アカシア 1803 社会の底辺に、沈んで行く医療

アカシアは、日本に自生していませんので、
公園や街路に、植栽されています。
 
これは、公園のフサアカシアですが、
ユーカリの隣りに、植わっていました。
 
フトモモ科 (Myrtaceae)ユーカリ属(Eucalyptus)や、
マメ科(Fabaceae)アカシア属(Acacia)は、
いずれも、オーストラリアに自生していますが、
品種でなく、種(しゅ)だけで、何百もありますから、
日本人には、分類の見当がつきません。
 
土地勘(かん)がない、と言うのかしら。
普段から、見慣れていなければ、
何に着目して、仕分けするのかも、わかりません。
 
お医者さんの目から、見れば、
社会の底辺の人たちは、みんな同じです。
暮らしたことがありませんから、
砂漠のような所です。
 
論理能力が低いせいで、
社会の底辺では、これこれならば、これこれである、
という筋書きが、すべて、嘘や間違いです。
ほんとうの論理というのを、知る能力がありません。
 
ところが、チルチルミチルの青い鳥のように、
そんなものは、どこにもなく、
社会のてっぺんのほうにもない、というのが、
悩ましい。
 
目で見て、手で触り、耳で聞いて知る知覚の中身や、
事実や科学技術なども、
個人的な記憶の便宜にすぎませんから、
ちっとも、みんなに共通でないだけでなく、
数学は、
算盤(そろばん)の先生しか、知りませんから、
みんなに共通の約束事であるはずがなく、
言葉は、一人一人が、
違う言語を、喋っているのかも知れません。
 
知覚の中身のような、
人それぞれの、個人的な記憶の便宜を、
事実や科学技術や数学や言語のように、
みんなに共通の規則性であるかのように、
誤解することを、個人主義と言います。
 
インドヨーロッパ文化の特徴と、習いませんでした?
合理主義と一対(いっつい)なの。
 
一人一人が、自分勝手な事実を見ていても、
みんなに共通の事実が在ると、
確信することができます。
コンピュータが、そうだもんね。
 
インドヨーロッパ文化の、論理中心主義ですが、
個人主義のように、
個体ごとに、責任能力がある、とする考え方と、
裏表(うらおもて)の関係なの。
 
そのような知覚の素質ばかりを、選択して来ました。
そうでない奴を殺す道具が、科学技術と言われます。
 
ばい菌みたいな奴の時代から、
生物って、共食いをして来ましたから、
その延長線上に、
科学技術やコンピュータがあるのですが…
 
お医者さんって、社会の底辺の人たちの論理の、
すべてが、嘘や間違いであることを、知りません。
底辺の生活を、経験していませんから。
自分たちも、その一種なのに。
 
ユーカリやアカシアを見ると、
勘(かん)が狂います。
見たことがないから、仕分けの見当が、つきません。
 
       ***          *** 
 
数学や科学技術や言語などが、
生まれた後に、習得されたことは、明らかです。
 
人類になってから、発明されたと言っても、
構いません。
 
他の動物にも、音声言語がありますが、
単語の数が少なく、組み合わせの構造が、単純です。
 
音声言語よりも、手話やパントマイムの類を、
言語として、使っている可能性が高く、
その組み合わせの構造も、
人類と同じくらいに、複雑かも知れません。
 
音声で伝えるよりも、
動作や行動そのものが、言語であったほうが、
直接的で、間違いが少ないけれど、
遠くまで、伝わりません。
 
     問題は、一人一人の知覚の中身が、
     他人に伝えられる前の、
     個人的なものなのか、
     それとも、すでに他人から伝えられた後の、
     みんなに共通のものなのかって、
     階層構造になっていますから、厄介です。
 
     個体に特有のものと、
     生物に共通のものとの、枝分かれが、
     段々に重なっています。
 
     原理的に言うと、
     知覚の中身のような、複雑なものを、
     自分一人で、作れるわけがありませんから、
     すでに、みんなに共通の、
     コミュニケーションの媒体として、
     作られた映像を、見ています。
 
