三浦半島の潮位 1943 知覚や運動感覚と、論理

三浦半島の油壺の、潮位の予想です。
 
気象庁のデータを、写しましたが、
天体の運行や、油壺の緯度などから、
一般的に算出される数値を、
どこまで、現実に添うように、補正しているのかは、
知りません。
 
毎日、海を見ていれば、
幼児でも、潮の満ち干きに、気づきますが、
だれにも、教えられなければ、
月の満ち欠けと、同じ規則性があるとは、
なかなか、気づきません。
 
指摘されれば、
月の満ち欠けのリズムから、将来の、潮の満ち干きを、
音楽のように、予想できます。
 
     ***          *** 
 
海の音楽は、論理や科学技術などと、同じですが、
目や耳や、体の運動などの、感覚の中に、
生まれつきに組み込まれています。
 
大潮や小潮だけでなく、中潮や長潮や若潮などは、
満潮の水位に注目して、名付けられています。
 
長潮は、二度の満潮の間の、干潮が小さいので、
一度の、長い満潮のように、感じられます。
 
翌日は、満潮の潮位が、再び高くなり始めるので、
若潮と言われます。
 
よく見ると、1日に2回ずつの干潮は、
大の干潮と、小の干潮を、交互に繰り返していますが、
大の干潮が、それほど大きくならずに、
次の、小の干潮が、大きくなり、
大小のリズムの、入れ替わる時があります。
 
小潮や大潮の日に、そうなるとは限りません。
また、干潮だけが、大小交互になるとも限らず、
日本国内の満潮でも、
著しい日潮不等が、起こり得ます。
  
赤道と白道の、黄道に対する傾きが、原因ですが、
地球と月と太陽の、位置関係から、
論理的に把握して、計算するのは、面倒臭い。
 
それとも、生まれつきに備わっている能力により、
幾つかのリズムが、重なっていることを、
幼児でも、直感的に知覚しているのかしら。
 
地球が、月や太陽と、くっつき合おうとする力と、
くるくると、元気に動き回り、離れようとする力は、
同じ力を、別の規則性により、認識していますから、
釣り合うのが、当たり前ですけれど、
くっつくと、くるくる回るのは、
粒々(つぶつぶ)理論の、特徴です。
 
地球や太陽って、大きいので、
くるくる回っているなんて、感じません。
動いているだけです。
 
たくさんの情報を、一つに纏(まと)めようとすれば、
算盤(そろばん)の玉を、動かすみたいに、
あっちへやったり、こっちへやったりしなければ、
纏まりません。
それぞれの玉は、上下しているだけですが。
 
纏めることと、動かすこととは、
コンピュータを見るまでもなく、昔から同じです。
物事(ものごと)を、地球や太陽のように、
一つに纏めて、理解するには、
動かさなければ、仕方ないのは、当たり前です。
 
くるくると、回転していなければ、いけないと、
思うのは、広いからです。
遠くへ行ってしまうと、探すのが、大変でしょう?
宇宙の果てまで、誰が、追いかけて行くんです。
だから、ぐるぐる回りをさせて、
遠くへ散らばらないように、用心しています。
 
地球と月と太陽が、似たような運動を、
いつまでも繰り返して、遠くへ行かないのは、
物理学者の卑しさのせいに、決まっています。
 
唾(つば)をつけて、
手元に置いて措(お)かなければ、予算を盗られる。
 
そのせいで、
海は、満潮と干潮を、いつまでも繰り返します。
 
海が盛り上がり、満潮になるのは、
知覚のせいなのか、論理のせいなのかと、
思案しなくても構いませんが、
これとあれとを、くっつけるのは、
整理整頓のためですから、
潮の満ち干きの知覚を、作るために、
たくさんの人が、殺されて、間引かれたはずです。
 
生まれつきの素質は、
殺し合いの帰趨(きすう)ですから。
 
わたしは、
直感的な能力の、高い幼児の、論理能力が低ければ、
精神の病気に、なりやすく、
直感的な能力の、低い幼児の、論理能力が高ければ、
権力を握りやすいと、感じています。
 
ヒトラーは、精神の病気のほうであり、
毎日毎日、4時間も5時間も、
個人的に受験勉強をしなければ、
一流大学の医学部に入学できない奴は、
権力を握りやすい。
 
精神の病気と権力って、
みんなと一緒のことが、出来なかったり、出来たりと、
似たような判断の、枝分かれですけれど、
直感能力は、生まれつきに変更不能であり、
論理能力は、これから変更不能になるために、
情報の圧縮や合理化に、躍起になります。
 
