発達障害と統合失調症は、よく似ています。
原因となる器質的な病変が確認されませんので、
発言や行動などを、文学的に評価して、病気として分類します。
薬剤の効き目や副作用も、
病気の器質的な原因や仕組みがわかっていませんので、
症状に対して、大体の見当で使ってみて、
使える化学物質があれば、論より証拠で、薬とするほかありません。
発達障害の多くは、生後の発達の最初の時期から、精神障害が表れます。
発達の程度が、遅く低く、途中までしか発達しなかったり、
発達の内容が、変な言葉や行動や思考になり、変更できずに、
社会に共通の、あるいは最低限の文化様式を習得できずに、社会生活が困難になり、
社会が、病気として特別に庇護してあげなければ、
動物としての生存や、人間らしい生活が危ぶまれます。
軽い発達障害では、障害と言うよりも、個性と言って欲しいと、
御家族や御本人の主張することが、よくあります。
ある程度よりも重い発達障害では、
御家族のほうが、障害者だから大目に見てほしいと、訴えざるを得なくなります。
多くの場合、御本人には病識がありません。
統合失調症の大部分の人は、子供の頃に、軽い発達障害を経験していますが、
障害と言って騒ぎ立てるほどではなく、
ほとんどの人は、発達障害と指摘されたことも、ありませんでした。
もっとも、50才以上ぐらいの人では、子供の頃に発達障害という考え方が、
まだ世間一般に普及していませんでした。
発達障害だから、学校で配慮してあげなければいけない、という考え方を、
1970年頃に、はじめて聞いた大部分の人が、思わず噴き出してしまう時代でした。
怠け者や、躾の出来ていない子供を、発達障害だから許してやれ、と言うのなら、
学校教育の否定ではないか、と思うのが、一般人の常識感覚でした。
統合失調症の人のなかには、かなり重症の発達障害を経験していて、
発達障害の診断の後に、統合失調症と診断される人もいますが、
大部分の統合失調症の患者さんは、子供時代に受診したこともなく、
発達障害と診断されたこともありません。
他人の目には、思春期まで健常に見えていましたので、
小学校に入学するときに、養護学校のほうがいいのではないかと、
御両親が悩んだことも、まったくありません。
母親の目には、子供の頃から、
すでに離乳や歩行や言葉の習得や、排便排尿の躾などで、
よその子供よりも能力が低いように見えて、
心配のタネになっていたことが、よくあります。
幼稚園や小学校に行くようになると、ほとんどの統合失調症の患者さんは、
辛抱が足りず、衝動的で、我が侭で、
頭痛や腹痛や発熱や偏食やアレルギーなどの、原因不明の病気が多く、
身も心も虚弱ではないかと、健常な親に疑われるようになりますが、
精神障害とは思いも寄らず、発達障害を指摘されたことも、ありませんでした。
異常がはっきりしてくるのは、大部分の統合失調症の患者さんでは、思春期以後です。
統合失調症では、いったん発達していた能力が、ある時期から低下します。
それが発達障害との決定的な違いになりますが、
思春期以後に、生活に支障をきたすほどの能力の低下を隠せなくなったときに、
必ずと言っていいほど、興奮症状をきたします。
多くは、行為心迫と言われる切迫した気持ちになり、
何者かのせいで命や生活が危険に曝されている、と思い込み、
深刻な被害妄想の内容を、具体的に確信して、
極限状況の中の、緊急避難的な正当防衛のように、命懸けの反撃に転じて実行します。
これまで健常だった能力が低下しても、
患者さんは、能力の低下や、能力の低下する病気を、自覚できません。
今まで問題のなかった思考や行動が、急に不首尾になると、
自分のせいとは思えずに、他人や社会のせいと思ってしまいます。
思春期や、大学受験や、就職や、結婚や、育児や、転職や退職や、身体の病気などの、
生活様式の大きな変化が重なると、自覚が一層困難になります。
統合失調症だけでなく、その他の精神障害や健常な人でも、
一旦獲得していた能力を、脳の機能の事情によって失うときには、妄想を伴い易くなります。
本人は、今までと同じ能力が自分にある、と思っていますので、
調べて試してみて、自分で客観的に事情を知る方法がなければ、
