マルバアオダモ 青梻 0122 麻原彰晃や精神科の医療と、エステティック

原始人は、他の生物に似て、
文字や遺伝子や思想などを、知らず、
嗅覚が、人間特有に退化していましたので、
自分の外観を、他人と識別するさえ、
困難でした。
   
野獣の肉食は、実力行使でなく、
食べる振りをするだけで、
草食動物の筋肉が、麻痺して、
大人しくなります。
 
食べる振りがあるのなら、
死んだ振りもありますが、
振りだけで、事(こと)が決まるのは、
歌舞伎の型や、
音楽のリズムやメロディのように、
エステティックと、同じ原理です。
 
感覚器官は、振りや型を、
知覚しているだけでないかと、疑われます。
 
わたしたちは、
記号を知覚しているだけであり、
知覚の、対象や意味や実態と言われる事実は、
演劇や音楽や夢のように、
見世物にすぎないと。
 
チータに襲われると、
ガゼルやインパラの四肢が、
麻痺するかのように、使用不能になり、
筋肉が、無駄に痙攣するばかりに、なります。
 
ハイエナに集(たか)られると、
身体の小さなチータは、逃げざるを得ません。
 
すると、今まで、大人しくしていたガゼルが、
飛び跳ねて、走り出します。
ものすごく元気に、逃げて行きます。
 
どうして、
チータに咥(くわ)えられていた時に、
暴れなかったのでしょうか。
 
まるで、チータの牙から、
麻酔薬が、分泌されていたかのようです。
 
 
   同じことを、人間も、行なっています。
   理不尽な権力に、抵抗すれば、
   精神病と、診断されます。
 
   暴れても暴れなくても、
   暴言を吐いても吐かなくても、
   同じです。
 
   興奮して暴れて、喚き叫び、
   意味不明の言葉を発したと、
   診断書に記述します。
 
   刑事事件は、検察庁の取り調べが、
   ビデオに録画されますので、
   本人の否認する事件を、
   証拠もないのに、起訴できません。
 
   どうせ、無罪になりますから、
   逮捕の理由が、事実無根であったと、
   裁判で指摘されれば、
   捜査員は、責任を免れません。
 
   不起訴にして、裁判を避ければ、
   診察は、ビデオに残りませんから、
   嘘八百を、診断書に書き、
   密室の中で、精神病と診断するだけで、
   何年間も、
   精神病院に閉じ込ることが出来ます。
 
   明るみに出ないうちに、
   抗精神病薬により、廃疾にして、
   闇から闇に、葬り去ることが出来ます。
 
   精神病のために、不起訴にしたと、
   公文書に残るだけですから、
   刑事事件の捏(で)っち上げが、
   バレません。
 
   精神病と診断すれば、
   即時に、監禁投薬に及びますので、
   1時間後に、痴呆になり、
   2週間後には、
   生涯、自力で回復しなくなり、
   3ヵ月後に、
   幸いにも、医師の恣意的な造反により、
   抗精神病薬の依存症から
   脱却できたとしても、
   幼児期でなければ、
   いまさら知能は発達しません。
 
