ホトケノザ 仏の座 0098 知覚とロマン主義と精神医学

台座まで、付いて、
確かに、仏像の立ち姿に、見えますから、
念入りです。
 
後ろの大きな葉叢(はむら)は、
立葵(たちあおい)でしょう。
初夏に、茎の背が、人よりも高くなりますが、
冬越しするときは、地面近くで、
葉だけが、群れています。
 
 
   ***    ***
 
 
このブログは、2017年12月頃から、
人の知覚の中身を、他人は検証できないのか、
他人と自分が、
同じ事実を知覚したと、判断するように、
他人の言葉やビデオなどの、
コミュニケーションのための、
メディアの表現と、自分の知覚の内容を、
同じとする定義の運用を、
他人は、だれも検証できない、という問題を、
紹介しました。
 
つまり、個人の知覚が関われば、
他人は、だれも、
その判断を、検証できませんので、
数学のように、
単なる規則性の判断はもとより、
複数の人間に共通する判断は、すべて、
人間の知覚を、根拠にしていません。
 
複数の人間の、共通の知覚や判断は、
あり得ませんから。
特殊なシャム双生児や結合体児でも、
きわめて困難と、思われます。
 
複数の人間の、判断の共有は、
虚偽でしょうか。
知覚や判断を、他人に伝えるための、
言葉やビデオなどの、メディアの表現を、
共有しているだけなのに、
なぜ、わたしたちは、知覚を共有していると、
誤解するのでしょうか。
 
形而上学やウパニシャドなどの、
インドヨーロッパ人の思想の、
根本問題ですが、
19世紀以来、現在に至るまでの、
欧米のロマン主義に立脚する精神医学に、
関係がありますので、
このブログで、最近になり、言及しています。
 
 
   近代的な精神医学に、
   ロマン主義以外の流派は、
   ありません。
 
   ロマン主義は、第二次世界大戦と共に、
   瓦解しましたが、
   遅く見積もっても、ソ連の崩壊により、
   雲散霧消しました。
 
   精神医学が、今もロマン主義1本で、
   運営されているのは、
   ロマン主義が、何を信じて、
   精神医学が、なぜ起こり、
   ロマン主義が、なぜ廃(すた)れて、
   現代人の確信が、
   ロマン主義による精神医学と、
   いかに違うかを、
   現代人が、知らないからです。
 
 
早い話が、
精神医療は、個人を、精神病であると、
強制的に診断して、
強制的に薬物を投与して、
個人の脳を、不可逆的に破壊しますが、
ファシズムや、ロボトミーや、
旧ソ連の粛清のように、
密室の中で診断された精神症状の存在に、
証拠や証明がありませんので、
ようするに、嘘の症状をでっち上げて、
嫌(いや)な奴を、闇から闇に葬るための、
典型的な権力維持の手段に、すぎません。
 
警察官が、犬と言われるように、
精神科医も、それに近い。
 
闇から闇に葬り去るとは、
具体的には、精神科医に訴えて、
他人を、精神病院に、
強制的に入院させることです。
 
裁判に拠らずに、合法的に、
即決で、他人を殺せます。
 
正確には、他人の人格を、破壊します。
事実上、2度と回復せずに、
不可逆的ですので、殺人と同等ですが、
精神病院が寝返れば、回復します。
 
精神医学には、
事実であるという証拠や証明が、ありません。
ところが、
精神病の症状として、
妄想や幻覚を、列挙しますから、
事実でないことを、事実のように信じて、
みんなと一緒でないことを、
病気の根拠としています。
 
これでは、
精神医学が、最大の精神病になりますから、
ソ連の粛清のような、
権力闘争にならざるを得ません。
医療の根拠に、
権力や、みんなと一緒を、掲げるのは、
ロマン主義ならではの、
ギロチン好きの手法です。
 
 
   精神医学は、前時代の遺物ですが、
   抗精神病薬や抗不安薬などの、
   向精神薬の使用により、
   現在も、強制的な脳の破壊を、
   継続しています。
 
   基本的に、ロボトミーと同じ方針を、
   薬物により、今も実行しています。
 
   大量の微生物が群れるように、
   みんなと違う奴を、
   処分する手順ですが、
   人間は、自分以外の何ものも、
   知覚できないと、主張する人も、
   古代から、たくさんいます。
 