うまく行かなくなったのは、自分のせいではないと確信します。
この事情は、後に、ほとんどの統合失調症の患者さんの、
御家族のうちの、健常な人が経験することを、
統合失調症の患者さんが、自分の心の中で孤独に経験しているとも言えます。
一人だけの心の中で起こると、その人の性格に大きく左右されますので、
社会規範を守ろうとする遵法意識が強く、気持ちの優しい内向的な人は、
誰かに振り回されるような被害意識を持つことが少なくありません。
一般に身体障害や、様々な精神障害を含めて、家族に障害者がいると、
健常な御家族は、一方的に能力の低い障害者に合わせて、家庭生活を営まざるを得なくなります。
発達障害や統合失調症の人も、目の見えない人と同じように、
健常な生活には適応できませんので、
御家族のほうが、一方的に障害者の低い能力に、合わせてあげなければなりません。
その上で、障害者の能力を訓練できないかと考えますが、たいていは不首尾に終わります。
統合失調症では、御家族の中に精神障害者が、もう一人いるのが平均的です。
しかし、ほとんどの場合は受診することもなく、診断されることもありません。
ここでは、もう一人のことではなく、健常な御家族のことを言っています。
健常な御家族が、健常な家庭生活を維持したのでは、
統合失調症の患者さんには、針の筵になります。
健常な御家族が、能力の低い統合失調症の患者さんに、
一方的に歩み寄ってあげなければ、患者さんは、わざと精神症状を出すようになります。
ところが、統合失調症の患者さんの御家族に起こることが、
発達障害と言って騒ぎ立てるほどでもなく、
軽い発達障害の傾向のあった人の心にも、すでに起こっていて、
そのせいで、現に統合失調症を発症しているのではないかと、疑われるふしがあります。
統合失調症の患者さんの子供時代には、
ほとんどの能力は健常でも、一部の能力が人よりも低く、
そのことを捉えて、発達障害と言いたければ、
限定的に発達障害と、診断できたかも知れません。
実際には、受診することもなく、人に指摘されることもなく、
母親だけが知っていて、気になっていました。
統合失調症の患者さん本人は、健常な能力に無理を強いて、
人よりも低い能力を補ったり、隠したりしていましたが、
思春期になると、大人の社会性と生殖の能力が、新しく要求されます。
自分自身の身体の第二次性徴と、社会規範や常識などが、
もはや子供のように甘えた心を、許してくれません。
法律の許容する20才までに、すみやかに大人の心に脱皮しなければなりません。
こうなると、今まで無理をして、背伸びをするように精一杯頑張っていた子は、
負担の限界を超えてしまい、もはや代償することも隠すこともできなくなり、
一部の低い能力に足を引っ張られるように、
その他の大部分の健常な能力が、一方的に低い能力に譲歩せざるを得なくなります。
統合失調症の患者さんにとっては、能力の低さも、わが身の内ですから、とても大切です。
低い能力でも、無ければ生きて行けません。
高い能力が、一方的に低い能力に、合わせてあげます。
他人の目には、いったん発達していた能力が、思春期以後に退行したように見えますので、
発達障害でなく、統合失調症と言われます。
クレペリンの早発性痴呆や、ブロイラーの連合障害です。
本人が低い能力に適応できないうちは、しばしば被害妄想から興奮症状をきたします。
初発の統合失調症では、急性の興奮症状が1年以上に渡り、切迫していることもあります。
病識もなく、措置入院になることが少なくありません。
通院中の患者さんでは、妄想を実行するようになれば、抗精神病薬や抗不安剤を増量します。
看護師さんの手が足りないので、入院させずに、
医師は薬物療法だけで済ませようとしているのかも知れません。
だんだんと薬剤の量が増えて行きますが、どこかで適応しなければなりません。
半数近くは、廃人や痴呆などと言われる状態まで進行して、やっと適応します。
無理を強いられていた分だけ、ゴムで引っ張り戻されるように、
乳幼児まで退行すると、気持ちが楽になります。
統合失調症や性同一性障害などのように、
脳や身体の器質に、原因となる病変が発見されないにもかかわらず、