   投薬3週間目以降の、
   人為的な知的障害は、
   絶対に回復しませんので、
   生涯の廃疾が、確定します。
 
   人格の解体ですから、
   事実上の殺人です。
 
   捜査機関に捕まれば、
   何も言わざるに、如(し)くはなし。
      
   
強制的な廃疾の、ほとんどは、
捜査機関による措置入院でなく、
家族による医療保護入院です。
 
家族が精神科医に相談すれば、
訴えの真偽は、調査されずに、
精神病と診断されて、
強制入院と強制投薬になります。
 
診断書に、
家族の発言だけでは、間に合わなければ、
精神科医が、独自の嘘を付け加えます。
 
診断の根拠を、本人に知らせずに、
事実を尋ねませんので、
いきなり、家畜のように捕まえて、
屠殺するだけです。
 
精神病院は、基本的に、
アウシュビッツと同じです。
それが、瞬時にわからない人は、頭が悪い。
 
ツィクロンBの代わりに、
昔ならロボトミー、
今は抗精神病薬を使いますが、
目的は同じなのに。
 
事実により、診断するのでなく、
捜査機関や家族の通報の通りに、
診断して屠(ほふ)ります。
 
捜査機関は、無条件に信頼されますが、
家族に定職があり、本人が失業していれば、
充分です。
 
精神症状があったという事実は、不要です。
どうせ、診断書に記述された本人の言動は、
捜査機関や家族からの聞き取りでなければ、
精神科医による捏造ですから。
 
 
   精神病の症状とされる言動の事実や、
   発言の内容の、妄想や幻覚などは、
   精神病の診断とされる公文書の
   記述にすぎず、検証されません。
 
   診断基準の、妄想や幻覚は、
   精神科の、架空の文学です。
 
   事実は、妄想や幻覚の一種と、
   識別できませんから、
   ロマンティックな精神医療が
   作られたのに、
   事実と識別できるから、
   近代的な精神医療が、成立したと、
   誤解する人もいます。
 
   事実を調査する能力のない医師が、
   何を根拠に診断するかは、
   知れています。
   診断の根拠の嘘が、バレなければ、
   問題ありません。
 
   捜査機関による逮捕や起訴の根拠と、
   同じです。
   バレなければ、断定できます。
 
   密室の中の、
   証拠や証明のない出来事を、
   事実でないと、
   国民が識別できないので、
   当局や医師は、
   冤罪や精神病を、自由に捏造できます。
 
   嘘八百でも、逮捕や診断ができると、
   一般の人は、気づきません。
 
   法律家や医師も、
   教えられなければ、気づきませんから、
   全人口の99.8%は、
   生まれながらの色盲のようなものです。
 
   わたしたちの知覚の内容が、
   嘘八百でも、バレない典型であると、
   幼児の頃に、気づかなかった人は、
   おそらく、死ぬまで、
   事実を識別できないでしょう。
 
   世間が、事実を識別できないのなら、
   事実に拠らないほうが良いと、
   麻原君は、考えたのかも。
   
   捜査当局や法律家や医師などと、
   同じです。
   サリンやロボトミーやツィクロンBや
   抗精神病薬などは、権力の手段でした。
   
 
事実を確定する手順がないと、
瞬時にわかる人は、
ロマンティックな医術や法律の、
事実を基準にするナンセンスが、
何のためであるかも、
わかっているはずです。
 
事実は、手品の種(たね)を知らない人から、
料金や税金を徴収するための、
見世物のようなものですので、
手品の専門家でなければ、
種(たね)を知らないほうが、面白いけれど、
手品と、気づかないのでは、ぼったくりです。
 
ガゼルやインパラは、気づいていますから、
おとなしく、食べられます。
 
暴れると、痛いのでしょうか。
何度も経験しなければ、
わかりませんから、無理です。
チータに咥えられるのを、
何度も経験するなんて。
 
初めての経験で、
処女のように、失神するのかも知れません。
冤罪で逮捕されて、措置入院とか、
家族の裏切りから、医療保護入院とか。
 
キリストは、信者に裏切られて、
磔(はりつけ)にされましたから、
キリスト教の支配を批判したロマン主義者は、
キリストの痛みを、馬鹿にしています。
 
近代的な法体系や精神医学や医療に、
その気持ちが、よく現れています。
 
キリストは、イスカリオテのユダに
裏切られましたが、
ロマン主義は、その手口を、
法体系や精神医療に使いました。
 
   
   ここは、咥えられて、
   食べられなければ、絵にならないと、
   インパラやガゼルは、知っています。
   彼らは役者です。
 
   キリストは、そう言いませんでしたか? 
   哺乳類は、エステティックにより、
   文化的に、弱肉強食の序列が、
   決まっているようなもので、
   人間も同じと、思われます。
 
   強い相手の爪に、引っ掛けられて、
   のし懸かられると、
   身動きが、できなくなるのは、
   捜査機関に因縁をつけられているのに、
   権力を信用するアホが、
   被疑者のほとんどであるのと、
   同じです。
 
   彼らは、
   エステティックを知っています。
   権力に食べられる一般大衆の役を、
   演じなければいけません。
   
   ここで、うっとりしながら、
   食べられるって、
   インパラの台本に、書かれています。

   刑事事件のほぼすべては、
   冤罪でないかと、わたしは疑います。
   少なくとも、法律家は、
   そのように疑わなければいけません。
   疑わしきは、罰せず、ですから。
 
   ところが、戦争に負けて、
   進駐軍に支配されると、
   法律家のほぼ全員が、
   麻酔を掛けられたように、
   従順になりました。
 
   日本人は、玉砕すべきであったかも。
   自分でないのなら、
   生きていても仕方ないでしょう?
 
