横須賀の観音崎という所の、会津藩士のお墓です。
幕末に、会津藩が、横須賀の海の警備を、担当していたので、
横須賀市と、会津若松市とは、友好都市として、提携しています。
異国船を、やっつけるのかしら。
当時の会津藩士のお墓が、横須賀市の史跡になっています。
まだ、幕末からこっちの、最近のお墓ですし、
現在も子孫のかたがたが、お暮らしのようですので、
なまなましいのは遠慮します。
1810年に、幕府から請け負い、
会津藩は、横須賀市の浦賀や、三浦市の城ヶ島などに、
台場や陣屋を作っています。
1837年に、浦賀沖に現れたアメリカのモリソン号が、
初めて東京近辺に来航した外国船ですけれど、
砲撃されて、追い払われています。
異国船打払令の通りの対応でしたけれど、
後のオランダ風説書には、
遭難してマカオに滞在していた日本の漁民7名を、
イギリスの商船が、日本へ送り届けようとしたと、書かれています。
幕府は、モリソン号を、軍艦と誤認したようです。
この事件が露見して、三河の田原藩家老の渡辺崋山や、
医師で蘭学者の高野長英などが、幕府の政策を批判しましたので、
蛮社の獄になりました。
渡辺崋山は、自宅謹慎の判決でしたが、三河の自宅で、自殺しました。
高野長英は、終身刑でしたが、脱獄して、江戸に潜伏していたところを、
発見されて殺害されました。
モリソン号は、アメリカの商船なのに、
オランダ風説書は、イギリスの商船と書き、
イギリスの植民地政策の陰険さを、幕府に告げ口しています。
モリソン号も、商船とは言いながら、
日本との通商を画策するために、アメリカ政府の意を受けていました。
会津藩が、横須賀に防衛陣地を作ってから、27年後ですから、
幕府に、かなりの先見の明があったことは、確かです。
でも、27年前の先見の明は、
すでに、時代遅れになっていたのかも知れません。
1845年に、捕鯨船のマンハッタン号が、浦賀沖に停泊しました。
この時に、日本の小舟が300隻で、マンハッタン号を曳航しています。
1隻ごとに、15人が乗っていたと言われていますので、
幕府は、海上だけでも、4500人を動員しています。
食料やお土産などを、無償で供与して、
丁重に引き揚げてもらいました。
モリソン号の教訓があったかも知れませんが、
マンハッタン号の、マーケイター・クーパー船長は、
その後、探検家として有名になり、南極大陸の東側を発見しています。
この人も、11人の漂流民を送り届ける名目で、
日本の開国を目論んでいました。
1846年に、アメリカ東インド艦隊司令官ジェームズ・ビドルが、
2隻の軍艦で、マカオから浦賀に来ましたが、
オランダ風説書に、具体的な来訪が書かれていましたので、
幕府は予想していました。
軍艦と言っても、帆船でしたので、
浦賀湾内では、動きが取れず、日本側の小舟に曳航されました。
彼は、けっして不信感や敵愾心を煽ってはいけないと、
命令されていましたので、
平和的に粘り強く交渉するはずでしたが、
長崎に回るようにと、幕府から言われると、
そのまま、太平洋を横断して、アメリカに帰ってしまいました。
体調が悪かったようです。
1853年の、ペリーの来航も、オランダ風説書で知られていました。
彼は、武力で威嚇して、戦争も辞さずの構えで交渉するように、
命令されていました。
ビドルの失敗を研究したとも言われています。
木造コールタール塗りの外輪蒸気船ですから、
煙突があり黒煙を吐きます。
外洋を航海するときは、帆を使い、湾内は蒸気エンジンを使います。
4隻のうちの2隻が蒸気フリゲート鑑で、残りの2隻が帆船でしたので、
日本の艀(はしけ)に引っ張って貰わなくても、
蒸気船が帆船を曳航して、艦隊全体が湾内を自力で航行しました。
当時の大型フリゲート鑑は、現在と違い、
軍艦では最大級の大きさだったそうです。
ペリーの東インド艦隊旗艦のサスケハナ号は、
1947年の建造ですけれど、
1940年代前半に、フランスやイギリスは、
それぞれ20隻以上の蒸気船を、軍艦として保有していましたが、
世界で最初に蒸気軍艦を建造したはずのアメリカは、
1隻も保有していませんでした。
当時の蒸気船は、大量の石炭を必要とした割には、短距離しか走れず、
外洋を航海できるほどの、実用性がありませんでした。
港の中を、自力で航行できる魅力はありましたが、
石炭の補給基地が必要でしたので、
