最近はアメリカ石楠花(しゃくなげ)と言うそうですが、
日本風には、花笠(はながさ)石楠花と言います。
カルミアと呼ぶことが、ほとんどですが、
北アメリカ原産だそうです。
ツツジ科のカルミア属は、全部カルミアですけれど、
人名に由来していますので、面白くありません。
横須賀の山に咲いていましたが、誰かが植えたのでしょう。
GID(性同一性障害)の人は、
自分の心はこれこれである、と言いますけれど、
心って、他人の心だけでなく、自分の心も、
これこれであると、どうしてわかるのかしら。
目で見たり、手で触ったりできることでしたら、
他人の見た物事(ものごと)と、比べられますけれど、
心って、他人と比べることも、できないかも知れません。
心を、物のように思うのは、間違いのような気がします。
体という物のことを、これこれであると、言っていながら、
心のことを言っているかのように、表現するのも、
誰が、何を、表現しているのかが、疑問になります。
体という物の、動きのような気がしてなりません。
喋(しゃべ)るのも、声帯や口や顔の筋肉などが、動いています。
特定の動きなので、特定の言葉に聞こえます。
筋肉が、そのように動いていることを、
そのように喋っていると、言います。
筋肉と、その動きがあれば、物体と、その動きのように、
普通の物事(ものごと)ですから、不思議でありません。
なかなか動き出さなかった事情や、
そのように動いている事情などを、
筋肉本人は、これこれの心であると、言いますが、
他の物体の動きを、これこれの心であると、表現するのと、
特別な違いがあるのかしら。
筋肉という物体が、自分の事情を主張するのでなく、
石ころという物体の動きを、これこれの事情であると言い、
さも、石ころ本人が主張しているかのように、代弁すれば、
たぶん、物理化学と同じです。
大昔から、それぞれの物には、神さまという心がありました。
神様には、神様の親分がいるだけでなく、
世界中のありとあらゆる神様は、ただ一つの神様の分身であると、
考えられるようになりました。
ただ一つの神様と、それぞれの分身としての神様を、
二枚舌のように使い分けると、
物理化学と、それぞれの人の心との、使い分けになります。
昔から、自分という気持ちには、
普遍的な自分と、個々の自分とがあると、言われて来ました。
石ころの動きの事情を、人間が語る気持ちと、
筋肉の事情を、筋肉本人が語る気持ちのようなものです。
宗教や物理化学や、日本国憲法の個人主義などが、
互いに、よく似ていると、わかります。
欧米の人たちの、一連の考え方です。
日本人には、鉄砲や黒船や原爆などが、
注目に値(あたい)しました。
人殺しの武器ですから、危険でした。
この武器を真似するために、欧米の一連の考え方を真似しましたが、
鉄砲や黒船や原爆だけを、真似すれば良いのに、
エステティックやファッションやお料理まで、真似します。
鉄砲や黒船や原爆と、
エステティックやファッションやお料理などは、
どちらも、他人を殺すための道具ですから、
同じである、と言います。
みんなと違うやつを見つけて殺しますので、文化と言われます。
みんなと一緒のことをしない奴を見つけるために、
わたしたちは、漫才やスポーツやファッションなどに、熱狂します。
どうでも良いことであればあるほど、
みんなと一緒のことをしない奴を、見つけやすい、というものです。
しょっちゅう変われば変わるほど、見つけやすい、というものです。
見つけて、篩(ふる)い分けて、間引(まび)くように殺します。
鉄砲や黒船や原爆と、
エステティックやファッションやお料理などは、同じでしょう?