   それとも、自分でない生き方を、
   知っていなければなりません。
 
   どうせ死ぬのに、
   何を惜しんでいるのか、法律家は。
 
   日本の治安が良いのは、
   礼節を尊び、
   秩序を重んじる日本社会の
   美徳でなく、
   アメリカの言いなりになった法律家の、
   不甲斐なさにすぎません。
 
   
根拠となる共通の事実がなければ、
こころを説いても、伝わりませんから、
生活の実態がわからないのに、
こころがあるはずもない。
 
食べる、寝る、という動作が、
共通でないかと、言いたくなりますが、
言葉の音(おん)は共通でも、
その意味が同じと、限らないように、
動作が共通でも、
その意味は違うかも、知れません。
 
動作にも、意味があると、言い出すと、
言葉と同じに、なりますから、
この世の中に、言葉でないものは、
何もないことに、なります。
 
統合失調症の人は、そう言います。
この世の中のすべてのことは、
何かの意味を持つ暗号であると。
 
記号論理学は、
まさに、そういう学問でしたが、
コンピュータは、その実践です。
 
精神医療が、
世の中の一々を、何かの暗号と、信じる人を、
精神病と診断するのは、
精神科医の仲間内でないから、
気違いに決まっていると、
言っているだけです。
 
ヨガは、そんなことを言いませんでしたが、
ロマン主義が、精神医学と称して、
そう診断したのは、
キリスト教団の仲間内の生き方が、
ヨーロッパに、普通にあったからです。
 
ロマン主義は、それに対抗しました。
 
 
   統合失調症は、
   狭い意味での精神病であり、
   医者が、たんに精神病と言う時は、
   狭い意味での精神病の意味です。
 
   具体的には、
   統合失調症と妄想性障害と、
   その近辺の、躁うつ病などの病気です。
 
   その近辺って、統合失調症の場合は、
   主として抗精神病薬の投与を、
   治療と称する病気です。
 
   称するって、ようするに治療でなく、
   精神症状を人為的に作るために、
   強制的に抗精神病薬を投与して、
   作られた精神症状を、
   統合失調症の精神症状であると、
   すり替えますので、
   統合失調症の原因としての医療を、
   治療と偽り、
   患者や家族や世間一般を、
   騙(だま)している、という意味です。
 
   詐欺と、思うかも知れませんが、
   手品と同じで、
   タネ証(あか)しをしても、
   統合失調症の、本人や家族は、
   手品であることを、信じられません。
 
   事実の場合と、同じです。
 
 
統合失調症の本人は、
抗精神病薬を投与されたせいで、
痴呆になっていますので、理解できません。
   
依存症になっていますので、
薬を飲まなければ、
妄想や幻覚が、必ず出て来て、苦しみます。
   
依存症になっている、ということは、
精神科医を信じるようになっているのと、
同じ意味ですから、
薬を飲まずに、精神症状がひどくなり、
苦しくなると、
精神病なのに薬を飲まなかった自分が悪いと、
自分を責めます。
   
精神科医を責めることが、出来ません。
もしも、医者を責めるようですと、
主治医は、薬の種類を替えます。
 
 
   統合失調症の家族は、
   もともと、理解できません。
   だから、
   本人を精神病院に入れることに、
   同意しました。
 
   多くの場合は、
   本人を精神病院に入れるように、
   家族が、精神科医に訴えたはずです。
 
   その前に、本人が自主的に
   精神科に通院していたのでしたら、
   入院に際して、
   家族が同意したのでしょうが、
   家族が、
   精神病院に連れて行ったのなら、
   同意もへったくれもなく、
   犯人は家族です。
 
