山吹坂 1569 新宿の女

 
     【新宿の女】
     歌 : 藤圭子
 
        ***          ***
  
作詞 みずの稔・石坂まさを
 
私が男に なれたなら
私は女を 捨てないわ
ネオンぐらしの 蝶々には
やさしい言葉が しみたのよ
バカだな バカだな だまされちゃって
夜が冷たい 新宿の女
 
何度もあなたに 泣かされた
それでもすがった すがってた
まことつくせば いつの日か
わかってくれると 信じてた
バカだな バカだな だまされちゃって
夜が冷たい 新宿の女
 
あなたの夢見て 目が濡れた
夜更けのさみしい カウンター
ポイとビールの 栓のよに
私を見捨てた 人なのに
バカだな バカだな だまされちゃって
夜が冷たい 新宿の女 
 
 
     私が男になれたなら、って、
     あの当時は、
     性転換が流行(はや)っていました。
     1969年の、藤圭子さんのデビュー曲です。
 
     1964年に、
     男娼の性転換者が、挙(あ)げられて、
     ブルーボーイと言われました。
     1965年に、
     性転換医療を行なった医師が起訴され、
     1969年に、優生保護法で、
     有罪になりました。
 
     それ以後、
     埼玉医大が、性転換医療を再開するまで、
     日本の性転換は、
     闇医療として、行なわれました。
  
     1975年頃の、
     東京や大阪の、夜の街には、
     お釜の、立ちん坊や客引きが、
     溢れていましたので、
     普通の売春婦の商売が、
     不景気になりました。
 
     夜のポルノ映画館では、
     女装者や、その連れや客の、
     喧嘩が絶えず、
     しょっちゅう、警察に、
     踏み込まれていました。
 
     性転換医療を検挙して、
     かえって、普及したようなものです。
     有名になったもんね。
 
     1970年に、三島由紀夫氏が自殺して、
     1971年に、丸山明宏というお婆ちゃんが、
     美輪明宏に、名前を変えました。
 
     1969年に、東京大学に機動隊が入り、
     1971年に、ドルと金の交換が停止されて、
     1973年が、オイルショックです。
     
     わたしは、藤圭子さんを知りませんので、
     診断名も知りません。
 
     「マンションから飛び降り病」って、
     鬱(うつ)病が多いのですけれど、
     彼女の病気を、芸能界の人は、
     よく知っていました。
 
     鬱病よりも、
     統合失調症と、名付けるのが、
     普通ですけれど、
     折衷して置けば、文句ないでしょう。
 
     最初に受診した時に、鬱病と名づけて、
     折(おり)を見計らい、
     統合失調症に、変更するお医者さんも、
     います。
     どうせ、無理やりに、
     精神病院に放り込むのでなければ、
     通院の患者さんに、
     わざわざ、統合失調症と告げる必要も
     ありません。
 
     性別違和でも、鬱病でも、
     似たようなものと言えば、怒られます。
     解離性同一性障害というのも、
     ありますから、便利です。
 
     症状が悪化すれば、
     昔なら、ロボトミーで、
     今は、抗精神病薬のところを、
     性転換になるようなものかも、
     知れません。
 
     抑鬱症状が出て来た時に、
     鬱病の薬で、落ち着けば良いのですが、
     統合失調症の人は、抑鬱症状を、
     自覚できないかも、知れません。
 
     落ち込んだ気持ちが、苦しいから、
     鬱病なのに、
     苦しさを自覚できないのが、
     良くないって、変(へん)でしょう?
     苦しくなければ、良いと、思いません?
 