   紀元前500年頃と比べて、
   現代が違うのは、
   ビデオや写真や計測機器などの、
   科学技術の産物が、
   議論に参入しただけです。
 
   物理化学の法則や定理などの、
   規則性は、
   数式により、精密に計算されなくても、
   だいたいは、
   人間の幼児に、知覚されますから、
   新しい発見でありません。
 
   算盤(そろばん)の先生や、
   コンピュータのように、
   精密に計算してくれれば、便利ですが、
   間接的にさえ、
   人間が知覚できない規則性は、
   数学やロマン主義の、虚妄でしょう。
 
   人間は、規則性を知覚して、
   物や心のように、表現しますが、
   哺乳類でも、人間に近くなければ、
   そのように表現しませんから、
   人間が、素粒子の振動を知覚して、
   光に表現しているとは、限りません。
 
   数学は、音楽のように、麻薬に近く、
   精神病と診断された数学者の、
   ジョン・ナッシュ(John Nash)
   のように、
   飼い犬に手を噛まれることは、
   充分にあり得ます。
   奥さんに裏切られたそうですが、
   証明されない精神病の、
   ありきたりの例ですので、
   ノーベル賞の価値は、高い。
 
   いかに注目されても、
   彼の精神病が事実であったと、
   だれも証明できません。
 
 
物理化学の指摘する規則性のうちの、
何と何と何が、幼児に知覚されて、
何と何が、死ぬまで知覚されないかは、
人により、組合わせが異なります。
 
知覚される規則性は、
生まれつきの遺伝形質ですから、
遺伝しているのなら、幼児の頃に、
すでに、その規則性を知覚しますが、
遺伝していなければ、
数学を動員しても、生涯に渡り、
その規則性を、理解できません。
 
色覚異常のような、
遺伝的素質の組合わせです、
物理化学や知覚の、規則性は。
 
知覚の中身は、
人により異なる自分の遺伝的素質を、
自分で知るための、
言葉やビデオなどの、コミュニケーションの
メディアによる表現でないかと、疑われます。
 
大航海時代のように、
自分でない事実や自然を、
ロマンティックな人たちは、知覚して
これこれであると、定義することにより、
自分の精神に、同化できると、考えました。
 
枝分かれして、分化するばかりの、
分類という判断のための時間を、
逆行できると、期待したかのようです。
 
コンピュータを使えば、
データが増える一方なので、
分類の枝分かれが、
だんだんと、煩瑣になります。
 
枝分かれを整理すれば、
1つに纏めることが出来ると、
ロマン主義者は言います。
 
レーニンやムソリーニやヒトラーは、
そう信じましたが、
歴史を逆行できるわけが、ありません。
 
生物の進化は、箒(ほうき)のように、
だんだんと
太く繁茂する時間の枝分かれであり、
逆行できないのは、
死にたくないからに、決まっています。
 
分化して枝分かれをするように、
知覚できても、
逆進して同化できない知覚の特徴が、
時間と言われています。
 
知らない事実を、知覚して、
自分と同化するのでなく、
言葉や写真やビデオやボイスレコーダなどの、
メディアの表現を、まず習得して、
みんなの事実を捏っち上げてから、
自分の遺伝的素質を知覚するのは、
誕生以後の、乳幼児の心の発達に、
合致します。
 
統合失調症や解離性同一性障害の、
精神病や多重人格と、知覚の関係が、
よくわかります。
 
ムソリーニやレーニンなどの、
ロマン主義の横紙破りよりも、
ウパニシャドや形而上学のほうが、
インドヨーロッパ人の、
伝統的な考え方でした。
 
 
   わたしたちは、ただ単に、
   遺伝形質の組合わせの、
   アンテナや触覚を、
   身体や心と言われる表面に、
   ゴテゴテに
   突出させたウイルスのように、
   みんなに共通の
   ニモニック(mnemonic)の組合わせの、
   言葉やビデオなどの、
   コミュニケーションのための、
   メディアの表現を、
   知覚するのかも知れません。
 
