チューリップ 1139 物体の心

お揃(そろ)いの、
靴(くつ)とTシャツとチューリップに、
合(あ)わせたわけでないのですが…
 
偶然(ぐうぜん)です。
 
チューリップを撮(と)ろうと、
カメラを探(さが)しているうちに、
先回(さきまわ)りをされて、
花壇(かだん)の傍(そば)に、座(すわ)られました。
 
仕方(しかた)ありません。
 
 
ずーっと前に、「心は自由に変更できる」 と、言ったら、
もの凄く怒られました。
 
「変更できない心が、一杯あるんじゃ、あほばかぼけ」 と、
笑われました。
 
心は、変更できなくなると、無意識になり、
心であるって、気づかなくなります。
 
体や物は、変更不能な心が集まって、出来ています。
ライプニッツという微積分の人は、
石ころにも、ちょっとぐらいは、心がある、と言いました。
 
日常言語や文学は、言葉遣いがややこしく、
綱渡りや精神病みたいに、芸術的です。
 
統合失調症の人の文章を、読み取るには、
寝起きの、あほばかぼけの時しか、不可能かも知れません。
 
夢見心地(ゆめみごこち)のあほですと、とても創造的になれます。
知能検査を受けると、確実に知的障害ですから、
芸術の先生の知能指数を、測ってあげて下さい。
知的障害でしたら、合格です。
 
     物体は、無意識の心なの。
     アリストテレスという人は、
     「優れた人間は、意識をしなくても、
     優れたことしか出来ない」 と、言いました。
 
     物理化学は、
     アリストテレスの自然学を継承していますので、
     物体のエステティックと、運動や変化と、
     エネルギーとを、取り扱います。
 
     エネルギーって、物体の能力ですけれど、
     人間の認識する価値を、言っています。
     判断ですから、数量として表記すれば、便利です。
 
     物を数える時に、指を使いますけれど、
     手の指は、10本しかないので、十進法が便利です。
     2進法は、マルペケ式ですけれど、
     手の指を使い、2進法で行く方法を、
     中学校で習いませんでした?
 
     2進法と10進法は、表記が異なるだけで、同じ意味です。
     マルペケ式の判断と、物を数えるのとは、同じなの。
     数量は、マルペケ式の判断を、何度も組み合わせます。
 
     特定のことに注目して、
     そうであるのと、そうでないのとの、どちらであるかを、
     判断します。
     何に注目するかを、次々に変更して、
     判断の結果を書き留めれば、数量の世界になります。
 
     どのように注目点を変更するかって、
     文化的に、みんなの仕来(しきた)りがあります。
     プログラムと言い、
     みんなが同じ文化的なプログラムを使えば、
     注目点の変更の仕方が、誰も彼も、同じようになります。
 
     何に注目すべきであるかを、価値と言います。
     文化的なプログラムには、
     たくさんの具体的な価値が、羅列されていますので、
     価値観と言います。
 
     みんなの価値観の通りに、実際に目で見て、耳で聞き、
     手で触って知ることのできる事実が、
     コンピュータのモニター画面の映像のように、
     心に表れますので、わたしたちは、事実を知り、
     こうであるとか、そうでないとかと、
     マルペケ式で判断をして、「認識をした」 と言います。
 
認識される事実が変われば、判断も変わりますが、
みんなの文化的なプログラムを使っていますので、
自分一人では、そう簡単に変えられません。
 
みんなの価値観と言われるプログラムを使わずに、
自分勝手なプログラムを使うと、
たぶん、妄想や幻覚などと言われて、虐(いじ)められます。
 
みんなと一緒でなくても、みんなの望むところを、
自分だけが、抜け駆けをするように実行すると、
みんなに褒められますけれど、変人や自分勝手と言われて、
オウムのお医者さんや、性転換医療を行なうお医者さんのように、
みんなから、逸(はぐ)れて行くかも知れません。
 
     認識を変えるだけでなく、実行することによっても、
     価値を変更することができます。
 
     個体の記憶の中にある価値と、
     みんなの文化的な価値とが異なる時に、
     記憶されている価値を変えるよりも、
     みんなの価値を変えたほうが楽ちんと思えば、
     個体は、実行という手段を使い、事実を変更して、
     みんなの価値を変えようとします。
 
     事実って、
     みんなの文化的な価値観というプログラムでなければ、
     事実でなく、妄想や幻覚などと言われて、
     精神病院にぶち込まれますけれど、
     みんなの文化的なプログラムを変えれば、
     みんなの事実を変更したことになります。
 
     自分一人で変更しても許されるのは、
     プライベートな部分だけですから、
     大部分の、
     みんなに共通の価値観と言われる文化的なプログラムに、
     手をつけるには、みんなの許可が必要です。
 
