この写真、google地図からパクリ。
飛鳥山公園のすぐ北西の、
東京の山の手や武蔵野は、火山灰が降り積もって出来た洪積台地です。
箱根山や浅間山や八ヶ岳や富士山などが多いと思いますが、
関東地方の西や北西の火山が、幾度も噴火して、
火山灰が10mほど堆積して、
関東ローム層という赤褐色の地層になりました。
鉄分が錆びた色です。
この地層が、多摩川の河口のデルタ地帯の上に積もって、
洪積台地になりました。
多摩川は、東京都と神奈川県の境を、北西から南東に流れています。
河口付近では、川が枝分かれして北東方向に流れて、三角州を作りました。
山の手線の東側や、JR東北線の線路は、昔の海岸線に沿っています。
この海岸線に向けて、多摩川の運んだ土砂が堆積して、
河口にたくさんの三角州を発達させていました。
その上に火山灰が10mも降り積もって、
陸地が嵩上げされて、洪積台地になりました。
この時代を洪積世と言います。
第四期のうちの、180万年前~1万年前くらいの、更新世のことです。
その間に、1万年ほどの氷河期が、何度も繰り返されました。
寒くなると、地球の水が、雪や氷として、
陸地に積もったままになりますので、
海水が少なくなり、海面が低くなり、海岸線が後退します。
暖かくなると、海面が上昇しますので、
海岸付近は標高の高い所を除いて、海に沈んでしまい、
いわゆる溺れ谷がたくさん出来ます。
氷河期が来るたびに、それを繰り返していた時代に、
火山の噴火によって、火山灰の地層が、陸上に厚く積もると、
海面の上昇と下降が重なり、海岸近くに特徴的な地形が形成されます。
それを、洪積台地と言い、関東地方の武蔵野台地は、それであると、
高校の時に習いました。
関東ローム層のロームって、土の粒の大きさを言い表す地質用語で、
粘土のように細かい粒と、砂のように粗い粒とが混じって、
粘土と砂の中間のような粒の土のことを言います。
あたりまえの土でないかと、わたしは思うのですが・・・
ロームという言葉そのものに、火山灰を指定する意味はありません。
わたしは東京の地形を覚えて、
自転車に乗るときに、
かなりの遠回りでも、坂のないルートを選んでいました。
学生のころです。
車よりも、自転車のほうが、町を観察できるように、
自転車よりも、徒歩のほうが、町の雰囲気によく馴染めます。
歩きながら、お店の人に話しかけていると、親しみが湧いてきます。
アメリカでは、これが出来ません。
あっちは、車で移動することを前提としていますので、
人間が道を歩いて生活する町にはなっていません。
女性が道を歩くのは、
危険きわまりませんので、絶対にお勧めしません。
男性が道を歩いていると、
犯罪者と間違われて、パトカーが止まります。
アメリカの道を歩いても、自動販売機なんか、ありません。
お店は、駐車場に入り口がありますので、
歩道からは入れませんし、お店の中を覗くこともできません。
アメリカでも、古くからの都市の中の、
昔の発祥の地としての、歴史的な町並みだけが、
ヨーロッパやアジアのように、
人が道を歩いて暮らすことができます。
町を歩くなんて、アメリカでは、
馬籠の宿場町を歩くような、観光にすぎません。
ニューヨークの、昔の摩天楼の高層ビルは、
歩道に面して正面玄関があり、
そこから歩行者が堂々と出入りします。
日本では、当たり前の光景ですけれど、
アメリカでは、気持ちが安らぎます。
今のビルは、
歩道の面して、地下駐車場の出入り口しかありません。
人間はどこから入るのかしら、と思案するようでは、
すごく危険です。
バッグをひったくられても、道を歩いている人がいませんから、
どうしようもありません。
わたしは東京の坂道をよく歩きました。
坂を登って、
東京大学や小石川植物園やお茶の水女子大学などに出ると、
自分が堕落したと、ひしひしと感じました。
頭の良い人に憧れてはいけない、
人情を大切にしなければいけない。
東京の台地では、石神井川や神田川や善福寺川や目黒川などの、
今も水の流れている川筋が、谷として目立ちますが、
ほとんどの川は、暗渠になっていますので、
