団扇(うちわ)って、
扇(あお)いで風(かぜ)を送(おくる)るための
悠長(ゆうちょう)な道具(どうぐ)ですが、
仏教(ぶっきょう)では、
権威(けんい)を表(あらわ)す持(も)ち物(もの)になり、
鳥(とり)の羽根(はね)で作(つく)られたそうです。
羽団扇(はうちわ)と言(い)いますが、
山(やま)の天狗(てんぐ)は、
八(や)つ手(で)を使(つか)うそうで、
葉団扇(はうちわ)と言(い)いますから、ややこしい。
それに似(に)ているので、
羽団扇楓(はうちわかえで)と名付(なづ)けられましたが、
せいぜい10cmぐらいの大(おお)きさの、
薄(うす)く柔(やわ)らかな葉(は)ですから、
役(やく)に立(た)ちそうにありません。
形(かたち)の奇麗(きれい)な葉(は)です。
種小名(しゅしょうめい)が、japonicum の、
日本特産(にほんとくさん)と言(い)われています。
ほんとうに日本(にほん)にしかないのかは、知(し)りません。
受(う)け売(う)りです。
日本(にほん)の、という意味(いみ)の
種小名(しゅしょうめい)には、
japonicus や、japonica や、
japonicum などがあります。
ラテン語(ご)の、男性形(だんせいけい)と、
女性形(じょせいけい)と、中性形(ちゅうせいけい)です。
そのほかに、japonensis のように、
日本産(にほんさんの)の、というのもありますが、
nipponicus , nipponica ,
nipponicum というのもあります。
属名(ぞくめい)や、
日本(にほん)の地方(ちほう)や、町(まち)や、
人(ひと)の名(な)もありますので、
日本由来(にほんゆらい)の学名(がくめい)が、
どれぐらいの数(かず)になるのか、よく知(し)りません。
羊歯植物(しだしょくぶつ)よりも
高等(こうとう)なものだけでも、
数百種(すうひゃくしゅ)は、
軽(かる)く行(い)きそうな感(かん)じです。
蘚苔類(せんたいるい)ぐらいまでなら、
数(かぞ)えられそうですけれど、
菌類(きんるい)を入れると、
動物(どうぶつ)も勘定(かんじょう)したくなりますから、
アリストテレスって人の考え方は、
粒々(つぶつぶ)の組み合わせのせいで、
宇宙や生物や、認識や文化などが、できるとしますから、
コンピュータや数学などの、
マルペケ式の判断の積み重ねや、やり繰りと、まったく同じです。
論理と言いますけれど、アリストテレスは、
生殖を見て、論理を知りました。
お医者さんの息子ですから、当たり前かも知れませんが、
生殖が、マルペケの組み合わせであることを、
後(のち)の、ロマンティックな時代の人たちは、
進化論や弁証法などと、表現しました。
わたしの生まれ育った時代は、
ロンドンをやっつけようとしたナチスの続きでしたから、
ロケットを飛ばして、月へ行こうとしましたけれど、
算盤(そろばん)の仕組みから、
真空管のコンピュータや、トランジスタの電卓などを作り、
月へ行きました。
遺伝子は、粒々(つぶつぶ)の組み合わせの一つですけれど、
生殖をするのは、
集積回路の中の、こっちからあっちへ、情報を移動させて、
足し算をして、やりくりをするのと、同じですから、
電話回線やインターネットなどのネットワークに、
アクセスするようなものです。
電信ができて、遺伝子が発見された時に、
現在の情報社会の仕組みが、わかっていましたから、
いい加減に古臭くなり、飽き飽きしているのが、
現代の健常な人の心です。
記号論理と言いますが、数学基礎論に似たやつが、
昔のアリストテレスの論理学を、算盤(そろばん)みたいに、
やり繰りのしやすい粒々に、再編しました。
言わんとしていることは、アリストテレスと同じですが…
アレキサンダーっていう桃みたいに若いピチピチの王様が、
アリストテレスに教えられて、
エジプトやメソポタミアや、ペルシャやインドを、
やっつけましたので、
今に至るまで、粒々(つぶつぶ)理論を使ったアリストテレスが、
万学の祖と言われています。
原子と言った人もいますけれど、
ピラミッドの石みたいに、組み合わせると、
色々な形ができるだけでなく、
算盤(そろばん)みたいに、粒々を動かす線路があると、
簡単に組み合わせを変えることができます。
現実は、足し算の補助なの。
暗算をする時に、心の中で、算盤の玉を動かしますけれど、
記憶力の足りない人は、現実の算盤を使います。
現実が、記憶の置き場所であるのは、文化も同じです。
