写真判定中 天皇御手植乃樹の石碑の近く 0143 ガウディ風26聖人記念館

 
ノキシノブが、たくさん着生していました。
葉が、ビロードシダのようには、
垂れ下がりません。
 
背景の、2本の煙突みたいなのは、
この記念館を運営するカトリックの、
聖フィリッポ教会の尖塔です。
 
今井兼次氏が、
ガウディ(Antoni Gaudí)風に、
設計したそうです。
 
殉教者や、原爆の被害者に、
相応(ふさわ)しく、
死体を焼くための、
火葬場の積もりでしょうか。
洒落ています。
 
わたしは、味もそっけもないモダニズムが、
好きですが、
ガウディは、
生きながらにして、死にたかったのでしょう。
贅沢です。
 
26聖人は、豊臣秀吉の時代に
処刑されたカトリック教徒や、
聖職者たちです。
 
布教の禁止に、違反しました。
 
京都や大阪で逮捕されて、
耳を削(そ)がれた後に、
長崎まで歩かされて、
4000人もの、キリスト教徒の前で、
処刑されました。
 
改宗すると、墓地の権利や、
菩提寺が代行している行政事務や、
地域の年中行事などについて、
他の宗派や寺や親戚や住民組織や役所などと、
トラブルになり、
互いに、他の信者や施設を、
襲撃するようになります。
 
テロですが、日本の仏教の宗派の間でも、
新興宗派が、信者を増やすと、
必ずトラブルになり、殺し合いになりました。
 
僧兵は、そのために必要であり、
行政は、軍事政権でしたから、
宗派や自治都市や政権の間には、
力の均衡が、必要でした。
 
年中行事だけでなく、
屋根の葺き替えや、家の冠婚葬祭も、
住民が寄り合い、共同で行ないましたから、
寺や神社が、住民参加の行事を、主催すると、
宗派ごとの住民組織が必要になり、
村や町の、自治組織や行政事務が、
立往生しました。
 
宗教施設や自治組織が、
役所の仕事を、代行していましたので、
本願寺が、加賀の国を支配したり、
堺や博多の自治都市や、
鉄砲の根来衆や、塩飽の海賊が、
それぞれ、
群雄割拠する軍事勢力の1つでした。
 
カトリックは、殉教者と言うけれど、
実態は、軍事勢力の活動家でした。
 
千利休が、茶の湯の師匠でなく、
堺という政治勢力の参謀であったように、
26聖人は、カトリックの戦闘員であったと、
思われます。
 
同時代のキリスト教は、
ジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno)の
火刑のように、
残虐な刑罰を、厭いませんでした。
 
キリスト教の宗教裁判を、継承したのが、
近代医学であり、
19世紀のロマン主義は、
新たに、近代的な精神医学を作り、
宗教裁判の残虐を、専門に、
現代に受け継いでいます。
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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