うっかりしていると、谷と尾根とが、わからなくなってしまいます。
東京の道は、条里制になっていませんので、
谷と尾根の識別ができなければ、道に迷います。
水の流れていない谷では、根津谷がわたしには馴染みがあります。
昔は谷戸川(谷田川・藍染川)が流れていたそうですが、
わたしは東京の育ちでありませんので、知りません。
地図で見ると、はっきりと河口の蛇行した川筋が見えますので、
おそらく石神井川の、河口付近の溺れ谷と思います。
本郷通りや中山道に沿った本郷台と言われる尾根筋と、
その北東の、
飛鳥山公園や谷中霊園や寛永寺などのある上野台と言われる尾根筋との間に、
飛鳥山公園のすぐ西の石神井側から不忍池まで蛇行する谷筋があり、
根津谷と呼ばれています。
飛鳥山公園や谷中霊園や寛永寺の尾根(上野台)の、すぐ北東側に、
東北新幹線や山の手線が通り、
電窓から、線路の南西を見ると、
数mから10m程度の崖が続いています。
この崖が武蔵野の洪積台地の東の端で、縄文時代の海岸線でした。
根津谷も溺れ谷でしたので、氷河期が終わり、縄文時代になると、
海面が上昇して、石神井川の河口と言うべきか、海と言うべきか、
まぎらわしい所でした。
この日記の、2010-03-15の、
「あの日にかえりたい 0058 鶴丘八幡宮の銀杏」に、
弥生坂のビデオをリンクしましたが、
弥生坂は言問通りの西の端にあり、
隅田川から、谷中霊園のある尾根(上野台)を登ったあと、
不忍池のある根津谷の谷底まで下って、
もう一度、本郷通りのある尾根筋(本郷台)に登る坂です。
この登り坂の途中に、貝塚がたくさんあり、
その中から古墳時代よりも古い土器が出ました。
縄文時代よりも新しく、この坂のある地名から、弥生式土器と名付けられました。
貝塚は、昔の人が海産物を、食料や道具として利用した時の、
ゴミ捨て場のようなものだったそうです。
当時の海岸線に沿って、貝塚が残っています。
弥生時代になり、暖かくなると、海岸線が上昇して、
弥生坂のあたりが海岸になり、根津谷は溺れ谷のような海でした。
その後、石神井川が飛鳥山公園の北を流れるようになり、
荒川や隅田川の土砂が堆積して、下町の沖積平野を延ばしましたので、
海岸が遠ざかり、根津谷は現在のように、水のない埋没谷になりました。
武蔵野台地の出来かたについて、
多摩川の扇状地でないかって言う人もいます。
その上に、火山灰が降り積もりました。
扇状地だから、扇が広がるにつれて、標高が低くなります。
川は途中まで、伏流することが多く、
扇状地の裾のほうで、地下水が湧き出る形になります。
武蔵野台地の川も、
台地の中ほどから出る湧水が、水源の場合が多いみたい。
扇状地の裾が、すぐに海岸で、
荒川の河口の土砂の溜まる所ですから、ややこしい。
そこへ火山灰が降り積もって、
氷河期があって、海水面が上下します。
素人だから、これぐらいの理解で、堪忍してください。
東京の生まれ育ちでない人は、東京に転居しても、
地図がなければ、どこへも行けません。
みんな、地図と睨めっこになると思います。
わたしは、山の手のほうの谷と尾根を、
徹底的に頭に叩き込みました。
東京の道って、
ぐにゃぐにゃの田舎道ですから、地形に添っています。
地形を覚えなければ、仕方ありません。
川の河口のほうでは、川と橋を覚えました。
橋の懸かっている所まで、道が曲がってしまって、
縦横の格子状の道路を作れません。
だいたい、橋や踏切がなければ、
川や鉄道に区切られた区画が、
町の人の行動範囲を決めてしまいます。
お店を作る時に、川や線路や大きな道路が近くにあると、
住民は、それを越えて移動してくれないので、
商売あがったりになります。
車の少なかった昔ね。
今は、車のお客さんを狙ったほうが、儲かるかも。
わたしの、東京の覚え方って、そういう感じでした。
アメリカとは、ぜんぜん違って、古臭いかも知れませんが、
昔ながらの人間味を大切にして、
東京の町と親しくなりました。
首都の政治や品格なんか、屁でした。
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