     勝手にぶち壊して、変更すると、
     怒られて、牢屋に入れられます。
 
     上手(うま)く事実を変更できれば、認識も変わります。
     溝(みぞ)を掘れば、水が流れますから、
     科学技術の要領と、同じです。
 
     実行して、物体が変化するのは、
     みんなの事実というプログラムを、部分的に変えたので、
     認識が変わった、という意味です。
 
賢い人は、実行をしなくても、事実の認識を変更できますが、
脳の神経の繋がり方や、化学物質のくっつき方を変えるのは、
脳味噌が、蛸(たこ)みたいに、柔らかくなければいけません。
石ころのように固くなっていれば、無理です。
 
たいていは、生まれる前に、すでに石ころになっています。
認識が変更不能になれば、心の中身が物体になりますので、
物体を変更するには、実行のほうが有力です。
 
認識による事実の変更にしても、実行による事実の変更にしても、
みんなの事実というプログラムを変更するのは、容易でありません。
個人的な変更は、たいてい、牢屋や精神科です。
 
認識や実行により、何が変更可能な事実であり、
変更をするために、どのような手順が必要であるかを、知るには、
石ころのように、固い物体になった心を、
よく観察して、あれこれといじくり、
みんなのやり方を見て、みんなに聞き、
よく吟味しなければいけません。
 
生まれる前の心や、他人の心や、みんなの事実と言われる心の、
ほとんどは、物体になっていますので、
物体をよく知らなけれはいけません。
 
ライプニッツが、
「石ころにも、ちょっとぐらいは、心がある」 と、言ったのは、
「わたしは、ちょっとだけ、賢い」 、という意味です。
 
ほんとは、物体の全部が、心で出来ています。
 
     物体の運動や変化は、認識や実行と一致しなければ、
     上手(うま)く行きませんので、
     上手く行くのでしたら、数量化できます。
 
     数量は、マルペケの判断ですから、
     結果が良ければ、簡単です。
     認識や実行は、具体的なマルペケの判断の、
     順番や組み合わせを、表現していますから、
     もちろん、価値の表現です。
 
     判断が上手(うま)く行かないのは、
     物体の運動や変化と、認識や実行とが、
     一致しないので、心が苦しい、という意味です。
 
     なんとなく、体と心の性別が、一致しないのと、
     似ているでしょう?
 
     心が苦しいことを、
     わたしたちは、省略して、心と言います。
     苦しくなければ、心は意識されずに、物になります。
     そのことを、お釈迦さんは、
     「人生は苦である」 と、言いました。
 
     「優れた人間は、物体になる」 って、
     アリストテレスは考えました。
     雲や霞(かすみ)の、中国の仙人の食事や、
     インドの悟りや、プラトンのイデアなどと、同じです。
 
     物理化学と宗教は、同じことを言おうとしています。
     アリストテレスの自然学も、キリスト教も、
     同じ古代ギリシャの文化ですので、当たり前です。
 
     キリスト教やイスラム教や仏教などは、
     同じインドヨーロッパ系の文化ですので、
     ものを考えるプログラムが、同じです。
     中国人の神仙思想も、
     インドの古代思想の、輸入品と言われています。
 
GID(性同一性障害)の原因は、
エステティックと、物理化学と、宗教である、と言うと、
カネと、セックスと、暴力でないかと、
治癒したGIDの人に、揶揄(やゆ)されました。
 
警察の人は、犯罪の原因を、そう言います。
GIDって、犯罪と同じなのかしら。
 
わたしたちの心には、
変更不能なことと、変更可能なことがあります。
変更できないことは、物体になりますが、
意識されないことも、物体になります。
 
脳の中では、神経や化学物質の、繋がり方やくっつき方の多くが、
生まれる前から、すでに変更不能です。
 
神経や化学物質という物体であることが、その表れですが、
一部は、生れた後にも、次々に変更不能になり、
一部は、生れた後にも、変更することができます。
 
意識されない物体を、変更するって、
コンピュータのハードウェアの記憶を書き換えるのと、
同じようなものですから、疲れます。
 
記憶を減量して、書き換えを少なくすると、
記憶の中身を、あっちこっちに移動させて、
やり繰りをしなければいけませんから、やはり疲れます。
 
神経が専門のお医者さんは、
脳味噌をよく使えば、脳味噌がよく生(は)えて来るので、
痴呆にならないと言います。
嘘つけ。
 
よく使い、新陳代謝を活発にしたので、
よく疲れて、早く老化して、早く痴呆になれば、どうしてくれる。
 
脳や体だけが、物体なのでは、ありません。
目で見て、耳で聞き、手で触って知る事実の全部は、
粒々(つぶつぶ)の物体で出来ていると、物理化学は言います。
 
世界の全部が、心である、という意味です。
固くなり、物体になった心です。
一般に、自由に変更できる心は、物体でないと言われますので、
影も形もありません。
 
     わたしは、溶鉱炉で生まれましたので、
     物体を見ると、エネルギーの塊(かたまり)に見えます。
     太陽のように溶かして、心にすると、
     力(ちから)が出て来ます。
 
