京都南禅寺の琵琶湖疏水。
煉瓦(れんが)の、アーチの上を、
琵琶湖の水が、今も流れています。
明治の初めに、作られましたが、
古代ローマは、紀元前後に、
もっと大規模な水路を、地中海沿岸に、
たくさん作りました。
明治の琵琶湖疏水は、
用水だけでなく、水運を確保するために、
水路の傍(はた)に、舟を運ぶための、
インクラインと言われるケーブルカーを作りました。
急傾斜の水流が、発電機を回して、
電力が、ワイヤーロープを巻き上げましたので、
台車が、川舟を乗せて、坂道を、登り降りできました。
大阪湾から琵琶湖まで、
三十石船が、往(い)き来(き)しましたが、
わたしの子供の頃の、昭和26年に廃止されたそうです。
荷物を乗せた船が、運河を行き交う時代でした。
トラックよりも、安かったのでしょう。
京都の糞尿が、
琵琶湖沿岸の、干拓地の田んぼに、運ばれて、
江州米(ごうしゅうまい)の、下肥(しもごえ)に
なりました。
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