"Les Choristes" コーラスという映画の中で、歌われていました。
Jean-Philippe Rameau ジャン=フィリップ・ラモー作曲
叙情悲劇 tragedie lyrique トラジェディ・リリック形式のオペラ
"Hippolyte et Aricie" 「イポリートとアリシー」 の中の、
【Hymne a la nuit】 夜の讃歌、夜への讃歌、夜に
1733年のバロックの讃歌です。
現代に至るまで、たくさんの作曲家が、同じ題名で作曲しています。
夜の賛歌は、古代からの讃歌の中でも、典型的なお題の一つ。
現代の、愛の讃歌のようなものかしら。
夜を讃えるのも、愛を讃えるのも、同じことですけれど。
賛歌は、神様を讃えます。
昔は多神教ですから、自然や事物の一々に、専門の神様がいました。
その神様を讃えるのは、自然や事物を讃えるのと同じことです。
神様は、所轄の事を、すべて支配していますから、
豊穣を感謝したり、願ったりするのと、
飢饉を嘆いたり、憂えたりするのとは、同じです。
ゾロアスター教あたりから、一神教の傾向が出てきましたので、
たくさんの神様でなく、唯一の神様に祈るようになりました。
昔、神様がたくさん、いらしたのは、
たくさんの家族や、部族や、民族があったからです。
それぞれの血筋の人は、自分たちの御先祖をお祭りしますから、
血筋の数だけ、神様がいます。
でも、血筋なんて、一つ二つって、数えられます?
人間の文化が豊かになり、生活能力が高くなると、
武器も立派になり、たくさんの血筋の人を征服して、
もっと大きな部族や、民族を作るようになりました。
やがて、言葉の通じない異民族や、
顔の形や、肌の色の違う人種も、征服して、
インターナショナルな権力を、振るうようになりました。
神様も統一されて、一神教が現れるのは、当然です。
古代ペルシャあたりから、その傾向が強くなりました。
鉄製の武器を、使うようになったからと、言われています。
ゾロアスター教は、一神教の始まりのような教義になっています。
拝火教って言われるくらい、火を崇拝しましたけれど、
太陽の恩恵と同じものを、
人間が自分の手で、火を起こして生きるように奨励しただけでなく、
金属の精錬を賞賛しています。
諸民族を統一する生き方として、火を掲げました。
ユダヤ人は、バビロンのネブカドネザルの時代に、奴隷になり、
ペルシャのキュロス王の時代に解放されました。
いわゆるバビロン捕囚によって、
ペルシャを、救世主のように崇めましたので、
ユダヤは、ローカルな民族なのに、ゾロアスター教に影響されて、
一神教の、インターナショナルな考え方を、持つようになりました。
キリスト教の時代になると、神様を讃える賛歌は
ほかの神様を信じない、あなた一人だけを信じるから、
これこれを頼みます、という信仰の告白と、神様との取引になります。
契約ね。
愛の賛歌と同じ。
あなた一人だけを信じると言って、たいていは浮気をします。
夜の賛歌も、愛の賛歌も、
昔は、電気の照明器具がありませんでしたから、
夜になれば、人間のすることは同じです。
ボーイソプラノって、ホモの卵かも知れませんけれど、
子供がこんなのを、歌っていいのかしら。
心の洗われる美しい声です。
この子は、有名でしたけれど、ボーイソプラノの命は短くて…
声変わりすると、お終い。
今は、カウンターテノールで歌っていると思います。
裏声。
「イポリートとアリシー」の、
イボリートは、ヒッポリュトスのことですので、
古代ギリシャの、エウリピデスの悲劇に由来しています。
ヒッポリュトスは、英雄テーセウスの庶子ですが、
男性同性愛者でしたので、
アルテミスという純潔の女神に仕えていました。
たぶん、レスビアンです。
美の女神のアフロディーテは、男性同性愛者が大嫌いで、
ヒッポリュトスに意地悪をするために、
テーセウスの後妻のパイドラに、
ヒッポリュトスを恋するように仕向けました。
パイドラは、前妻の息子を恋する自分に悩み、
自分の乳母に打ち明けました。
乳母は、よかれと思い、
ヒッポリュトスに打ち明けました。
パイドラは、義理の息子に知られたことを恥じて、
自殺しました。
遺書を読んだテーセウスは、息子の姦淫に怒り狂いました。
ヒッポリュトスは、
馬車に乗って、アテナイを去りましたが、
海の神ポセイドンは、テーセウスの願いを聞き入れて、
大波を起こしました。
馬車は波にのまれて、
振り落とされたヒュッポリュトスは、瀕死の重症を負い、
テーセウスの前に、連れ出されました。