慢性的に、複合的な精神症状をきたす病気では、
病気の進行は、ほとんどが幼児にまで、
精神が退行するのと、同じ意味です。
ゴムの弾力がなくなるほど、無理をし続けると、
脳のグリア細胞や神経細胞などの疲労から、
細胞が変性して、レーガン大統領やサッチャー首相のように、
アルツハイマーになるかも知れません。
胎児の頃にすでに無理をしていた人は、
食べることも排泄することも眠ることもできずに、紙おむつで点滴を受けて、
拘束具で固定されたまま、1年以上も寝たきりの生活を経験した後に、
精神の病気のせいで、身体の病気なって死にます。
拒食症では、拘束具こそ必要ありませんが、
20%近い人が、根本的には精神の病気によって死亡します。
統合失調症の患者さんの脳は、薬剤の増量にも適応しなければいけませんので、
かえって薬物療法が、治癒の足を引っ張っている可能性もあります。
急性の興奮症状は、薬物で鎮めなければ仕方ありませんが、
軽い統合失調症では、軽い急性期を脱すれば、
抗精神病薬による薬物療法を、躊躇したほうが良いかも知れません。
性同一性障害では、性ホルモン剤のほかに、
できるだけ薬剤を使わずに、外科手術によって生殖機能を阻害することを、
患者さん自身が、自分から喜んで希うように、
文化運動として社会的に誘導します。
発達障害では、メチルフェニデートのような、
脳の機能を賦活させる薬剤を使用することもあります。
統合失調症では、患者さん自身が神経伝達物質のドーパミンを多量に分泌して、
脳の機能をシャキッとさせようと、興奮します。
ドーパミンをたくさん出すと、神経伝達物質のギャバも増えますので、
とても気持ちよくなります。
心の中で仮定したことを、自制できなくなり、
妄想を実行してしまいますので、
興奮を鎮めるために、抗精神病薬を使い、
ドーパミンの量を、強制的に下げます。
ギャバの量も下がってしまい、患者さんは不快になりますので、
抗不安薬を処方して、ギャバの量を確保します。
患者さんの脳は、薬剤の入ったことに適応しようとして、
薬剤の作用を、帳消しにするような方向に機能します。
身体や脳の、恒常性を維持しようと頑張りますので、
ドーパミンの量を減らす抗精神病薬の作用と張り合うように、
もっと大量のドーパミンを、自前で分泌しようとします。
そのくせ、抗不安薬の気持ち良さを手放せなくなり、薬物依存症になります。
睡眠薬や抗不安薬の常用から、なかば自殺するように亡くなるのは、
芸能人や政治家だけでなく、医師にも少なくありません。
患者さんは、興奮症状をきたすたびに、
だんだんと薬剤の量が増えてしまい、後戻りできなくなります。
統合失調症の患者さんが、自分でドーパミンやギャバの分泌量を増やして、
気持ち良さにしがみつこうとするのは、
発達障害の患者さんに、メチルフェニデートという覚醒剤の一種が効くのと、
おそらく類似の仕組みです。
正常な能力が、低い能力を代償しようとして、
無理を承知で、背伸びをして頑張るには、
脳に活を入れて、興奮して気持ち良くなる必要があるから、と言えば、
聞こえは悪くありません。
麻薬やMDMAなどの作用と、似たようなものです。
興奮すれば気持ち良くなりますので、興奮する症状の人もいれば、
気持ちよくなるところだけを、掠め取ろうとする症状の人もいます。
健康な人でも、だれでも脳内麻薬が出て、気持ち良くなることに、
いつまで浸りっきりになろうとして、変な事をする人もいれば、
手っとり早く、薬物やお酒などに頼って、変なことになる人もいます。
変てこな顔を作るために、美容手術に凝る女性と、
マイケル・ジャクソンのような芸能人の違いも、
性同一性障害や統合失調症などに似て、
自前の脳内麻薬を出すための、変てこな工夫や、
外から投与する麻薬の種類などの違いに、過ぎないかも知れません。
誰しも、気持ち良くなるのは簡単で、
それを我慢して、先々の準備に勤しむのは、困難です。
蟻とキリギリスの、イソップの説話を引き出すまでもありません。
性同一性障害では、患者さん自身が、
異性装や、異性になった気分に耽ることによって、性的快感に浸ります。
この快感は、中学生の男の子が、女性の下着を見たり手にしたり、