   精神病は、器質的に病気でないのに、
   なぜ、病気とするか、
   という精神医学や医療の、考え方を、
   家族は、理解していません。
 
   だから、本人を、
   精神病院に連れて行ったり、
   精神科医に、本人の非行を訴えたり、
   本人の入院に、
   同意したりしたはずです。
 
 
原因となる器質的な病変がないのに、
機能のみを、病気としているのですから、
化学物質を投与しても、
病気が治るわけがないのは、当たり前です。
 
しかし、抗精神病薬を投与すれば、
病気を作ることが出来るのは、確かです。
 
精神病には、脳の萎縮が認められますから、
抗精神病薬を投与すれば、
何らかの器質的な病変を作ることが出来ます。
 
どうして、健康な人に、毒薬を盛り、
精神と脳を、破壊しなければ、
医者は、気が済まないのでしょうか。
 
 
   近代的な欧米の精神医療は、
   19世紀のロマン主義の、
   旧弊な道徳感覚や常識感覚を、
   精神についての、病気と健康の、
   仕分けの基準にしています。
 
   つまり、悩や身体の器質に、
   原因となる病変や薬物などが、
   発見されないのに、
   当人が病気を否定して、
   治療を拒否しているにもかかわらず、
   何の法律にも違反していない人を、
   道徳や常識や流行などに
   そぐわない言動から、
   精神病と診断して、
   強制的に入院させて、加療しました。
 
   現代の統合失調症ですが、
   当時は、
   早発性痴呆と名付けられました。
 
   ようするに、
   老人の痴呆のような症状が、
   青年に現れるとして、
   隔離監禁の必要な病気と、診断します。
 
   現代では、老人の認知症の9割に、
   脳血管障害やレビー型や
   アルツハイマー型などの、
   原因となる悩の病変が
   発見されていますが、
   現代でも、
   残りは、これと言った病変がなく、
   たんなる老化でなければ、
   若い時からの、頭の悪いのが、
   年を取って、
   目立つようになっただけです。
 
   頭が悪いのを、病気とするなら、
   頭の良いのと悪いのとを、測る尺度が、
   自由な考え方の違いであったのでは、
   嫌(きら)いな奴を、頭が悪いと言い、
   因縁を付けて、実力行使に及んだのと、
   区別が付きません。
 
   19世紀のロマン主義は、
   世間一般が、少数派の異端者の排除を、
   正当化しましたから、
   共産主義革命やファシズムや
   ホロコーストなどに、至りました。
 
   ロマンティックな考え方は、
   行き着く所まで、突っ走らなければ、
   気が済みません。
   その典型が、精神医学であり、
   クレペリンの早発性痴呆でした。
  

現代の老人性認知症は、
原因となる脳や身体の、器質の病変の発見が、
診断の第一ですが、
精神の検査も、自由な考え方の違いの、
揚(あ)げ足を取らずに、
記憶や見当識や足し算のような、
答えの明確にわかっている判断を、
被験者に問います。
 
けっして、事実の原因を、何と思うかなどと、
ロマンティックな精神分析のように、
答えの決まっていないことを、問うて、
妄想や幻覚や、措置入院の必要性などを、
導き出したりは、しません。
   
現代の精神科医は、若年の早発性痴呆を、
統合失調症として、継承しました。
 
思想や流行感覚の違いを、病気として
強制的に治療しなければいけないと、
診断した上で、
ロボトミーや抗精神病薬により、
不可逆的に、脳を破壊します。
 
まったく、ホロコーストと同じです。
ロマン主義の亡霊です。
   
しかも、自由な考え方の違いによる言動の、
具体的な証拠や証明が、ありません。
その言動を、妄想や幻覚などの、
精神症状であると、
ロマンティックに診断したにもかかわらず、
密室の中の、診察中の言動にすぎず、
当人が、言動を否定するにもかかわらず、
言動があったとする証拠や証明が、皆無です。
   
   
   近代的な欧米の精神医療は、
   マルクスレーニンの科学主義や、
   ファシズムやホロコーストなどの、
   ロマン主義の価値観により、
   権力が、孤立した人を、
   精神病と診断しました。
 
   基本的には、ゴーラクナートのヨガと、
   同じです、
   ロマンティックな精神医療は。
   繁殖力を崇め、
   その反対を病気とします。
  
   ロマン主義の生き残りの、
   現代の精神科医の、
   統合失調症の診断と治療は、
   麻原彰晃氏がサリンを撒いた気持ちと、
   ほとんど同じ反社会的な狂気です。
 
   精神科医の精神が、
   典型的な狂気であると、
   わたしは、指摘して置きます。
 
   法律家の能力に、疑問があるので、
   埒(らち)が明かず、
   第二次世界大戦の夜と霧が、
   今も晴れないだけです。
 
 


精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

0コメント

  • 1000 / 1000