     その仕組や機能は、
     遺伝子から誕生までの間に、
     自動機械のように、組み上げられて、
     作られたものですので、
     たぶん、多くの人に共通ですが、
     生まれつきに、そうでない人もいます。
 
コミュニケーションの媒体って、
生まれた後に習得する言葉のようなものですが、
人間は目が良いので、現実の知覚の中身と言えば、
具体的な映像が、中心になります。
 
すでに誕生の時に、目の仕組は出来ていますが、
成人のように見えるのは、1才ぐらいです。
習得しなければ、物の映像は、見えませんから、
言葉と同じです。
 
音声言語では、伝えるための人為的な音が、
言葉として聞こえます。
 
言葉を知らなければ、雑音に近く、
それを発声する動作の意味と、言葉の意味とは、
全然、違うかも知れません。
 
わたしたちは、自然の音の中から、
人間の発声した言葉だけを、
選択することが出来ます。
 
他人の言葉を聞いていると、
潮騒の音が、聞こえないかも知れませんが、
潮騒(しおさい)と言われるように、
特定の意味を持つ音として、理解されますから、
自然の音も、人間の言葉かも知れません。
 
ガード下で、会話をしている時は、
電車の音を、忘れていますが、
人によっては、電車の音がうるさくて、
言葉が聞こえないと、訴えるかも知れません。
 
     無意識に仕分けをすることにより、
     嫌(いや)な音を、意識しない能力と、
     音を仕分けする能力とは、また別ですが、
     嫌な音であればあるほど、
     聞き耳を立てる人は、
     精神の病気に、なり易(やす)い素質かも、
     知れません。
 
     化学物質の変化を、促(うなが)したり
     妨(さまた)げたりする酵素(こうそ)の、
     生産の異常って、
     よくある生まれつきの病気です。
 
     化学変化は、
     癖(くせ)になり易(やす)く、
     それまでに、作られた好き嫌(きら)いと、
     これから作る好き嫌いとを、
     峻別(しゅんべつ)する能力は、
     みんなと一緒のことを、習得する能力と、
     似ているかも知れません。
 
     癖になるって、記憶されことですが、
     同じことが繰り返されると、
     脳の神経が、よく枝分かれをして、
     記憶されます。
 
     異なる判断の組み合わせは、
     ちっとも選択されませんでしたので、
     枝分かれが発達しません。
 
     そのように
     偏(かたよ)った神経の枝分かれを、
     汎用的に利用するには、
     いわば、算盤(そろばん)の玉の、
     複雑なやり繰りを、必要としますので、
     毎日、4時間も5時間も、
     受験勉強をしなければ、
     一流大学の医学部に、
     合格しない嵌(は)めになります。
 
     人を見れば、美人か不細工かを、
     一瞬のうちに、判断できるように、
     1秒たりとも、受験勉強をしなくても、
     合格したければ、社会の底辺を見るように、
     すべての組み合わせを、毎日見るに
     如(し)くはない。
 
     お医者さんを見れば、世も末です。
 
しかし、ばい菌のように、
生物の始まりの頃の自分を、
いつまでも守ろうとすれば、悪い結果になるとは、
誰も言えません。
どうせ、良いとか悪いとかって、好き嫌いですから。
 
みんなと共通でなければ、
多勢(たぜい)に無勢(ぶぜい)ですから、
みんなに虐(いじ)め殺されるように、
自分から病気になります。
 
精神の病気だけでなく、体の病気や老化も、
みんなに虐め殺されるのと、同じ意味です。
 
病気や老化のせいで、死ぬのでなく、
みんなと一緒のことが出来ないから、
病気や老化と言われるように、
自分を殺す嵌(は)めに、陥(おちい)りますから、
死に掛けの病人に、被害妄想が出るのは、
珍しくありません。
 
みんなと一緒でなければ、自殺を強要されるって、
自分の体の中でも、起こります。
免疫や癌やアポトーシスなどと、言われる奴ですが、
社会の中の、個体の立場と、似ています。
 
     コンピュータの言語って、
     マルペケのレベルから、日常の日本語まで、
     何層にも、重なっているでしょう?
 