どうして、殺すのかしら。
欧米の人たちは、生殖本能を信じています。
物理化学や個人主義や進化論や精神分析などの、
アリストテレス風の、戦争の中から生まれた考え方です。
みんなと一緒でないやつを見つけて殺すって、
免疫の仕組みと同じです。
棍棒(こんぼう)で殴って、頭蓋骨を叩き潰(つぶ)したら、
人間が、虫けらと同じであるとわかります。
神戸の酒鬼薔薇君も、
人間は、地面にぶつけられたら、潰れる野菜だと、言っていました。
アリストテレスって人は、お医者さんの息子でしたので、
虫けらを観察するように、
生殖と殺し合いの、目的論的な世界観を築きました。
教え子のアレキサンダーが、ペルシャを征服しましたので、
欧米風の、エステティックな考え方の、産みの親になりました。
当時のペルシャは、北アフリカからインドまでの、
広大な領域を支配していました。
人間を見ると、物体が喋(しゃべ)ると、わかりますが、
個々の分身としての、物体が喋っているのと、
全体としての、唯一の神様が喋っているのとは、同じであると、
昔の人たちは考えました。
イエスキリストは、ただの預言者でなく、神様であるって感じね。
良いことを喋る人間だけでなく、
悪いことを喋る奴も、神様の分身であると、
イスラムの人たちは言います。
アリストテレスの物理化学って、イスラムの人たちに伝わってから、
北アフリカ経由で、スペインやイタリアに伝わりました。
オスマントルコが、ビザンチンを殺しましたので、
トルコの常備軍の装備していた鉄砲が、ヨーロッパに知れ渡り、
中東や中央アジアの錬金術が、ヨーロッパに普及しました。
物理化学と同じですから、言うまでもなく、人殺しの方法です。
日本でも、第二次世界大戦までは、
学校で一番の成績の男の子は、軍隊に行きました。
今は男女平等ですので、一番の子は、お医者さんになります。
鉄砲で撃ち殺すよりも、お薬で殺したほうが、
清潔で、ファッショナブルでしょう?
医療が、人の命を救い、痛みや苦しみを取り除くためにあると、
思っている人は、たぶん、あほです。
学校で一番の成績になり、お医者さんになった人を見れば、
一目瞭然なのに…
人を助けてあげるような、気持ちの優しい人が、
お医者さんになるわけがない。
嫌(いや)な奴を馬鹿にして、間引くように死なせるために、
狡賢(ずるがしこ)く、医療と称します。
性転換医療って、
あほな奴への、憎しみの塊(かたまり)のようなものです。
私立の有名な進学高校の子供たちが、
公立の子供たちを、馬鹿にする気持ちが、医療の動機ですから、
憎んで殺して、嘲笑(あざけわら)うのが、目的に決まっています。
お医者さんのほうが、精神障害ですので、
ポルポトが、お医者さんを皆殺しにしたみたいに、
簡単に死刑にするわけには、行きません。
精神障害の子供を、わざわざ、学校で一番の成績に誘導して、
あほを軽蔑するように教え込み、お医者さんに仕立てますから、
医療って、お医者さんの精神障害を、治療する方法の一つなの。
そのことが、性転換医療に、よく現れています。
オウム医療と言うと、怒られますけれど、
オウムのお医者さんと、オウムの患者さんは、
両方が、オウムの信者さんでした。
性転換って、お医者さんと患者さんの両方が、精神障害です。
わたしは、自分を犠牲にしなければ、
人を助けたことにならないと、教えられました。
自分が損をしてでも、人の得になるように、してあげます。
その気持ちを、朝から晩まで、毎日毎日、実行しなければ、
まともな人間になれないそうです。
そういう教育を受けました。
お医者さんみたいに、人を殺すって、
免疫の仕組みと、同じですから、
ようするに、規格外のやつを、殺します。
規格って、個体のハードウェアは、
遺伝的に決っていることが多いのですけれど、
ソフトウェアは、文化的に決まります。
遺伝の争いって、生殖ですけれど、
仲間を殖やしますから、文化の争いも、
生殖の争いのようなものです。
孤立させれば、生殖できませんから、
嫌(いや)な奴を、仲間に入れてあげません。
インドの、マハーバーラタやラーマーヤナの物語って、
明けても暮れても、生殖の争いですから、