女の子が、男性の勃起した性器を見て、性的に興奮するのと同じです。
この快感を助長して、恒常的なものにするために、
性同一性障害では、性ホルモン剤や性転換手術などによって、補強します。
身体の性別と反対の性ホルモン剤を使えば、
異性を想像してオナニーに耽るような、性的快感が得られます。
皮膚や髭や乳房などの、外観や質感が異性に似てきますので、
想像しなくても、オナニーの性的快感が得られて、横着が出来ます。
男性では、射精によって快感の山を駆け下りますが、
せっかく女装をして、お化粧をしたのに、
簡単に射精で終わってしまえば、苦労が水の泡です。
1ヶ月程度の短期間で、射精しないことを覚えますが、
元々、MtF(Male to Female・男性から女性へ)の、
GID(Gendet Identity Disorder・性同一性障害)では、
瞬発力のある快感よりも、終日、浸りっきりになるような、
持続的な快感を好む傾向があります。
なかには、射精の時の、ジェットコースターやエレベーターで下るような、
ふわっとした感じに適応できずに、
射精が物凄く不快で、死ぬほど気色悪いという人もいます。
性同一性障害だけでなく、精神障害の人には、
外からの変化だけでなく、身体の内側からの、通常の変化にも、
適応できない人が少なくありません。
このことから、統合失調症の薬剤の量が、どこまでも増えて行くような、
重症の患者さんは、恒常性を維持する能力が高く、
変化に適応する能力が高いのではないかとも、言われています。
重症の患者さんでは、乳幼児の頃からの発達障害も、目だつ傾向がありますが、
発達障害にしても、原因となる器質的病変を発見できませんので、
今のところ、治療の役には立ちません。
MtFのGIDでは、射精しないオナニーのように、
いつまでも持続的な性的快感を求め、生殖不能や生殖拒否の症状が現れ、
異性装や、異性になった気分の性的快感に浸り、エストロゲン剤を求め、
自分の心は女だったと確信して、性転換を望むようになるのが、
立て続けに、数ヶ月から半年程度の、ごく短期間に急速に進行します。
これらの進行過程は、GIDの仲間社会と知り合い、性的遊戯を習得する過程と、ほぼ同じです。
エストロゲン剤を使えば、精力が減退して射精できなくなりますので、
持続的な性的快感に浸るには、好都合です。
FtMでは、他人や社会とのコミュニケーションがとれなくなり、
社会的に孤立して、性周期が不順になり、人によっては月経がなくなり、
相対的にエストロゲンの不足から、性欲が亢進するのと、
同性との性交渉の快感に夢中になり、やがて性同一性障害を発症するのとが、
多くの場合、歩調を合わせています。
性欲が亢進しても、男性のようには射精できませんので、
終日、性的欲求不満になります。
テストステロン剤を使えば、いよいよ性欲が亢進して、
欲求不満の捌け口を、性転換の望みに託しますが、
性転換しても射精はできませんので、
自分自身の自制力のない衝動的な言動に、自分で振り回されて、
解離性同一性障害の患者さんに、よく似た精神状態になります。
男女を問わず、外科手術によって、性器の外観を、異性の形に変更すると、
異性の性器を見た時の性的快感に、浸り続けることができます。
GIDでは、性的快感によって、統合失調症になることは滅多にありませんが、
最初から統合失調症に似た症状の人が、
やがてGIDの仲間社会を離れて引きこもり、
GID以外のさまざまな精神症状が目だつようになり、
統合失調症と診断されることが、よくあります。
性的快感の脳内麻薬に、一生浸り続けられるようにしてあげることを、
性同一性障害では、医療と称しますが、確実に生殖機能を失います。
生殖は社会を作るためにありますから、
社会的でなければ生きて行けない人間には、
生存のための必須行為です。
性別は生殖のためにあるのに決まっています。
無性生殖が可能になれば、性別は必要ありません。
性同一性障害の患者さんは、性転換医療によって、生殖機能を失いますので、
家庭生活が行き詰まり、社会的に一層、孤立します。
夫婦が子供を生み、育てる家庭が、社会の始まりです。
多くの性同一性障害の患者さんは、
結婚して子供のいる人でも、やがて離婚して、事実上の育児放棄になります。
