、理解していました。
     生殖不能の体の病気や、生殖拒否の精神障害と、
     文化や趣味の、同性愛や異性装を、混同していませんでした。
     精神の病気をカミングするのは、いいことなのかしら。
     オカルト宗教と、どう違うのかしら。
 
     かつて、性転換医療を、法的に、公然と認めることに、
     日本で反対した医師は、ほとんどいませんでした。
     でも、GIDの、ホルモン療法や、性転換手術などが
     精神障害の有効な治療法と、考えている医師は、
     1%程度しかいません。
 
     性転換医療は、そのほかに、カミングと、自助組織の運動が、
     反対意見の、圧倒的に多いところです。
 
     カミングは、事実上、一般社会との訣別宣言であり、
     刺青を見せびらかすように、社会から浮き上がって、
     孤立して生きようとします。
     やくざのように、仲間同士の連帯が、頼りです。
 
     自閉を促すものでないかとも、言われてます。
     自助組織の運動は、
     仲間内のマインドコントロールのようなもので、
     オカルトや、集団ヒステリーの一種でないかと、
     疑われています。
     病気を治そうとしないで、
     病気を正当化して、猖獗させようとしているように見えます。
 
     病識がなければ、統合失調症でも、解離性同一性障害でも、
     同じことになりますけれど、
     性転換をしたいと強く望むことを、病気としながら、
     病気の治療と称して、医療が性転換を実施しますから、
     仕方ありません。
 
     統合失調症の患者さんの多くは、眠れないと言いますので、
     たとえば、ベンゾジアゼピン系のお薬を出しますけれど、
     実際には、自宅療養中の患者さんの多くは、
     よく眠っているのに、眠れないと訴えます。
     病気の症状の一つですけれど、
     睡眠薬を出して、眠れるようにしてあげるのを、
     治療と称します。
 
     精神科だけでなく、どの診療科でも、
     患者さんの要求に答えるのが、治療の大部分です。
     痛いと言えば、痛み止めを出します。
     痛いと言うのは、痛み止めが欲しい、と言っているのと、
     同じ意味の場合が、ほとんどです。
     痛いのが、病気の症状ですから、
     痛み止めが欲しいというのは、病気です。
     痛み止めが欲しいという病気に対して、
     痛み止めを出すことを、治療とします。
     
     性同一性障害(GID)には、基礎疾患があり、
     その症状として、
     性転換したいとか、性別が違うとかと、訴えます。
     基礎疾患のほうを、病気として一つの診断名に纏めて、
     性転換を治療法とすれば、わかりやすいのですが、
     研究が足りなかったので、
     性転換の望みや、性別が違うと訴えることを、
     応急に、一つの診断名に纏めたまでです。
 
     カミングや自助組織について、
     GIDを、オウムの指導者と同じように、健常に近いと見るか、
     知能検査や学力検査には現れずに、
     東京大学の医学部にも進学できるものの、
     知的障害の一種と見るか、
     それとも、統合失調症の希釈液のような、
     あるいは、ガス抜き症状のようなものと見るかによって、
     意見が違って来るかも知れません。
 
GIDって、性転換を公然化するために、
便宜的に纏められた診断名ですので、
さまざまな基礎疾患が、ごちゃ混ぜになっています。
脳の器質に、原因となる病変のない精神症状って、
器質的な原因や仕組みが、わかっていませんから、
文学的な印象や、御本人の訴える言葉などを、仕分けしただけの、
ごちゃ混ぜの、操作的と言われる分類に、ならざるを得ません。
 
統合失調症という単位も、性同一性障害(GID)という単位も、
さほど違うものでなく、
脳の客観的な症状よりも、文化的な影響を分類したものです。
 
器質的な原因や仕組みが、わかっていませんので、
どのような病態や症状も、あり得ます。
むしろ、こちらの診断名から、あちらの診断名に、
1日ごとに交代しないのが、不思議なくらいですけれど、
診断基準に、一定期間以上、症状の持続することを書き加えて、
修辞的に、纏まりを維持します。
人間の健常な文化のほうの、規則性に依存して纏められた病気です。
 