敵地を自由に航行できるとは限りませんでした。
ペリーは、遅ればせながら、
アメリカの蒸気船による艦隊を造った張本人で、
アメリカでは、蒸気海軍の父と呼ばれているそうです。
フランスやイギリスは、
すでにスクリューを使った蒸気船の時代になっていましたので、
アメリカ海軍の外輪船艦隊は、時代遅れでした。
1858年に、イギリスで建造されたグレート・イースタン号は、
全長210mで外輪とスクリューの両方を備えた鋼鉄船でした。
1864年にイギリスで建造された長鯨丸は、
77mの鉄鋼製の完全な汽船でしたが、外輪船でした。
1867年に、オランダで建造された開陽丸は、
72mの木造大型船でしたが、スクリュープロペラを持つ汽帆船でした。
造船技術が目まぐるしく進歩する時代でしたので、同じ幕末と言っても、
日本の開陽丸は、ペリー艦隊の旗艦のサスケハナ号とは、
比較にならないほどの、強力な軍艦でした。
会津藩士のお墓は、各地で史跡になっていますけれど、
殿様が京都の守護職で、戊辰戦争の主力でしたので、
京都に多いようです。
三浦半島と、樺太や宗谷地方の守備を、受け持っていましたので、
その方面にも、お墓があります。
会津藩って、徳川二代将軍秀忠の子の、保科正之が藩主になってから、
徳川幕府の、有力な親藩でした。
御三家の水戸家よりも、実際の収入は多かったそうです。
昔の武士の家柄は、養子が多く、
同程度の家格の親戚の間で、養子を融通し合って、家を守りますので、
家という血筋よりも、親戚関係の血筋のほうが、大切かも知れません。
ヨーロッパの王族と同じです。
ロシアもオーストリアもフランスもイギリスもスペインも、
王族はみんな、親戚同士で、
いわゆるインターナショナルな階級を形成しています。
軍事力で制服した王朝では、
どうしても階級社会を避けられません。
日本の武家政権も同じですので、
これが日本の、平和で平等な社会を築いたとは、言えません。
平等な社会って、軍事力で制服した権力でなく、
祖先を共有する土着の血筋の、同族社会でなければ、
生まれないかも。
血筋が一つでなければなりませんので、
欧米大陸の多民族社会では、実現不可能でしたけれど、
日本のような島国では、実現できたのかも知れません。
同じ一つの血筋って、自己同一性と、よく似ています。
自己同一性は、事実の起こった順番に、
一本の時間の上に、記憶を並べることによって、生まれます。
自己同一性のことを、アイデンティティと言います。
自己存在証明とか、帰属意識などと、
翻訳されることもあります。
日本人のアイデンティティは、
多くが、同族社会の血筋によって保証されています。
欧米の多民族社会では、階級意識によって保証されています。
だから、帰属意識とも翻訳されますが、
日本では、医師のエリート意識や、被差別部落の人の気持ちが、
欧米の階級意識と、ほぼ同じで、
ヨーロッパでは、ユダヤ人が、その魁でした。
仏教のお坊さんの世襲感覚が、
日本人のアイデンティティの、標準に近いかも知れません。
ヨーロッパでは、ユダヤ人を虐殺したドイツや、
オランダやポーランドなどの、
伝統的な土地に縋り付いた農民の意識です。
自己同一性って、事実に依拠していますけれど、
仲間が違えば、事実も違います。
自然の出来事でも、見方が異なれば、
人によって異なったものに見えますので、
同じ自然の出来事は、同じ見方でなければ、あり得ません。
事実は、仲間内でなければ、普遍性を失います。
自然の出来事は、
あらかじめ、他人と情報を交換するために、
他人と共通の事実、という形式によって認識されて、
記憶されます。
共有する形式が異なれば、
同じ出来事を見ても、記憶される事実が異なりますから、
人と、話が通じません。
同じ自然の出来事は、
そもそも、架空の幻影のようなもの、と言う人もいるほどです。
同じ事実があるだけです。
人の出来事や、社会の出来事も、
目で見て、手で触って、実際に知れる出来事は、
自然の出来事です。
でも、心の中だけの出来事は、自然の出来事の中でも、
事実と区別されます。
これを、絵符やタグのように、事実に結びつけて、
記憶したり、人に伝えたりするのが、
人間特有の自我の賢さの一つで、自己同一性と言われます。
多くの人は、事実の推移にかこつけて、
無意味な数字や文字の配列を記憶すると、忘れないはずです。
そもそも、文字に書き留めるのが、そうでしょう?