未婚の患者さんは、子供のいないまま、
生涯、温かい家庭を持つことができずに、世代交代ができなくなります。
自分から、それを願い、それを求めて、実行します。
一部の人は、生まれ育った境遇や、遺伝的素質を顧みて、
自分を最後に、この血を絶やすために、
わざと生殖を拒否して、一代限りの快楽に耽り、性同一性障害になります。
性同一性障害の背後には、深い悲しみがあります。
統合失調症の患者さんが、自分は陰謀の犠牲になったと思い込みながら、
入院病棟という温室の中でしか、心から安心できないように、
性同一性障害の患者さんは、仲間内の性欲社会でしか、生きて行けなくなります。
健常な人は、性同一性障害や、性転換した人とは、一緒に暮らせません。
この人たちと生活を共にするのは、生まれながらの家族を除けば、精神障害者だけです。
性転換は、絶食療法が拒食症に効くという触れ込みに似ていますが、
絶食療法は二週間で元に戻り、さほどの後遺症が残りません。
健常な人は食事を摂れば、気持ち良くなりますが、
絶食によっても、今までに経験したことのない、
生まれて初めて知るような、気持ち良さに浸れます。
峠に辿り着き、山の反対側を見たように、
二度と日常茶飯の何かを欲しいとは思わなくなり、
人生を悟った達成感や満足感が、餓死するまで続きます。
幻覚ですが、この快感の、ほんの触りの部分を、
安全に味わえるのが、絶食療法です。
精神の病気の治療になる証拠はありません。
拒食症では、医師の管理もなく無計画に、
知識もなく自分勝手に、食事と絶食の快感をむさぼりますので、
20%もの人が、命を落としてしまいます。
統合失調症も、性同一性障害も、拒食症も、発達障害も、麻薬覚醒剤などの依存症も、
健常な人が一時的に何度も経験する快感に、
継続的に浸りっ放しになろうとするかのように見えます。
溺れる者は藁をも掴むと言う通りに、しがみついて、放しません。
躾のできていない幼児のうちは、だれでも、その場の苦しさを避けて、
今ここの快感にしがみつくだけの、衝動的な生活しか知りません。
生まれつきに備わっている反射行動にすぎませんが、
だんだんと向こう先が見えて来て、先々のために、この場の快感を諦め、
今は、わざと苦しい事を、行なうようになります。
発達障害では、その能力が十分に発達していませんが、
統合失調症や性同一性障害などの精神障害では、
多くは思春期以後に、それができなくなり、
生まれつきの反射行動だけの、乳幼児にまで退行します。
長期的な人生を大切にできなくなるのと、
社会に適応できずに、孤立して、
他人や社会とのコミュニケーションができなくなり、
生殖できなくなるのとは、それほど違いません。
今ここだけの、衝動的な感情や性欲に促されて、
我が侭に、自暴自棄に生きている人が、たくさんいますが、
その人たちに性交渉の能力があるか、
生殖や育児の能力が保たれているかを、よく観察して下さい。
人間は感情のままには、生殖能力を維持できないことが、すぐにわかります。
これからは嫌なことを辛抱せずに、自分のしたいように生きると、心に誓った時と、
生殖能力を失う時とは、ほんの僅かの誤差しかありません。
人間では、個人的な感情や我が侭を自制して、社会的に生きる能力と、
生殖や育児の能力とが、子供や老人を含めて、ほぼ一致しているとわかります。
他の哺乳類とは明らかに異なる人間特有の生殖機能、あるいは社会機能を、
自我機能と言います。
発達障害も統合失調症も、器質的な原因や仕組みがわかっていませんので、
ありとあらゆる精神症状の表れる可能性があります。
けっして、これこれの精神症状と限定できるものでなく、
これこれの器質的な仕組みであると、なかなか推定できません。
個人差が大きく、一つの病気として纏める根拠に乏しく、
ゴミ箱のような診断名です。
統合失調症の患者さんの多くは、手先が不器用になり、
物事の筋書きを理解できずに、作業の手順を計画的に組み立てられなくなりますので、
身の回りの整理整頓ができなくなります。
いくら口喧しく言っても、できないものは出来ませんので、
患者さんの能力にあわせて、整理整頓の乱雑な家庭にならざるを得ません。
