紅冬至(こうとうじ)という品種だそうです。
私は知りません。
大阪城梅林の名札が、そうなっていました。
12月から、咲くそうですが、
できるなら、今頃から後に、咲いて欲しい。
今が、一番寒い時ですから、
だんだんと春めく時節に、咲いてくれないと、
季節感が、変になります。
梅やバラの品種は、多すぎて、
私が知っているはずもありません。
苗木を買った時の名札を、大切にしていますが、
母は、品種の名札を捨ててしまいます。
ゴミがくっついているのは、良くないそうです。
名前を知りたいと思わない人に、
言っても仕方ありませんので、
私は、デジカメで撮影してから、庭に植えます。
*** ***
形而上学は、知覚の孤立を説きますが、
科学が発達したので、廃れたと思われていました。
とりわけ、写真が発明されたので、
「知覚の対象の事実は、確かに存在する」と、
誤解した人たちが、
ロマン主義と言われる社会の風潮や、文化の仕組みを、
築きました。
近代の、最後の時代です。
もちろん、論理的には、
写真が出来て、科学技術が発達しても、
ちっとも、知覚の孤立は、解消されませんので、
論理能力の低い人たちが、ロマン主義を信じて、
高い人が、それを利用しました。
コンピュータの原理とコンピュータを、
作った人たちは、知覚の孤立を利用して、
悪いことをしたのか、しなかったのかを、
私は、知りません。
コンピュータの原理を考えた記号論理学は、
知覚の孤立を証明して、
ロマン主義を批判しましたので、
ノーベル賞を受賞しましたが、
ヒトラーやムソリーニやスターリンなどの、
ロマン主義者が死んだのも、
ナチスやソ連が潰れたのも、
別に、そのせいでありません。
でも、コンピュータのせいで、
ソ連や日本の経済が、左前になったのは、
確かですから、
ロマン主義とともに、日本文化が滅びる日も、
遠くありません。
それを喜びませんが、私も、すぐに死にますので、
なんとなく、嬉しいような気もします。
ロマンティックな日本と、一緒に死ねるなんて、
なんとお目出度いことか。
知覚の孤立とは、
知覚の中身は、個人的であり、
他人に伝えたり、
他人の知覚と、比較したりは、できない、
という意味です。
他人との、コミュニケーションのための、
言語や科学技術などの、メディアを使えば、
個人的な知覚の内容を、表現して、
他人に伝えることが出来ますが、
言葉や写真やビデオやコンピュータなどが、
個人の知覚の中身を、正しく表現していると、
他人は検証できません。
そこで、言葉や科学技術などが、
論理法則に合致するように作られて、
運用されるように、
知覚の内容の事実も、合致すると、仮定すれば、
事実や論理法則などは、個人の知覚によらずに、
知覚の外側に、独立して存在すると、
主張することになります。
知覚なんか、放って置けと。
嘘こけ。
知覚しなければ、生活できるわけがない。
頭が悪ければ、議論よりも先に、
知覚が、事実や論理法則に、一致していません。
私は、小学2年生くらいから、
事実や科学技術が、論理法則に一致しているのは、
だれの知覚や論理法則に、一致しているのかと、
とても心配でした。
知覚は個人的で、人それぞれですが、
事実や論理法則は、社会的であり、
論理法則そのものも含めて、
無数の事実や論理法則の中身が、
矛盾しないことに、なっています。
建前の嘘ですから、
社会的な事実や科学技術などと、個人的な知覚の、
両方に、皺寄せが来るのに、決まっています。
法則を立てて、社会や個人に、皺寄せが来るのは、
変な感じでした。
事実や科学技術は、頭の悪い奴を、殺すために、
考え出されたのでないかと、疑われました。
私の両親は、頭が悪かったので、
小学2年生の私は、大変でした。
両親を殺されると、食べて行けません。
知覚の裏付けのない事実や自然が、
科学技術のように、人間の知覚と交渉しても、
事実や自然自体は、矛盾しないのなら、
事実や自然と論理法則だけでなく、
知覚と論理法則がつるんでいるのに、
決まっています。
論理法則は、人間の文化なのに、
文化でなく、自然の秩序であると、言い抜ければ、
うまく行くだろうと、ロマン主義者は考えました。
ナチスやソ連や日本が潰れて、
コンピュータが普及してみれば、
うまく行かなかったのは、火を見るよりも明らかですが、
私が死ねば、
記号論理学を解説できる人も、いなくなります。
なんと、お目出度いことでしょうか。
事実は、知覚から独立して、別個に存在すると、
コンピュータは、考えていないだけでなく、
事実やコンピュータは、論理法則に矛盾しないと、
日本人の大部分が、思っても、
コンピュータは、事実を扱いません。
何と何と何とが、論理法則と言われる教条であるかは、
どこにも規定されていませんから、
コンピュータは、
その都度、独自に定義しているだけです。
うまく行かなければ、定義を変えれば、仕舞ですが、
流通しなければ、うまく行きませんから、
鉄砲や黒船や原爆の続きが、コンピュータであると、
察しのつかない人は、これまでと同じように、
間引かれて行きます。
そのために、社会があるのかも知れません。
そうして、猿は人間になったと、
ブリーダーたちが言います。
第二次世界大戦後の日本は、
家電製品を、全世界に売りまくったのに、
電卓を買わずに、
私は、アメリカから、パソコンのキットを買いました。
ソ連が潰(つぶ)れた理由は、
ノーメンクラトゥーラと言われる官僚主義と、
コンピュータに乗り遅れたことと、言われています。
日本経済が、不動産投機に手を出して、
左前になったのと、同じですが、
日本国憲法を読めば、日本やマッカーサが、
純然たるロマン主義を標榜していたことが、
一目瞭然です。
マルクス主義のソ連は、ロマン主義の左の主流でしたが、
ナチスドイツや日本も、第二次世界大戦に負けたのに、
ロマン主義が負けたことに、
日本やソ連やマッカーサなどは、気づきませんでした。
日本人は、アメリカのほうが立派と、思っていますから、
日本が、アメリカ合衆国の51番目の州になれば、
正直に喜びます。
英語を喋れないから、仕方ありませんが、
日本国憲法も、時代錯誤の復古主義にすぎません。
マッカーサは、なぜ第二次世界大戦が起こったのかも、
わかっていませんでした。
ロマン主義と科学主義が、戦争を起こして、負けました。
原爆とコンピュータが、勝った。
原爆やコンピュータは、科学主義でないのかと、
文句を言うのは、頭が悪い。
日本の科学技術立国の政策は、
大日本帝国憲法や日本国憲法の、ロマン主義の産物です。
コンピュータの0と1の羅列を見て、
日本国憲法と、何が違うかを、知らなければいけません。
マッカーサーは、
古き良きロマン主義を信奉していましたから、
日本国憲法は、ノスタルジアにすぎません。
それが、第二次世界大戦で負けたのに、
マッカーサは底抜けでした。
0コメント