アルテミスは、テーセウスに、パイドラの讒言を指摘して、
アフロディーテに復讐することを誓いました。
イボリートは、ヒッポリュトスのことなので、
簡単ですけれど、
アリシーって、誰かしら。
1677年の、ジャン・ラシーヌ Jean Baptiste Racine の、
『フェードラ』 Phedre という悲劇に、
ジャン=フィリップ・ラモーが、1733年に曲をつけて、
オペラ「イポリートとアリシー」として、発表しました。
フェードラは、パイドラのことですが、
劇作者のラシーヌは、
ギリシャ神話にないアリシーという女性を、登場させました。
彼女は、テーセウスに滅ぼされたアテナイの王族の娘さんで、
ヒッポリュトスは、彼女に恋していました。
ギリシャ神話では、
異性愛の美の女神の、アフロディーテに対して、
ヒッポリュトスは、男性ホモの人間で、
アルテミスは、女性レズの女神でした。
テーセウスは、半神半人の英雄ヘラクレスに従い、
女性だけの部族の、アマゾネスに攻め入った時に、
女王のヒッポリュテーの妹の、アンティオペーを略奪して、
ヒッポリュトスを生ませました。
ラシーヌの戯曲では、そのへんの面白さがなくなり、
ただの恋の三角関係に、
近親相姦が含まれるだけになりました。
ラモーは、それに曲をつけて、オペラにしましたので、
味わいがありません。
映画では、
少年合唱団が、奇麗なボーイソプラノで歌いますので、
中世キリスト教会の美しさが、伝わって来ます。
古代ギリシャローマの文化を、
キリスト教は、ホモの形で残しました。
どう見ても、ヨーロッパのキリスト教会は、
ホモを賛美する文化を、いっぱい残しています。
おそらく、キリスト教が差別したのは、
生殖拒否の精神障害です。
古代中国の文人が、中庸の徳と言えば、
中間を調節できない精神障害者が排除されて、
近代インドの為政者が、カーストを尊重すれば、
しきたりに馴染めない精神障害者が、
自分から落ちこぼれて行くのと、同じです。
ホモを差別したのでなく、
適応する能力の低い精神障害者を差別しました。
性別のことを差別したのでなく、
どちらでも自由に選択する能力の低い、
融通の効かない精神障害者を、振り落とそうとしました。
イスラム教が、同性愛を嫌うと言えば、わかります。
旺盛な性欲と、
聖者が子だくさんであることを、奨励しました。
キリスト教は、同性愛を嫌うはずがありません。
独身生活を、純粋な信仰として賛美する宗教です。
世俗的な男女の性交渉を嫌います。
生殖拒否を嫌ったとも言えますけれど、
おそらく、精神障害を嫌ったのでないかと、疑います。
同性愛を差別したキリスト教社会の贖罪意識が、
欧米の性転換医療を合法化して、
やがて精神障害を差別していたことに気づき、
GIDを精神疾患としない方向に、性転換医療は進みます。
欧米のキリスト教文化が、自分達の間違いを直して行く過程です。
日本のGIDや、性転換医療を実施している医師たちが、
その後追いをするのは、簡単に言うと、
昔ながらの西洋かぶれの阿呆です。
この先、欧米の性転換医療は、
けっしてキリスト教が、
生殖拒否を奨励するものでないことを示すために、
GIDが生殖するための、生殖医療に力を注ぎます。
キリスト教が、生殖を拒否する生き方を、
聖者と崇めていた間違いを、
ここに来て、糺そうとする試みが、
性転換医療を、生殖医療に繋ぐ原動力になります。
キリストさまや、お釈迦さまの、聖なる生き方は、
精神障害の一種にすぎません。
彼らは、世俗的な生き方を、きっと、頑固に拒否します。
生殖を拒否して、美しく自滅することに、喜びを感じます。
紀元前の、大昔の社会が、キリストさまや、お釈迦さまに、
死んでも踊り続けられる舞台を、しつらえてあげたように、
神様に祀り上げて、性転換を売り物にしてあげれば、
御本人たちは喜びます。
生殖医療で抜けられる人は、
最初から性転換をしないのが、合理的ですけれど、
急場を凌ぐためには、仕方ありませんでした。
生殖医療で抜けられない人も、
急場を凌ぐために、性転換せざるを得ませんでした。
治る人と、治らない人は、半々です。
治る人には、育児と家庭を授け、
治らない人には、御神輿に乗って、神様になってもらいます。
日本やインドは、多神教ですから、
神様がたくさんいても、構いません。
欧米諸国はこの先、きっと、
フランス革命の道を、なぞりますけれど、
日本人は、真似をしないことを、お薦めします。
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