     苦しさに、よく耐えて、
     苦しさを、パスできる人って、
     だんだんと、
     見境(みさかい)がなくなって来ます。
 
     柳に風のように、
     苦しさを、受け流しているのは、
     良くないのかしら。
 
     一生懸命に、自分を励まして、
     叱咤(しった)していると、
     脳の中の、
     ドーパミンっていう化学物質が、
     たくさん出っ放しになる癖(くせ)が、
     つきます。
 
     脳内麻薬っていうやつ。
 
     みんなと一緒のことを
     しなければいけない、という気持ちが、
     なくなります。
     みんなと一緒のことが、できなくても、
     脳内麻薬のほうが、気持ち良いもんね。
     へっちゃら。
 
     お医者さんや、学者さんや、
     薬屋さんの中には、
     ドーパミンが過剰になると、
     妄想や幻覚が出て、
     支離滅裂な言動になると、
     説明する人もいます。
     間違いです。
 
     裁判官の判決文や、
     学者さんの学術論文や、
     数学者の論理や、
     健常な人の、事実の知覚や、
     科学技術の確信などは、
     いずれも、妄想や幻覚や支離滅裂です。
  
     統合失調症の患者さんよりも、
     桁違いにひどいのが、普通です。
 
     妄想や幻覚や支離滅裂は、
     統合失調症に特有の症状でなく、
     健常な人の、病気なの。
 
     そうかと言って、統合失調症の人が、
     健常なのでなく、
     やっぱり病気ですけれど。
 
     みんな、病気なのかと、尋ねられると、
     みんな、死ぬもんね。
     コンピュータは、死なないのに。
 
     健常な人が、どこにもいなくて、
     病人だけが、生きているって、
     嘘に決まっていると、思う人は、
     生命を知りません。
     病気だから、生命と言われます。
 
     石ころが、病気になると、
     お医者さんに、なるようなものです。
     お釈迦さんが、言っていたかも、
     知れません。
 
     あの人は、妻が懐妊すると、
     我が子に、ラーフラと名づけて、
     家出をしたような人ですから。
 
     ラーフラって、
     障害という意味ですけれど、
     修行の妨げになるからと、
     言い訳(わけ)をしました。
 
     結婚をしても、
     なかなか、子供が生れなかったので、
     呪術師に頼んだら、懐妊しました。
 
     昔は、神聖な人たちが、夫の代わりに、
     単刀直入に、奥さんと性交渉をして、
     夫の望みを、叶えました。
       
     僧侶や神官も、神聖でしたが、
     1950年代の中頃くらいまでの、
     日本の田舎では、
     お祭りの日の、青年団員が、
     神聖でしたので、
     子供の生まれない人妻と、
     神聖に励むのが、普通の仕来りでした。
 
     その時に、お面を被ります。
 
     夫が、たくさんの青年団員に、
     お酒や食事を、振舞っている間に、   
     入れ替わり、立ちかわり、致しますので、
     誰の子かは、わかりません。
 
     夫も妻も村も神様も、
     みんなが、神聖であると、
     公認していました。
     問題ありません。
 
     お釈迦さんは、呪術師に頼んだくせに、
     妻が、妊娠すると、お腹の中の子供を、
     修行の邪魔になると言い、
     家出をしました。
 
     耐えられない気持ちを、
     癒(い)やすための修行が、仏教です。
 
     生殖に直結しているのは、
     宗教だけでなく、精神分析も同じです。
     物理化学や進化論は、
     もちろん、生殖と殺人が、目的です。
 
     みんなと一緒のことができないって、
     砂や土を、篩い分けているだけです。
 
     粒々(つぶつぶ)を分類するのですから、
     みんなと違う粒(つぶ)があるのは、
     当たり前です。
 
     何を共通点にして、
     一つの粒として、纏めるのかって、
     文化的な価値により、異なりますから、
     文化が、
     自分の考えと違う価値であっても、
     文化の通りに、
     実行しなければいけません。
 
     多勢に無勢でしたら、少数の人は、
     殺されるのに、決まっています。
     勝ち目がなければ、文化の通りに、
     従順な顔を、して置かなければ、
     いけません。
 
     知覚もそうなの。
     品種改良をするかのように、
     文化は、人間の遺伝的素質を選びます。
 
     わたしたちの、脳の神経や化学物質の、
     繋がり方やくっつき方は、
     品種改良の途上にありますから、
     本当の自分や、個性などと
     言われるような、
     生まれつきの遺伝的な素質を、
     変更不能なものと、主張するのは、
     自分や他人を、攻撃するのと、同じです。
 
     文化を変えなければ、
     個人の生まれつきの素質は、
     変わりませんけれど、
     世代交代を拒否すれば、
     糞詰まりになりますから、虚しい。
 
