筍(たけのこ)の季節で・・・
昨日の霜柱が解けると、今日はタケノコ医者で、
まだ、ヤブにならない。
おいしそう。
育ち始めて10日目までの若いのを、竹の子と言うそうで、
竹冠りの下に旬と書きます。
旬は、10日間の意味です。
ここまで大きいのは遠慮しますが、
孟宗は、三国時代の呉の人で、二十四孝の一人です。
竹の子は、甘みのあるモウソウが、一番ですが、
GID(性同一性障害)の妄想のように、すくすくと育ちますので、
少し手遅れになると、もう、どうしようもありません。
マダケは日本の竹ですので、節が二本線です。
モウソウチクは、中国の竹で、一本線。
まだ一度も花を咲かせたことがないと言われていますが、
本当かしら。
モウソウはこれからで、マダケは5月が旬です。
その頃に、モウソウの竹の秋が始まります。
竹の子は、かぐや姫が3ヶ月で大人に成長したように、
地下茎に蓄えられた養分だけでなく、親の竹を衰弱させて育ちます。
モウソウは3月に、竹の子が地表に顔を出し始めて、
5月に、親竹が黄色く色づいた葉を落とします。
若葉と交代しますので、竹の秋と言い、晩春の季語になっていますが、
4月5月に竹の子の上がるマダケは、6月に葉を落とすのに、
夏の季語と言わないところに、日本の美しさがあります。
歌舞伎って、戦国時代の傾(かぶき)から来てるんだけど、
国や人を傾ける風俗のことで、
人を驚かせるような、
突飛な服装や髪型や態度物腰などが流行しました。
男性の流行ですが、戦争を生き抜いた人には、
平和な時代の、ありきたりの大人しい生き方って、
刺激が足りなかったのかしら。
命懸けの戦争を経験して、
首を切られて、血を噴き出している人間なんか、
見飽きてるから、ちっとも恐くありません。
自分の首を切り取られるのを想像しても、
人間って、そういう死に方や、生き方をするのが、
当たり前と思っていますから、平和が退屈で仕方ありません。
つい最近の、わたしの両親の時代の日本人も、そうでした。
戦争を経験していますから、
やくざに脅されても、ちっとも恐くありません。
戦場で、人を殺したり、殺されたりするのを、
いくらでも見ています。
そんなのに、びびらないように、軍隊で教育されて、
正真正銘、死ぬ覚悟で、戦地に出征しています。
お母さんだって、
爆弾が落ちたぐらい、何とも思っていません。
毎日毎日、雨のように爆弾の落ちてくる中を、
生き抜いて来ました。
バスの中で、お財布をスラれても、
女一人で、バスを降りて、
怪しい男を、追いかけました。
スリって、集団で仕事をするから、
犯人グループの、5人ぐらいの男女に、取り囲まれたそうです。
それでも、母は、お財布を取り返して来ました。
年寄りのGIDの一人のお母さんも、
道端に、へっついさんを出して、夏、ご飯を焚いていたら、
なんと、お釜を持ち逃げされたそうです。
すぐに、近所の人に聞き合わせて、
男性の拾い屋に目星をつけて、
その足で、男を追いかけて、お釜を取り返して来ました。
人間が死んだり、血だらけになったり、
悶え苦しんだりしているところなんか、
毎日、見てきていますから、
暴力で威嚇されても、少しも、びびりません。
相手のほうだって、
人を傷めつけると、仕返しをされることぐらい、
知っています。
顔を覚えられてしまえば、殺すしかありませんが、
殺すほどのことでもなければ、思案します。
戦争を経験した人って、
女でも、命懸けのことなんか、へっちゃらなんです。
やくざなんて、恐くありません。
だって、やくざのやっていることと、
昔の軍隊や、一般市民のやったこととを比べると、
昔のカタギの人のほうが、
やくざよりも凄いことをやっています。
やくざなんて、柔弱な、
気の弱いダメ人間にすぎないんですよ。
昔の人は、肌で感じて、よく知っていました。
同じ心意気が、戦国時代の終わりから、江戸時代にかけての、
日本人に流行しました。
傾(かぶき)と言われる突飛な風俗を、
盛んにデモンストレーションしたのは、
じつは柔弱な、気の弱いダメ男でした。
この人達の、人を驚かせるような奇矯な風俗は、
戦国時代に適応できなかった精神障害の男たちが、
平和な時代を迎えた時に示した流行にすぎません。
男なのに、女のように派手な服装や髪型を好みました。
ホモだったのですよ。
それを出雲阿国(いづものおくに)という女性が、
男装をして、真似をしました。
レズだったのかもね。
彼女は、河原者と言われていますが、
乞食のような暮らしをしている芸人で、
河原に暮らしている現在のホームレスに似ていますが、
昔の乞食は、芸能を職業としていました。
わたしの子供の頃でも、芸人って、まだ乞食の一種でした。
戦前では、川端康成の伊豆の踊り子っていう小説のなかの、
主人公の少女も、いわゆる河原者の、旅芸人一家の娘さんですので、
だいたいの生活状況は、想像がつきます。
1956(昭和31)年に、もはや戦後でないって、
経済白書の言葉が流行りましたけど、
戦前の何年と、戦後の何を、指標にして比べたのかしら。
戦前の生活のほうが、戦後の1956年頃までの生活より、
豊かだったと言う意味ですけれど、
太平洋戦争の前から、中国に兵隊を出して、戦争をしていましたから、
戦前の平和な時代って言っても、