家族が文句を言うと、患者さんは孤立して、症状が悪化します。
無理を強いると、精神症状を悪化させて、抵抗します。
入院させると、退院したときには、一時的に症状が良くなっているように見えますが、
日常生活の恒常的なレベルは、入院前よりも、一段と能力が低下しています。
妄想を口に出さずに、実行しなくなっていますが、
認知能力が下がり、手先が一層不器用になっています。
薬剤を増量したのですから、副作用から言って当然です。
患者さんの能力が下がれば、健常な御家族が困るだけです。
本人は病識がありませんので、切迫した被害妄想があっても、
興奮していれば、さほどの苦しさを感じないかも知れません。
そのための興奮症状です。
むしろ、抗精神病薬が良く効きますと、昏迷状態になります。
このほうが、患者さん本人は、苦しいかも知れません。
性同一性障害の患者さんは、昏迷状態を鬱と言います。
認知障害の進行には、抗精神病薬はあまり効きません。
いくら抗精神病薬を増やして、何もできない昏迷状態に持って行っても、
1年もすれば、それ以上にドーパミンを分泌するようになりますから、
また興奮して、妄想を実行するようになります。
御家族が患者さんに合わせてあげなければ、
御家族の生活に端的に跳ね返って来て、介護の大変さが増すだけです。
最初から患者さんに一方的に合わせてあげるしかなかったことを、
健常な御家族なら、やがて知ります。
同じことが、社会全体についても言えます。
発達障害や統合失調症などの、すっきりと治る見込みの少ない障害者に対して、
社会は、その能力の低さに、一方的に合わせてあげるしか、ありません。
歩道には、目の見えない人のために、ブツブツの黄色い線がありますが、
白い杖を持った人が、そのブツブツを頼りに歩いているのを、滅多に目撃しません。
それでも日本全国にブツブツを作ってあげなければいけないように、
健常な社会は、障害者の低い能力に、一方的に合わせてあげるしか、ありません。
治らない障害者を殺してしまうような、無慈悲なことができないのなら、
能力の高い健常な人は、能力の低い障害者に合わせるのが、いちばん得です。
それに加えて、障害者が生まれないようにする優生医療を、
性同一性障害の性転換医療では、実施しています。
ナチスドイツは障害者を、笑顔で施設に招き、焼却しましたが、
現在でも性転換医療では、
笑顔で性同一性障害の人をそそのかして、その気にさせて、
患者さんたちが自分から、喜んで生殖機能の阻害や摘出を望むように、
社会運動として、専門の医師達が優生医療を仕向けています。
抗精神病薬を使わずに治療するのは、古い治療法の継承ですが、
客観的な器質的原因や仕組みが、わかっていませんので、
本人が喜んでいれば、それに越したことはないのかも知れません。
あるいは、特定の乳幼児期に、特定の学習が遂行できるように、
うまく子供を躾けるための、社会全体の育児の経験を、
御両親が蔑ろにしたのが原因ではないかとも、疑われます。
器質的には、遺伝子以外に、もはや探すところがありません。
神経伝達物質や神経栄養因子のような化学物質の生産のバランスは、
器質的証拠の残りにくい記憶情報ですが、
同じように教育しても、子供によって差が出ますので、
器質的には遺伝子を探すほかは、残っていないのかも知れません。
記憶の内容を解読できても、記憶を強制的に変更するのは、当分は難しい気がします。
写真はロウバイです。蝋梅。梅の一種でなく、クスノキ目のロウバイ科ですが、
そう言えば、クスノキの花(緑色の目立たない小花)に似ています。
真冬によく香るお花の代表ですが、花びらが光っていて、いかにも造花の感触です。
鼻を近づけると、よくある石鹸の匂いにそっくり。
クスノキ科だから、樟脳が入っているのかも、と思って調べてみると、
血行促進・消炎鎮痛の、カンフルが入っていました。
梅のように奥ゆかしくはありませんが、
石鹸よりは、アロマセラピーになりそうな・・・
この木の葉っぱは、表面がざらざらで、爪を磨くのに便利です。
落葉樹ですので、今の季節は真っ裸ですが。
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