オオデマリ 大手毬 0153 進化論と精神医学 ロマン主義の間違い

バラ科のコデマリ(小手毬)と
1対(いっつい)の名ですが、
葉や、1つ1つの花は、
科が違いますので、全然違います。
 
同じ季節に、
たくさん花が、球状に咲きます。
 
オオデマリは、
同じスイカズラ科のハコネウツギに、
葉が似ていて、
とりわけ、ガマズミとは、同じ属ですので、
葉がそっくりです。
 
ところが、花は、
ガマズミにもハコネウツギにも、
似ていません。
 
アジサイ科のアジサイに、
そっくりの花ですが、
科が全然違い、葉も違います。
 
オオデマリやアジサイは、
ヤブデマリやガクアジサイの、
花序の中心部の両性花がなくなり、
花序の周辺部の、
萼(がく)の目立つ装飾花が、
球状に咲くようになりましたので、
科が違っても、
花びらに見える萼の形が似ています。
 
オオデマリの装飾花は、
雄しべや雌しべがなく、無性です。
 
小手毬は、人の背丈くらいですが、
大手毬は、
下から見上げる高さに、育ちます。
 
 
   ***    ***
 
 
知覚の内容を、
直接には、他人に伝えられない。
 
そのことが、多くの考え方を生みましたが、
進化論や精神医学などは、それを否定します。
 
19~20世紀の、ロマン主義と言われる思潮の、
中心が、進化論や精神医学でしたが、
2度の世界大戦や、
共産主義革命とソ連の崩壊や、
ファシズムとホロコーストなどを、
招きました。
 
その理由を、理解しなければ、
今も、ロマン主義は危険であり、
とりわけ、精神医学は、
軍隊や警察や裁判などと同様に、
法律を掲げながら、
法律を超えた国家権力を、
現に実行していますから、
廃止されるのが、望ましい。
 
国家権力の廃止の仕方は、
このブログに書きませんが、
個人が、国民として、十把一絡げにされると、
迷惑ですから、
国民に由来すると称する権力は、
嘘つきに決まっています。
 
いかなる権力も、
それを支持する人を代表することしか、
出来ません。
支持していない人を、
勝手に代表するかのように、詐称するのは、
極悪非道です。
 
いかなる権力を行使する時にも、
それを支持する人の、1人1人を特定して、
全員を列挙すべきです。
 
コンピュータを使えば、それが出来ます。
 
そうでない権力は、無効ですが、
その典型は、国家権力でしょう。
 
国家を廃止する方法は、
このブログに書きません。
面倒臭いから。
 
精神医学の廃止と、ロマン主義の一掃は、
その一部を、このブログに書きます。
 
 
   知覚の内容は、
   直接に、他人に伝えられませんが、
   ロマン主義は、伝えられるとします。
   部分的に。
 
   直接にとは、
   コンピュータのハードウェアや
   ソフトウェアの、
   プログラムやデータを、
   コピーしたり、
   手渡したりする方法です。
 
   部分的に伝えられるとするのは、
   知覚の規則性の一部は、
   コピーできる、とする考えです。
 
   視神経や内耳神経を切断すれば、
   視覚や聴覚が絶えるので、
   知覚の内容の、
   規則性の一部がわかると、言います。
 
   知覚の途絶えたことが、
   特定の脳波が消えたことから、
   わかりますか?
   本人が言明しなければ、わからないと、
   わたしは思います。
 
   本人の言葉により、
   知覚の、内容や規則性を、伝えるのは、
   間接的な方法と、言えます。
 
   嘘や間違いかも知れないからです。
   
   言葉や絵やビデオなどの、
   他人とのコミュニケーションのための、
   メディアの表現を、伝えても、
   その表現と、知覚の内容との関係を、
   他人は、検証できません。
 
   知覚の内容は、直接には、
   他人に知られません。
 
   コピーや手渡しが、できませんので、
   言葉やビデオなどの、
   メディアの表現を、
   他人と共有することにより、
   わたしたちは、他人の知覚の内容を
   間接的に知ります。
 
   コミュニケーションのための、
   メディアの表現を、
   共有したにすぎません。
   
   知覚の内容を、他人は、
   コピーすることも、
   貰(もら)い受けることも、
   できませんので、
   検証することが、できません。
 
   ロマン主義は、できると、信じます。
   進化論や精神医学は、その代表です。
 
   そのことが、2度の世界大戦や、
   共産主義革命や、ソ連の崩壊や、
   ファシズムやホロコーストなどの、
   原因になりました。
 
   進化論や精神医学などのロマン主義は、
   他人を、殺したり奴隷にしたりして、
   征服することを、目指しています。
 
   進化論や精神医学が、
   ロマン主義と言われる思潮の、
   核心であることを、理解できないのは、
   たぶん、
   キリスト教の宗教裁判の残虐を、
   中世や近世の、欧米の庶民が、
   喜んだ気持ちと、同じです。
 
   
世間一般の人は、
目で見て、手で触って、
直接に知る科学技術のような事実と、
政治や社会や法律などの、人間関係の営為と、
宗教や夢のような、心の中の出来事とは、
それぞれに、別の次元であると、
割り切っています。
 
進化論や精神医学は、
それらが、別の次元でなく、
同一の規則性によると、
宗教のように信じています。
 
架空の規則性を掲げて、
強権を発動しますので、
夢を見たまま、突っ走るようなものです。
   
レーニンやスターリンや
ムソリーニやヒトラーだけでなく、
進化論や精神医学を実行する人たちに、
今も、その嫌疑が懸かります。
 
わたしは、進化系統分類や
統合失調症や性同一性障害などを、
嗜(たしな)むまでもなく、
その嫌疑が、気になります。

 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

0コメント

  • 1000 / 1000