     文化を変えて、
     生まれつきの素質を変えるには、
     世代交代が必要です。
     そうでなければ、
     性転換やLGBTの文化運動って、
     自分や他人の、変更不能な素質を狙い、
     牙を剥いているだけかも、知れません。
 
     LGBTって、レズ・ゲイ・バイ・
     トランスジェンダーです。
 
藤圭子さんの歌碑は、
新宿の花園神社に、『圭子の夢は夜ひらく』があり、
西向(にしむき)天神社に、
『新宿の人』が、あるそうです。
 
表通りに面した花園神社の名前は、
よく知っている人が、少なくありませんが、
裏通りの西向天神社を、わたしは知りませんでした。
 
藤圭子は、新宿の人の、キャンペーンを始める前に、
この神社で、お祓(はら)いを受けたそうです。
 
天台寺門宗の大聖院が、北隣にありますが、
元は、天神さんの別当職が、大聖院であったそうです。
別当って、たぶん最高の職権です。
神社を、仏教が管理していました。
明治に神仏分離になりました。
 
天台寺門宗って、
三井寺と言われる園城(おんじょう)寺の宗派です。
天台宗は、
山の上の延暦寺の山門と、麓の三井寺の寺門に、
枝分かれしています。
 
大聖院は、寺門のお寺でしたので、
修験道の本山派の、東京支店のような立場でした。
 
江戸時代初期の、修験道法度により、
日本の修験道は、
真言宗の当山派と、天台宗の本山派の、
いずれかに、属さなければ、いけませんでした。
 
本山派は、
三井寺の寺門の、京都の聖護院が中心でした。
第二次世界大戦の後に、聖護院は、
本山修験宗という新しい宗派を作りましたので、
三井寺の傘下から、離れましたが、
東京の大聖院は、
今も、三井寺の天台寺門宗に残っています。
 
わたしの知っている性別違和の患者さんに、
修験道の人たちのグループがありますが、
真言宗の当山派と思います。
 
大聖院って、昔は、西向天神社と、一体でしたから、
いわゆる鎮守の森のような、
こんもりとした山に登る道が、山吹坂です。
 
雨が降り、太田道灌が、蓑(みの)を借りようと、
農家に立ち寄りましたが、
七重八重、花は咲けども、山吹の、
実の一つだに、なきぞ悲しきと、
後拾遺和歌集の兼明(かねあきら)親王の歌を詠み、
山吹の枝を差し出して、断った少女の墓が、
大聖院にあります。
 
その歌に因(ちな)み、
山吹坂と、名付けられていますが、
紅皿(べにさら)が、その少女であると、
言われています。
 
太田道灌は、15世紀の江戸城を築城した武将です。
 
大聖院の紅皿の墓碑は、中世の十三仏板碑ですが、
江戸時代の中頃に、紅皿の墓と言われるようになり、
幕末の、河竹黙阿弥の歌舞伎では、
太田道灌の山吹の娘は、紅皿であったと、
されました。
 
歌舞伎関係者が、
紅皿の墓として、整備したそうですから、
興行目的の宣伝のような気もします。
 
紅皿は、紅皿(べにさら)欠皿(かけさら)の、
継子(ままこ)虐(いじ)めの民話の主人公ですが、
姉の紅皿が、従順な美人で、
妹の欠皿は、
狡賢(ずるがしこ)くて、不細工でした。
 
継子の姉は、虐められましたが、殿様と結婚して、
妹の欠皿は、酷(むご)たらしく死にます。
 
民話と言うよりも、
江戸時代の勧善懲悪の歌舞伎や講談かも知れません。
 
八重咲きの山吹は、実(み)が成りませんから、
世代交代をしませんが、
奇麗なので、株分けや挿し木で、殖えます。
一重の山吹は、ちゃんと実も種(たね)もできて、
世代交代をします。
 
山吹や紅皿や太田道灌と言い、
修験道や藤圭子と言い、新宿の女の歌詞って、
いつまでも、いつまでも、
性転換に、纏(まつ)わりつきそうです。
 
 
 
 

 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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