進化論や精神分析などのヨーロッパ文化に、そっくりです。
物理化学も、もちろん、生殖の文化ですけれど、
エステティックって、原始的な物理化学です。
古代ギリシャの人たちは、
敵と味方を、エステティックに識別しました。
奴隷制を、エステティックに、良いこととする考え方が、
中東に伝わり、ナイル川を遡り、
イスラムの錬金術が、捕獲した奴隷を、地中海沿岸に販売しました。
わたしの子供の頃は、
龍樹って、中央アジアの錬金術師であると、習いましたけれど、
今は、南インドの生まれであると、言われています。
仏教の理論家ですけれど、錬金術師として有名でしたので、
知って置かねばならないと、思いました。
うちの家系は、代々、製鉄を家業にしていましたから。
山師です。
鉱山を見つけて、石を溶かして、武器を作ります。
鉄と火薬と螺子(ねじ)が、人殺しには大切です。
龍樹は、うちのお祖父(じい)さんと同じくらいに、
変人であったかも知れません。
錬金術師のくせに、仏教の理論家になったように、
お祖父さんも、お医者さんになりましたので、笑われました。
中論を書いた龍樹は、2世紀の人なのに、
なんとなく、タシケントやサマルカンドの錬金術って、
8~12世紀ぐらいの話でした。
龍樹が、鉄砲や火薬を研究していた、という話もあります。
日本では、
龍樹とアリストテレスを、並び称するのが、普通でしたけれど、
あのへんの民族なら、
トルコ人とイラン人を、足して2で割ったような顔なのに、
ヨーロッパ人が、エディプス・コンプレックスと言うと、
日本人は、阿闍世(あじゃせ)コンプレックスと、言い出します。
東南アジアから中国や日本にかけて、仏教の流布したことが、
そもそも、鉄砲や黒船や原爆などの、前兆でしたのに。
インドヨーロッパ系の人って、殺し合いの考え方が、大好きなの。
相互関係ってやつです。
心の因果関係を排除して、合理的な関係で行きます。
論理から、
原因と結果のような、一人一人の認識の物語を除去すると、
時間のない相互関係になります。
どうせ、個人的な認識の物語って、
殺し合いの生殖や、世代交代の話を、延々と続けるだけですから、
神話やロマン主義や、インドの大衆映画などのように、
すぐに飽きて来るって、欧米の人たちは言います。
仏教は、
ギリシャ神話やゾロアスター教やキリスト教などと同じように、
インドヨーロッパ系まる出しの考え方ですから、
大衆は、ロマンティックな物語を、延々と続けておけ、
指導者は、数学や記号論理で行く、と言っています。
ボスニア・ヘルツェゴビナの戦争の時に、
虐殺のビデオを撮影されて、
戦後に公開されたドジな兵士がいました。
射殺された死体を、片づけさせられた人たちが、
次々に射殺されます。
トラックの荷台一杯の民間人を、全員射殺して、任務完了です。
死体の後片付けの段取りがありますから、
全員を、いっぺんに殺さずに、ちょっとずつ、順番に殺します。
もしも、いっぺんに立たせると、全員がいっぺんに暴れ出した時に、
うまく射殺できずに、
鉄砲を構えている兵士が、襲われるかも知れません。
万が一のことを考えて、ちょっとずつ、順番に殺します。
チューインガムを噛みながら、鼻歌を歌い、
任務を遂行(すいこう)しました。
うちのお父さんの言うには、
第二次世界大戦の頃の、日本や中国やアメリカ合衆国などの、
戦場での銃殺の仕方と同じでした。
ドイツやフランスやソ連も、たぶん同じだったろうと、言います。
アメリカ合衆国の軍隊が、日本の兵隊を捕虜にした映像や、
ソ連軍が、満州の日本兵を、シベリアに連行して、
35万人を、こき使って殺した話は、大嘘(おおうそ)だと、
お父さんは言いました。
敵が銃を捨てれば、その場で射殺する。
これが、戦争の常識です。
殺し合いをしている最中に、捕虜の面倒を見る馬鹿がいるか、
と言うのです。
そんなこともわからない現代の日本人は、
長期間、銃口を向けられて、奴隷にされたので、
命乞いをし続けているうちに、知的障害になったのだそうです。
統合失調症やGID(性同一性障害)の患者さんなどと、
同じかも知れません。
0コメント