和名トネリコバノカエデの、花が咲いていました。
カエデ科の雌雄異株の落葉樹です。
雌株ですと、
カエデ特有の、翼果と言われるプロペラのような種ができますけれど、
これは雄株の散房花序みたい。
雌花と雄花の違いは、ここにありましたのでリンク。
トネリコバという名前のように、
葉っぱは、トネリコやアオダモの複葉に似ています。
でも、普通はネグンドカエデって、呼んでいます。
ネグンドって、
小葉や裂片の数に由来するサンスクリットかも。
ラテン語の学名になっているので、覚えておいたほうがお得。
園芸店で売られている外国産の草花や樹木って、
属名や種小名を、そのままカタカナにして、
名札を付けてることが、多いでしょう?
あれって、ラテン語を覚えるのに、便利です。
ラテン語って、
古代ギリシャや、エジプトや、ペルシャや、
メソポタミアや、インドの言葉なんかに由来しているのが多く、
その後の、ヨーロッパの言葉の語源になったから、
あっち方面の、言葉の感覚が身につくみたい。
あんまり、姿の良い木でないのに、北海道によく植わっています。
枝が張らないの。
いまは、葉っぱの変わり種が多く、
それがお目当てで、庭木にしますけれど、
お砂糖の採れるカエデの中では、
挿し木で簡単に殖やせる樹種なので、普及したのかも。
カエデの中では唯一、って言う人もいるけど、ほんとかしら。
ネグンドカエデのシロップを、
わざわざ輸入しているお菓子屋さんもあるそうな。
メイプルシロップの採れるカエデは、いっぱいあるのに、
なんで、ネグンドでないといけないのかしら。
お砂糖って、サトウキビから作るのが多いけど、
ヨーロッパではビートね、テンサイのこと。
アカザ科の植物で、砂糖大根って言います。
カブラみたいな感じで、お大根のカブラって、ほんとに甘いから、
子供の頃、ビートはカブラのことと思っていました。
でも、ビートはカブラそっくりの、アカザ科の植物でした。
東南アジアなんか、ヤシからお砂糖を採ります。
パルミラヤシの蕾を切ると、樹液が出て来るので、
それを煮詰めて、お砂糖にします。
糖分が25%もあるそうですけれど、
一本のヤシから、どれぐらい採れるのかしら。
リンゴやミカンでも、甘いのは、糖度が15%ぐらいあるでしょう?
メイプルシロップは、カエデの樹液を採取しますけれど、
2-4月に、2.5%ぐらいの濃度の樹液が
1シーズン50リットルぐらい採れるそうです。
日本でも、埼玉県で少しだけ生産しているみたい。
カナダなんか、一番多いのは、
サトウカエデっていう樹種を使いますけれど、
ヨーロッパや北米の、ほかのカエデでもいいみたい。
日本のカエデは、甘くないと思います。
ネグンドカエデも、メープルシロップを採取するカエデなんです。
木にも個性ってのがあって、
樹種でなく、一本一本の個性のことよ。
挿し木で簡単に殖やせる樹種では、
その木の個性が、品種になっています。
人が、庭の木の、一本一本の個性を見るように、
庭木自身も、個性を感じて生きているのかしら。
植物に心や自我が、あるわけないのに・・・
人が、庭木を見るような目を、客観って言います。
人間は、自分を客観的に見ることができます。
この機能を、自我と言うんです。
それができるのは、
人と人とが、コミュニケーションする時に、
事実という形式にして、情報を伝達するからです。
事実を一本の時間の上に、起こった順番に並べて、
人に伝えます。
事実でない心の中だけの事も、事実に括りつけて、
事実の名札のようにして、人に伝えます。
そういう形式でなければ、
人と人とは、情報を伝達できません。
その形式のことを、客観と言います。
自分の持っている経験などの記憶情報を、
客観的な形式に整理してから、人に伝えます。
他人の持っている情報も、客観的な形式であれば、
それを受け取った時に、解読して、
自分のものとすることができます。
自分の持っている情報を、客観的に整理すると、
人に伝えるだけでなく、
自分で自分の情報を、読みとることができるでしょう?
このことを、自覚と言いますので、
人間は自分を客観的に知ることが出来ます。
自分の持っている情報を、客観的に整理すると、
人に伝えるだけでなく、
自分で自分の情報を、読みとることができるでしょう?