   知覚の中身は、自分自身の
   遺伝形質の組合わせを表現するための、
   ただの語呂合わせの物語であると。
 
   他人に伝えるのでなく、
   自分に伝えるために、
   遺伝形質を点検して、
   自分の気持ちを、集約するだけとも、
   言われます。
   解離性同一性障害や多重人格のように。
 
   人それぞれに異なる遺伝形質の
   組合わせと、
   みんなに共通の、
   定義された表現形式があれば、
   知覚の中身が、
   人それぞれでありながら、
   みんなに共通の物語を具えているのは、
   当たり前です。
 
   どうせ死んでしまう個人の心と、
   みんなに共通の架空の物語の
   関係を知れば、
   精神医療や薬物療法の荒唐無稽が、
   わかろうというものです。
   
   ロマンティックな精神医学の、
   黒魔術だけでなく、
   時代錯誤の、憲法や刑事訴訟が。
 
 
わたしたちには、目や手があり、
物を知覚していると、言われます。
 
物や目や手があるのは、知覚の内容でして、
知覚以外の、どこかに、それらが在る、
という証拠は、ありません。
 
それなら、目や手は、何のためにある、とか、
自分にも、目や手がある、とか、
あなたに、目や手があるのを、
わたしが保証する、とかと、文句が出ます。
   
こうして、喋れば聞こえて、話が出来るのも、
耳や口があり、他人がいるからで、ないかと。
 
それらは、すべて知覚の内容ですから、
想像上の1人芝居でも、出来ます。
 
知覚の孤立を、だれも解消できませんから、
精神病があると、思い込む理由が、ない。
 
原因となる器質的な病変がなく、
本人が、苦痛を訴えていないのに、
他人を、無理矢理に病気と、診断して、
他人の人格を、破壊する精神医療が、
殺人罪でないはずがない。
 
精神病があるなんて、
根も葉もない空想だから、
精神科医が、殺人罪で逮捕されることも、
あり得ないのではと、疑いたくなります。
 
知覚の孤立が、社会的な孤立なら、
人は皆、精神科医に殺されています。
精神病の症状は、
孤立して、イジメられている人の心を、
表現しているに、すぎませんから。
 
そのように心配する必要がないのは、
知覚と社会の両立が、あり得ないからと、
主張する人もいます。
 
 
   個人の知覚が、孤立しているから、
   社会に共通の、架空の物語が、
   成り立ちます。
 
   科学技術のように、
   面白おかしい空想譚が、
   現実と一致するのは、
   もちろん、社会に共通の物語が、
   個人の知覚の裏付けを、
   必要としないからです。
 
   科学技術が、
   知覚の裏付けを必要としないって、
   この Blog に紹介したように、
   個人の知覚の孤立から、
   自動的に証明されます。
 
   知覚が孤立しているのなら、
   みんなに共通の規則性に、
   個人の知覚の裏付けも、ありませんが、
   偶像のように、
   個人に信奉されることは、あり得ます。
 
   イスラム原理主義は、
   古代ローマによる植民や、
   仏教の偶像崇拝などを、憎み、
   パルミラやバーミヤンの遺跡を
   破壊しましたが、
   個人の知覚の規則性は、
   遺伝の組合わせに拠るのでなく、
   規則性を定義する文化に拠ると。
   
   イスラム教徒でなくても、
   ローマ人による支配を、
   異民族が歓迎するとは、思えません。
   
   日本人が、
   パルミラの遺跡を惜しむのは、
   奴隷根性かも知れませんが、
   古代中国に影響された日本の歴史を、
   喜びますから、
   遺伝子の組合わせは、
   文化や権力のように、
   みんなと一緒を望みます。
   
   使い捨ての個人が、
   変更不能のみんなの規則性を
   争うかのように、
   ロマン主義は、
   文化や権力を定義します。
   インドヨーロッパ人は、
   パルミラの遺跡が、大好きです。
 
   精神医学は、
   遺跡のように、ロマン主義の破壊を、
   精神病と診断したいのかも。
   ただの戦争なのに。
   
   わたしは、スーダンやアフガニスタンの
   惨状を目撃しましたので、
   嫌(いや)な奴を、精神病と診断して、
   闇から闇に葬り去る精神医療が、
   スーダンやアフガニスタンに、見えます。
   
   
   
   

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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