文字って、目で見て、手で触って、耳で聞いてって種類の、
自然の出来事です。
人に伝えるための、共通の形式に、すでに整理されています。
でも、書かれていることは、
心は夢のように宙を漂う、という内容だったりします。
その人の心の中だけの出来事ですから、事実でありません。
事実って、人に伝えるための共通の形式ですから、
形式が違うと、伝わりません。
文字も、日本の文字と、ロシアの文字は、形式が違うので、
日本人とロシア人の間では、事実として、通用しません。
人と人との、コミュニケーションの実態がなければ、
自己同一性という自我機能の一種も、認められませんから、
他人には、あさっての解離した心のように、見えます。
終戦直後に、マッカーサーは、日本人を、
12才の少年と言いましたけれど、
健常な人から見ると、GID(性同一性障害)の人は、
10才ぐらいに見えます。
GIDでありながら、一流の大学を卒業した医師でも、10才です。
それぐらいに、心があさってに見えますので、
保護してあげなければいけないほどの、
可哀想な精神障害者に感じられます。
原因は、意志疎通を拒否するからです。
そのことを自閉傾向と言います。
自分だけで判断して、頑固に確信して、人を馬鹿にしています。
GIDの中でも、医師には、その傾向が特に強く、
重症になりやすいようです。
人が何と言おうが、自分だけは、本当のことを知っていると、
確信しています。
実際は、自分だけの本当のことなどと言うのは、ありません。
医師の多くは、学校時代の成績が優秀でしたので、
他人が全員、間違っていても、
自分だけが、正解を言い当てた経験を、たくさん持っています。
それは、試験問題と正答例を作った人の、権威に頼っています。
その人の権威に縋れば、周囲の全員の反対があっても、
自分だけが正しかったと、最後にわかります。
非常に漫画的な、幼稚な正しさです。
世間では、そんな正しさは、どこにもありません。
みんなの同意を得られなければ、死ぬまで笑われます。
自分の予想通りに、みんなが死んで、
自分一人だけが生き残っても、
それが正しい証拠と思い込むのは、
妄想にも似た独り善がりです。
そんな直感を、頑固に持っている人が、
医師には少なくありません。
子供の頃から、そういうふうに、躾けられてしまったのが、
原因かも知れませんけれど、
それ以前からの、自閉的素質もあるかも知れません。
自閉して、受験勉強に没頭しさえすれば、
家のお手伝いをせずに、人とつき合わなくても、
どこかの権威が、学力試験で高い点数をつけてくれます。
賢い賢いと、頭を撫でてくれます。
これが、医師の直感的な妄想を、変更不能にして、
GIDに、医師の多い原因でないか、とも言われてますが、
原因の原因を遡れば、きりがないような気もします。
被差別部落出身の人や、性的虐待を受けた人なども、
その傾向が強いかも知れません。
人を気にせずに、鼻で笑い、自分の生殖機能をダメにして、
死んでも性別がどうのこうのと、頑固に言いながら、
自滅するかも。
本人のせいでありませんが、本人には変更不能です。
本物のGIDというものがあるかのように、頑なに確信して、
自分と同じぐらいに、学力の優秀な人や、気に入った人にのみ、
SRS(性転換手術)を認めますが、
そうでない人たちを、GIDと診断しないように、
あるいは、SRSを受けさせないように、身を挺して主張して…
そのために、精神科や形成外科の、
医師になる人もいるほどです。
GIDの中でも、最も重症のタイプで、
一度、これは間違いない、自分はこう考えると、人に言うと、
一生、変更できません。
カミングアウトです。
これを勧める医師がいますので、GIDを医原病と言う人もいますし、
マッチポンプのように、
医師が火をつけておきながら、自分で消防車を運転して、
最初に現場に駆けつける医療とも言われています。
カミングすると、
意地でも、考えが変わったと言えなくなりますので、
そのために医者にもなりますし、
生殖器を除去することにもなります。
そのために死ぬことを恐れずに、人を殺すこともあります。
こうであると、実行してしまえば、
変更して謝罪することを、絶対にしません。
医師によくあるタイプですけれど、
患者さんに対して、やってしまったことを、
間違いだったと、認めようとしても、
なかなか、正直に言えませんので、
薬剤エイズで訴えられた大学教授のような気持ちを、
医師に多い職業病と言う人もいます。
医師でありながら、GIDである人には、
体の性別と異なる性別の気持ちを、
生まれながらのものや、実体のあるもののように、
前提としている人が、少なくありません。
わたしは、その可能性も否定できないと、言いますけれど、
それが正しいとは、言えません。
体の性別に適応できない人がいるのは、確かですけれど、
体の性別を許容できる心を、形成できない人には、
必ずと言っていいほど、自我障害が現れています。
おそらく、男ならこれこれ、女ならこれこれ、
という文化や趣味を、変更できなくなっています。
医師だけでなく、似たような頑固さは、
発達障害や統合失調症にも、珍しくありません。
知能や学力とは、あまり関係ありませんが、
本人は、医師でしたら、知能や学力と関係があると、
思い込んでいるかも知れません。
人のことを言う時は、知能や学力が低いからと思い込み、
自分のことを言う時は、高いからと。
年寄りのGIDと言われる人たちは、
100人ほどの知能指数の平均が、130台後半でした。
高い人は、IQ185や200で、
学力の優秀な人は、学校時代に、文部省の学力検査を受けると、
全国の同年齢の受験者の首席でした。
治癒した後には、知能の低い人や、学力の低い人などと、
のんびりと、ゆっくりと話ができるようになっていました。
病気真っ盛りの時とは、全然、様子が違います。
頑固さを解きほぐすには、
たぶん、時間をかけて、人と話すことが大切です。
時間が必要ですので、学力を養う時間がなくなり、
あほになりますが、病気は治るかも知れません。
我が子が知的障害者なら、いっぺんにわかるのですが。
自分の病気を、自覚できるようになります。
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