     言葉だけでなく、人間の体も、そうなの。
     ソフトウェアよりも、
     ハードウェアで処理したほうが、速いので、
     言葉として伝えられるマルペケの中から、
     いつもの共通の組み合わせが、
     選び出されるように、
     社会の底辺に沈殿して、
     変更不能な物になります。
 
     わたしたちの体は、
     物により、出来ていますから、
     変更不能の、あほの塊(かたまり)です。
 
     そのことを、
     生産すると、言う人もいますし、
     サンゴが珊瑚礁を作るように、
     死んで行くと、言う人もいます。
 
     葉山の石原裕次郎の記念碑に、
     慎太郎という遊び人は、
     「夢は遠く、白い帆に乗って、消えて行く、
     消えて行く、水のかなたに」と、
     書いていました。
 
     記念碑という物に、残すでしょう?
     消えないから、あほなのに。
     生物と同じです。
 
命は、物を作るというか、組み立てるというか、
物を知覚するというか、沈殿するというか、
ようするに化学変化をして、物になることであると、
科学は言います。 
 
物でないものが、物になる、と言っても、
物が、別の物になる、と言っても、同じです。
 
違うものを、同じであるとして、
くっつけるのが、論理ですから、
論理的であれば、すべては一つであると、
アラブや欧米の、一神教のようになりますが、
インドの多神教も、
それぞれの神様を信じている人たちは、
自分たちの神様を、一神教のように、信じています。
 
神様って、ご先祖様に決まっていますから、
人類も生物も、みな枝分かれをしているけれど、
一繋がりであると、宗教は言っています。
 
枝分かれの組み合わせを、
すべて、試してみなければ、人生は詰まらないと、
コンピュータは言いますから、
インドヨーロッパ文化まる出しです。
 
     論理や生命や物は、幼稚ですが、
     わたしは、
     若いころに、三島由紀夫氏に会い、
     その直後に、死にましたので、
     この人は、
     お台所に立ち、魚の腹わたや頭を、
     取ったことがないのではと、疑いました。
 
     人間の肉は、品種改良をしていませんから、
     たぶん、
     不味(まず)くて、食べられません。
 
     わたしの子供の頃のインドは、
     人口が多く、食料が足りないので、
     たくさんの餓死者が出ました。
 
     人間を、食肉用に飼育すれば、
     頭が良いので、自分で自分を飼育して、
     手間要らずの、美味しいお肉になります。
 
     彼らは、
     美味しいお肉として、食べられて、
     みんなに喜ばれることを、幸せと、
     確信します。
     この幸せを、誰も奪うことができない。
 
     三島由紀夫氏を見て、そう思いました。
     性転換にも、似たようなものを、感じると、
     美輪明宏氏は、言ってなかったかしら。
     イスラム国の後藤君や湯川君に、
     そっくりでした。
 
     コンピュータ言語の階層構造と同じことが、
     生命の始まりから、
     化学物質の変更不能になった体に、
     沈殿しています。
     命や物は、
     知覚や言葉の、基礎になる階層なの。
 
     同じことを繰り返していると、
     揚げ足を取られます。
     物よりも如来のほうが、偉いと、
     お釈迦さんは言いましたが、
     お釈迦になると、言われて、
     笑われました。
 
     お医者さんになるのも、
     やめたほうが良い。
     性転換を実行しようとする人だけでなく、
     精神の病気になり易(やす)い人は、
     お医者さんになりたがる人に、
     似ています。
     頭が固い。
 
 
  

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

0コメント

  • 1000 / 1000