このことを、みんなと違う、と言い、病気の根拠としますけれど、
別の言い方をすれば、みんなと同じことをする能力が、足りません。
自由な選択でなく、選択する能力が足りずに、
そうせざるを得ないのを、
患者さんは、強がりを言い、
自由な生き方や考え方を選択した、と言います。
患者さんには、そのような言い訳の手順が、記憶に残りません。
能力の不足から、人について行けずに、
社会的な責任を、果たせない自分に、自責感を感じて、
相当に、精神的に苦しい状況にあると、わたしは見ます。
 
GIDの人は、性別が違うことを、直感すると言います。
健常な人も、すべて、幼児の頃に、性別を知りますが、
まだ知られていない直感的な能力によって知った人は、
一人も確認できません。
 
全員、親や周囲の人などに、教えられて知ります。
あるいは、間違いを指摘されたり、真似をしたりして、
学んで知ります。
 
有性生殖をする動物では、
どうしても、性別を知らなければ、生殖できません。
人間以外の動物では、多くがフェロモンによって、知ります。
人間では、その能力が退化していますので、
自分の名前を知るように、性別を知ります。
 
知的に知りますが、
犬が、飼い主の人間の家庭の、最高権力者を知る能力を思えば、
だいたい、性別のように、単純なものは、
1才程度の知能で、十二分に可能と、推定できます。
 
これが、わかりません、GIDの人には。
GIDだけでなく、知能の低い人や、精神障害者には、
わからない傾向があります。
もしも、IQが高く、東大出身の医師が、わからなければ、
かなり高い確率で、その医師は、精神障害者です。
 
性別を知るのは、生殖できる相手を知ることです。
けっして、男らしさを知るとか、女らしさを知るとか、
空間認識能力がどうのこうのと、言うのではありません。
もちろん、体型や、頭蓋骨の形や、声や、
お乳の大小や、肌の厚みや、皮下脂肪や、
言葉つきや、振る舞いや態度や物腰や、
髪型や、持ち物などでも、ありません。
 
生殖可能な相手を、1才未満の子が知るのは、人間では、知性です。
親や周囲の人から、言葉を習うように、知ります。
1才未満では、服装や髪型を目安にするかも知れません。
わたし自身が、何を目安にして知ったかは、覚えていませんけれど、
たぶん、現在の知りかたと、大きくは違っていないと思います。
 
言葉つきや、振る舞いや態度や物腰や、髪型や、持ち物などを、
目安にして、男女を識別しますけれど、
1才未満では、
生殖可能な相手を識別するという目的は、自覚していないはずです。
今のわたしなら、
そのほかに、頭蓋骨の形や、声や、体型や、
お乳の大小や、肌の厚みや皮下脂肪などを、併せて判断します。
基本的な判断の仕組みは、1才未満の時と、おそらく同じです。
 
子供は知らなくても、大人は生殖が目的ですから、
性器の形や機能が大切です。
着衣の体や声などの特徴や、
服装や髪型や行動や持ち物などの特徴を目安にして、
性器の形や機能を類推しますので、
騙して、間違いを起こさせるような事をすると、
文化的に、制裁を加えられるかも知れません。
 
生殖は大切で、本気ですから、
間違わせて、人の本気をからかったり、混乱させたりしようものなら、
殺されることも、十分、あり得ます。
これを差別や虐待と、非難するのは、
おそらく、精神障害者のすることだから、許してあげてください、
と言うのと、同じ意味です。
 
精神障害者を、差別虐待してはいけません。
日本では、江戸時代から、その社会慣習が定着していました。
わざわざ、欧米の真似をして、差別を助長してから、
欧米の後追いをして、差別をなくす運動をするのは、
もしかしたら、あほかも知れませんし、深慮遠謀かも知れません。
 
わたしは、カミングと自助組織とホルモンと手術は、やめて、
GIDなら、事務的な性別を、何度でも変更できるようにするのが良いと、
思っています。
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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