刀や鉄砲や黒船や原爆などの、科学技術と同じように、
嫌(いや)な奴を殺して、間引きます。
みんなと違う奴を間引いて、整理します。
 
このグラフのように、予測された潮位は、
だいたい、現実と一致しますので、
幼児が、毎日、海を見て、
潮の満ち干(ひ)きを、知るのと、同じです。
 
幼児は、天文学や数学を知りませんが、
海を見ていれば、誰に教えられなくても、
ひとりでに、潮の満ち干きのリズムを、知り、
10日後の満潮と干潮が、何時頃で、
どれくらいの潮位かを、
直感的にわかるように、なるのかしら。
 
昔の漁師は、天文学を数学を、知りませんでしたが、
潮の満ち干きの、時刻と水位を、
おおまかに予想していました。
 
膨大な経験を整理して、眉をしかめて、思いあぐねて、
初めて、そのリズムを、音楽のように知ったのかしら。
 
それとも、毎日、海を見ていれば、
幼児でも、ひとりでに閃(ひら)くように、
何の苦もなく、知ったのかしら。
 
たぶん、
何の苦もなく、ひとりでに、直感的に知りました。
わたしが、そうでしたから。
 
これは、
瓶の中にへばりついた米を、瓶の外に出すには、
瓶の口の方向に、瓶を動かして、
急に止めれば良いって、
幼児でも、知っているのと、同じです。
 
額に皺(しわ)を寄せて、考える必要もなければ、
たいへんな時間や物理学や数学なども、
幼児の直感を、大人が釈明するための、
後(あと)の祭りにすぎません。
 
幼児は、生まれつきに、慣性の法則と、同じ規則性を、
体の中に持っていますので、
瓶や、へばりついた米を、弄(もてあそ)んでいれば、
自動的に、こうすれば良いと、気づきます。
 
それと同じなの。
海の潮の満ち干きを見れば、
自動的にリズムがわかりますので、
来週の今頃の潮位は、これぐらいって、
直感的に、見当がつきます。
 
その能力は、このグラフを見て、
規則性を知る能力と、ほぼ同じです。
 
さて、10月13日は、新月ですが、
満潮と干潮の、時刻と潮位は、
だいたい、どれくらいでしょうか。
 
2時間ぐらいや、20cmぐらいの、誤差は、
問題ありません。
計算しても結構ですが、かえって厄介と思います。
直感的にわかるほうが、遥かに楽ちんです。
 
下のグラフのように、油壺10月13日の新月の日の潮位を、
予想できた人は、リズム感があります。
大の干潮と、小の干潮の、入れ替わる時期を、
予想しなかった人は、
13日の干潮の潮位も、予想が外れたはずです。
天体の運行や、回転軸の傾きを、
人間の運動感覚は、捕捉できませんが、
目や皮膚は、季節を感じます。
 
しかし、それだけでは、
この直感を、説明できませんので、
天体の運行の学説は、論理的であっても、
生まれつきの、知覚や運動の感覚に、
由来していない可能性が高く、
眉唾(まゆつば)かも知れません。
 
あるいは、これからも、たくさんの人を殺さなければ、
天体の運行の学説は、安定しない、
という意味かも知れません。
 
人間の知覚の見当識に、裏付けられない論理は、
出任(でまか)せと、同じです。
 
わたしたちが、変更不能な素質に、生まれついたのを、
今さら悔やんでも、仕方ありませんが、
そのように変更不能な素質でないくせに、
論理が、新たな品種改良を実行するように、
邪魔になる奴を、間引いて、自分の主義主張を、
みんなの変更不能な素質として、
固定しようとするのを、わたしが阻止するのは、
たぶん正しい。
 
他人の論理が、そうするのを、
わたしが阻止するだけでなく、
わたしの生まれつきの、変更不能な素質が、
みんなの素質になるように、
そうでない人たちを間引くのも、正しくない。
 
性転換医療は、明らかに、
生まれつきの能力の低い人たちを、間引く医療です。
性転換の論理は、新たな素質が、
みんなの生まれつきの、変更不能になるように、
固定しようとしています。
 
人間の融通が、効かなくなるのを、礼賛する医療は、
間違っています。
 
 
 
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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