大井町 2025 論理について

JR大井町駅のホームから、
いわゆる看板建築の、裏側が見えました。
 
昔は、ホームの側に、客寄せの工夫をしても、
効果がなかったのでしょう。
 
もったい無いと、思いますが、
今でも、優れた建築家ばかりと、限りません。
 
羽田の帰りに、大井町をうろつく人も、
多くないはずですから。
 
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論理法則って、
流行文化の中身の、たくさんの定義や教条のうちの、
比較的に長続きしているのを、ごった煮のように、
一緒くたに纏(まと)めたものです。
 
その幾つかは、簡単な事実を知る仕組みのように、
他の哺乳類や脊椎動物に、共通ですので、
体や脳の器質として、遺伝するだけでなく、
その能力が低ければ、たぶん、生存できませんが、
人間特有の、複雑な事実を知る仕組みは、
あまり純化されていませんので、
遺伝はしても、人それぞれの能力の差が、大きく、
低くても、必ずしも生存できないと、言えません。
 
生存能力って、早い話が、
生物の中の、共食いの力量のようなものですから、
みんなと一緒のほうが、孤立するよりも強く、
複雑な事実を知る能力が、低くても、
知能指数100のほうが、160よりも、
生存の可能性が、大きいかも知れません。
 
複雑な事実を知るための論理能力が、
人間社会で重宝されるのは、科学技術のように、
少数でも、多数を殺せるからです。
 
特定の流行文化の、定義や教条が、
たくさんの他人を、殺す壺に、嵌(はま)っても、
みんなの流行の、竜巻のようなものですから、
絶対的や必然的であると、言うわけでありません。
 
生存するのが良い、という生命の価値も、
論理法則と同じように、
虚(むな)しいと言えば、虚しい。
 
食べても食べられても、殺しても殺されても、
たいして、違いませんから。
 
簡単な事実を知るための、脊椎動物の能力が、
もっと、遺伝的に純化されれば、時間や空間のように、
ほとんどの生物に、共通になるでしょう。
 
時間って、判断の順番ですが、
人間では、自我と言われるように、
後戻りが出来ません。
 
空間は、新聞配達の道筋や、エステティックのように、
判断の枝分かれを、整理しますが、
論理のようには、組み合わせの可能性を、扱えません。
 
自我のほうが、エステティックよりも、
生物の仕組みとして、古いのは、当たり前です。
 
人情や人格や人権や、善悪の価値などは、
性転換を望む人たちの、
判断の拠り所かも、知れませんが、
性別の自覚が、生まれつきの変更不能な、
脳の仕組みであると、主張するのは、
かなり、懸け離れた趣(おもむ)きです。
 
禅宗の庭のように、風流ですが、
性転換の行く末は、社会の底辺にしか、ありません。
 
苔(こけ)のように、美しく生きるのが、
好きなのかも知れませんが、
わたしは、そのように生きられなかった性転換者が、
失敗者に見えて、仕方ありません。
 
実際に経験しなくても、
たくさんの性転換者の、行く末を知れば、
性転換や性別を、超えられるような気がして、
なりません。
 
 
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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