脳味噌の神経と化学物質や、コンピュータの電線と電気も、
似たようなものですが、
遺伝子と、生殖や発生や成長などの関係や、
ブログラムや文化と、育児や教育やインターネットなどの関係も、
言うまでもありません。
算盤(そろばん)の玉を動かすみたいに、
粒々をやり繰りして、組み合わせを変えるだけで、何でも作れます。
足し算って、これとあれを、くっつけて、
因縁(いんねん)を付けます。
人間の脳味噌の認識の仕方が、そうなっていますから、
何でも、そのように見えるだけでなく、
そうでない現実はないと、欧米人は言います。
ほんとかしら。
中国の儒教でも、理と気の考え方が主流でしたから、
エジプトやシュメールの、お流れを頂戴しただけかも知れません。
どうして、粒々の足し算のやり繰りから、
生物は抜け出せないのかしら。
脳味噌が、コンピュータのように
算盤(そろばん)にすぎないのでしたら、
性転換医療を行なうお医者さんみたいに、
商売しか考えない人間になるのも、当たり前です。
どのように計算するかは、
殺し合いの実勢で決めるしかありませんから、
論理第一主義は、
家族計画や確定申告などの、性欲やお金によって計量される人生と
同じです。
わたしたちが、特定の価値にこだわるのは、
生殖本能や合理主義などのように、
変更不能になっているだけですから、
執着や障害や病気などにすぎません。
事実やエステティックや、物理化学やロマンティックと言えば、
聞こえは良いのですが、病気の一種です。
変えられない価値なんて、くそったれでしょう?
心と体の性別が一致しないと言い、
駄々をこねたほうが面白いと、色気を出せば、
統合失調症みたいに、化学物質の依存症になりかねません。
強制的に、お薬の依存症にさせられますけれど、
脳味噌の製造した化学物質に、自分で依存していると、
みんなの邪魔にならないように、体(てい)よく始末されます。
ロボトミーと同じことを、お薬がやっています。
自己完結をしようとするのが、病気なの。
大阪の東心斎橋という所で、刑務所から出て来たばかりの人が、
行きずりの人を、二人も殺して、死刑になりたいからと言うと、
あほの知事が、自己完結をしろと、マスコミに喚(わめ)きました。
人間は、個人の自給自足で済まそうとするのが、最悪なのに…
毛沢東も、自力更生と言い、大躍進政策を行ないましたが、
あほになりました。
ほんとは、みんなのほうも、
憲法を作ったり、戦争をしたりしますから、
依存症もいいところです。
こうでなければいけない、という気持ちを変えられません。
脳味噌や文化が、
そういう枠組みの算盤(そろばん)になっています。
算盤と算盤のチャンバラをすれば、
数が多く、壊れない算盤のほうが、強いのに決まっています。
石ころみたいに変更不能の精神障害者のほうが強いって、
性転換医療を行なうお医者さんのほうが、
性転換を望む患者さんよりも強いのと同じです。
GID(性同一性障害)の治癒した人たちは、
お医者さんを首吊にしろと言いますが、
憲法改正のときに、
性転換医療を行なった奴は死刑にすると、書いてもらわなければ、
仕方ありません。
わたしの相場感覚では、
罰金10万円の有罪に持ち込めば、最善でしょう。
有罪に違いありませんから、10万円を馬鹿にしてはいけません。
駐車違反の反則金も、殺人の死刑も、数字が違うだけです。
性転換を負けてもらい、
女がズボンを履き、男が香水を振りかけるだけで、
良かったのかも知れません。
認識と実行は、同じ目的ですから、
カミングアウトやホルモンや手術や、
戸籍の性別変更などをしなくても、認識を変えれば済みます。
できないのは、頭が悪いだけですから、
賢い人は、体の健康のために、体を動かすだけです。
働くために、体を動かしませんから、
総理大臣や知事になる人って、遊び人ばかりです。
政治家が遊び人でなければ、たぶん戦争になりますから、
GID(性同一性障害)の人が、政治家になるのは、
良いことなのかしら。
わたしは、雅子さん一家が、皇室を辞めて、
GIDの人たちが、選挙で選ばれる皇室のメンバーになれば良いと、
思います。
そういうのを、天皇制と言わずに、大統領制と言うかも知れません。
天皇や宮家が、男でなければいけない必要も、なくなりますから、
軟着陸できます。
王様の首を、ギロチンで落とすのって、嫌(いや)でしょう?
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