1932(昭和7)年の5.15事件や、1936(昭和11)年の2.26事件の前まで、
遡らなければなりません。
わたしの子供の頃なんか、
戦後の肥たごを担いで、都会のお便所を汲み取っていた時代なので、
どうしてくれるのよって、言いたい感じ。
戦前より、貧乏だったの。
道に石炭ガラを撒いて、足で踏んづけて、ぬかるみを固めないと、
雨が降ると、どろんこ。
爆弾であいた穴に、土を入れたから、へっこんで来るの。
乾くと、ゴザを敷いて、ママゴト遊び。
そこへ馬車が来て、大きな肥桶が乗ってるの。
ひしゃくを持って、肥たごを担いで、お便所を汲み取って来ると、
馬車の肥桶に、ぶっちゃけます。
肥屋さんって、台湾の高級レストランですけれど、
日本では、お便所の汲み取り屋さんなんですよね。
馬車の肥桶って、川船にぶっちゃけて、
郊外の田畑に、船で運んで肥やしにします。
水運がなければ、町は発達しません。
乞食って、昔も河原で寝泊まりをしていました。
橋の下って、雨が降らないから。
道でアコーディオンを弾いて、
白い着物に軍帽の、傷痍軍人の服装をして、
お金をもらっている人は、ほとんどが河原者でした。
アコーディオンだけでなく、傷痍軍人の服装も、歌も踊りも、
みんな演技なんです、芸能なんです。
演技で、傷痍軍人の真似をする芸能なんです。
それで、お金をもらって、暮らしていました。
そんな人達が、戦国時代の傾者(かぶきもの)や、
出雲阿国でした。
突飛な服装や髪型や、男装をしました。
出雲阿国のような、
男装の女歌舞伎(むすめかぶき)や遊女歌舞伎だけでなく、
女装の若衆歌舞伎もあって、
いずれも、風俗を紊乱するとの理由で、禁止されました。
じつは、同性愛は戦国時代に大流行しましたので、
江戸時代の為政者の武士も、ほとんどは同性愛を嗜みました。
いわば、紳士の社交ですから、
同性愛を知らなければ、出世できません。
茶道と同じです。
江戸時代の武士は、
自分たちの高尚な趣味の、同性愛を禁止できませんので、
かろうじて、女が男装する娘歌舞伎や、
少年が女装する若衆歌舞伎を禁止しました。
野郎歌舞伎という成人男性の女装する歌舞伎は、
禁止しませんでした。
現代に譬えると、GIDとの性交渉を望むホモの男性が、
GIDの男装のFtMと、少年のMtFは禁止したけれど、
成人のMtFは、禁止できなかった、ということです。
MtFって、Male to Female の意味ですよ。
Mt.Fuji ではありません。
ほんとは、少年のMtFが、いちばん持てるんです。
でも、政権を執った武士としては、
紳士の社交が、町人や百姓の間に流行るのを、
見過ごせませんでした。
お能だって、男性が女装するでしょう?
あれも、紳士の社交ですから、
一般庶民に嗜まれては困ります。
舐められるとダメなんです、昔の政治は。
お能は、高貴でないといけません。
血で血を洗う戦国時代は、過去のものになり、
為政者の武士には、平和な威信が大切でした。
江戸時代って、織田信長や豊臣秀吉の時代の、
検地や刀狩りによって、
初めて、政権の最初から、
武士と、それ以外の身分とが、決まっていた時代でした。
それまでは、武士と言っても、
百姓が武器を持ち、田畑や家を守ったのが、
離合集散して、合従連衡して、
覇権を執る争いが、全国的に繰り返されたにすぎません。
江戸時代になると、すでに武士の身分が安堵されています。
その代わりに、田畑や家を捨て、故郷を離れ、
主人に奉仕するサラリーマンになり、
命令された土地に赴任して、
主従の信頼関係を信じて生きて行く従属的な立場に、
成り下がっています。
力尽くの世の中が終わり、
新しく、お金や証文の信用が、ものを言う時代になり、
昔の傾者(かぶきもの)を、
どこまで許容するかは、ちょっとした社会問題になりました。
現在の、GIDをどこまで許容するかという問題に、似ています。
元禄時代に、現在の統合失調症や発達障害などのうちの、
重症の精神障害者を、処罰しない社会慣習が、
世界で初めて、日本で生まれました。
歌舞伎と同性愛の関係は、
現代の精神障害と責任能力の関係に、よく似ています。
異性装や同性愛を差別せずに、メジャーの文化になったのも、
現代に続く文化としては、日本の元禄時代が最初でした。
TV(トランスベスティズム)が流行した時に、
年寄りのGIDの人が、女装のお店に入ろうとしても、
追い返されたそうです。
年寄りのGIDのうちの、年配の人は、全員MtFですけれど、
顔かたちが、最初から女性でしたので、
どうしても男性が性転換したようには、見えませんでした。
その時に、TVの人達は、年寄りのGIDに向かって、
「女装は紳士の社交だ」と言い、
年寄りのGIDのような、女性らしいMtFが紛れ込むのを、
極端に嫌ったそうです。
唾を吐かれて、お尻を蹴られて、追い返されました。
顔かたちが、女にしか見えず、
育ちが女性的で、男性として暮らした経験がなかったので、
年寄りのGIDたちは、どうしても、紳士とは言えませんでした。
これと同じ気持ちですよ、江戸幕府が野郎歌舞伎だけを残して、
女歌舞伎や若衆歌舞伎を禁じた気持ちは。
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