このことを、自覚と言いますので、
人間は自分を客観的に知ることが出来ます。
自覚のことを、
脳のモニター機能と言うこともあります。
今、目の前の木を見て、
葉っぱの形はこれこれで、と言うふうに、
自分のしていることを自覚できるのは、
物事を客観的事実として知るからです。
わざわざ、客観的という形式に整理して知るのは、
人との情報交換に、その形式が要求されるからなの。
そうでなければ、白血球が異物を破壊するように、
無意識に仕事をしてしまうのが、
手っ取り早く、合理的と思います。
モニター機能なんて、
白血球や細胞の間では、必要ありません。
白血球も、その他の細胞も、
みんな情報を交換し合っていますけれど、
モニターする必要もなく、客観という形式でないから、
自覚する能力もなく、無意識に黙々と仕事を遂行しています。
細胞のレベルでも、たぶん、
事実にもとづいて情報を交換しているはずなの。
一つの事実は、たくさんの人に見られても、
たくさんのことには見えずに、
同じ一つのことに見ますので、
個体差を超越した普遍性があります。
情報の伝達は、事実に依存するのが、便利ですよね。
わたしたちは、細胞でなく、個体ですので、
個体それぞれの、特殊な状況や経験などの特殊性によって、
個体それぞれの、特殊な規則を持っています。
なになにをするという意志は、
未来の状況を、あらかじめ類推して、
これこれならば、なになにすると、見積もっておきます。
個体の未来の行動を、個体ごとに見積もるのは、
自分の行動を、自分で規制するのと同じですから、
個体が、自分で自分を規定して、
自分はこれこれであると、自分を定義しています。
これを自由って言います。
意志は自由です。
自由な意志は、わたしたちのような、生物の個体にしかありません。
人間の個体を作る何百兆個の細胞の一つ一つには、できません。
この違いは、個体のわたしたちは、
個体の特殊な状況や経験などの、
個体の特殊性にもとづいて、行動することができますが、
細胞の一つ一つは、
特殊性にもとづいて行動できない、という意味です。
細胞は、生まれつきの遺伝的な設計や素質と、
与えられた情報によって、
一律に自働機械のように動作します。
わたしたち個体は、
それぞれの特殊性を加味したルールを、自分で作ることによって、
行動に融通を効かせることができますので、
結果として生存の確率が高くなっています。
白血球の歩留まりは、5%です。
残りの95%は、動作不良から、廃棄処分にされます。
個体のわたしたちは、95%も廃棄処分にされません。
人間では、子供や老人を除いて、
だいたい15%程度が、身体障害や精神障害などのせいで、
金銭的な公的扶助や、家族の介護などを受けなければ、
社会生活ができません。
特殊性を加味したルールを、自分で作るとは、
自分で自分を定義することです。
未来の行動を見積もる意志の機能を言っています。
この意志を、
他の個体に伝えたり、他人から受け取ったりするために、
事実に意志を結びつける、という共通の方法を使って、
記憶情報を整理します。
これを客観と言います。
白血球も、たぶん事実の情報を、
他の白血球や細胞に、伝達していますが、
白血球に意志はありませんから、客観的な方法は必要なく、
モニター機能もありませんから、自覚もできません。
庭木の一本一本の個性を見るように、
人間は自分を知れるのに、
宇宙はなんにも知らないから、
人間は考える葦であると、デカルトは感慨しました。
われ思う、ゆえに、われ在りね。
そのために、経験を事実という形式に整理する能力や、
事実を一本の時間の上に、起こった順番に並べる能力や、
心の中だけのことを、事実にくっつけて、
事実の名札とする能力や、
人と情報を交換する能力などが必要です。
精神の病気になる人は、
事実よりも、心の中だけのことを大切にします。
事実に関係づける能力が足りませんので、
自己同一性を得られずに、
極端には、解離性同一性障害のように、
自分が自分でない気持ちなります。
客観性がなく、自分で自分が見えません。
人と話をしても、通じません。
その代わりに、数学や芸術に優れた人が多く、
知能が優れていれば、学校の成績も良くなりますので、
お医者さんには、精神障害者が少なくありません。
覚醒剤ばかり飲んで、死んで行ったお医者さんや、
性転換手術を行なう手術台を使って、
犬やネコの手術をしていたお医者さんや、
身長185センチもある大男が、わたしの心は女と言い、
性同一性障害の患者さんに、エストロゲン剤を処方して、
性転換の普及に躍起になっていたお医者さんなどもいます。
性同一性障害の人達は、
白装束を着て、電磁波の御祓いをする宗教に似て、
精神障害者の仲間内だけの、
特殊な社会の生き方に、満足しようとします。
だんだんと許容範囲が狭くなり、
何度もリストカットを繰り返しているのに、
自分は普通の社会に適応しているので、
性同一性障害の仲間を助けてあげたいと言います。
リストカットを繰り返すのは、
普通の社会に適応しているのかしら。
性転換が一般社会の理解を得られるようにする運動も、
似たようなものです。
この人達に夢を売るのは、
悪徳なのか、良心的なのか・・・
自殺者が出るたびに、気持ちが重くなります。
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