     「心は自由に変更できる」 と言うと、怒られますけれど、
     あらゆる物体を溶かして、変形できるように、
     みんなの事実を変更すれば、心は変わリます。
 
     遺伝子の切り貼りや、クローンの技術を使い、
     たくさんの家畜や作物を生産していますから、
     脳や体を変えるには、
     世代を超えた生殖が一番ですけれど、
     生殖機能と体を壊すだけでは、ただのダダイズムです。
 
     性転換をして、心が良いほうに変わる、という効果は、
     今のところ、皆無です。
     闇雲(やみくも)に壊すだけなので、
     当たり前と言えば、当たり前ですけれど、
     飴玉(あめだま)をしゃぶらせて、一時凌ぎをするのも、
     やむを得ない手と言えば、手です。
 
     そうして、だんだんと、妄想が体系的になって行くのは、
     統合失調症と同じ道筋(みちすじ)ですけれど、
     性転換をしないで、放置するほうが、
     体の負担が少なく、良い結果になリます。
 
     GID(性同一性障害)の人が、
     性別のせいで、心が苦しい、と確信するのは、
     お医者さんの、保身のための嘘を、
     なぞっているようなものです。
 
     なんで、お医者さんの精神障害を、
     お医者さんが、自分で治そうとして、
     患者さんの体を、壊さなければいけないのかしら。
 
     性転換医療って、
     オウムのお医者さんの、イカレた心を治さなければ、
     どうしようもないようなものですけれど、
     オウムのお医者さんは、
     精神科を受診しませんでしたから、
     牢屋にぶち込んであげなければ、仕方ありませんでした。
 
     性転換医療を行なっているお医者さんって、
     昔の赤軍派の人たちや、三島由紀夫さんや、
     パリのオランダ人の女子大生を食べた人や、
     逆噴射の機長さんなどに、似ています。
 
     事前に精神病院に入れてあげる手段がありませんから、
     やってしまってから、
     牢屋と精神病院の、どちらにするかを、鑑定します。
     
     もう、やってしまっているのに、
     どちらにもならないのは、欧米の流行があるからです。
     あっちは、同性愛差別の文化がありましたから、
     日本の部落差別をなくした頃のように、
     羹(あつもの)に懲りて鱠(なます)を吹く状況です。
 
     なんで、同性愛差別のない日本が、
     欧米の猿真似をしなければいけないのかって、
     黒船と原爆に負ければ、
     鹿鳴館や日本国憲法も、致(いた)し方がなかったのと、
     似たようなものです。
 
生物って、みんなから逸(はぐ)れると、生きて行けません。
シマウマも、みんなと一緒に逃げなければ、
ライオンに食べられます。
 
生れたばかりのシマウマは、
群れの中に匿(かくま)われていても、うまく走れませんから、
自動的に食べられそうなものです。
 
群れの端っこのほうに、
逸(はぐ)れ者の精神障害者や犯罪人のようなシマウマばかりが、
弾(はじ)き飛ばされています。
 
みんなと一緒のことの出来ない奴から順番に、
ライオンに食べられます。
群れの真ん中のほうの、生まれたての赤ちゃんは、
走って逃げなくても、構いません。
 
端っこのほうの奴が、走って逃げているだけなの。
みんなと違う動きや、違う体の見かけの奴は、
群れの端っこのほうにしか、入れて貰えません。
 
病気になれば、そうなりますけれど、
最初から、顔や体の見てくれの、
エステティックな形が違うだけでも、そうなります。
 
みんなと違う奴を見分けるための、脳の機能を、感情と言い、
みんなと一緒でない奴を、除(の)け者にして、間引きます。
みんなと一緒のことをする機能と、間引いて殺す機能は、
同じですから、感情って、生殖機能です。
 
みんなと一緒のことをするのは、生殖と同じでしょう?
知性は、感情の下請けをしていますから、
人間は、哺乳類の感情を、ほとんど丸ごと、受け継いでいます。
 
GID(性同一性障害)の人は、
心の生殖機能がおかしくなりますので、
鬱病が基礎にある、と言うお医者さんもいますけれど、
実際には、GIDの性的パートナーになる人や、
性転換医療を行なうお医者さんや、
性転換を支援する人などに、鬱病が多く、
GIDの御本人には、さほど多くありません。
 
生殖って、一人でするのでなく、相手がいるように、
GIDの病気も、御本人の病気でなく、人間との関係の病気なの。
性転換医療を行なうお医者さんと、GIDの人の関係に、
病気があります。
 
フランス革命の個人主義では、人と人の関係の病気を治せません。
それどころか、GIDのように、
お医者さんとの患者さんとの関係が、病気を作ってしまいます。
 
それを、じーっと見ていると、
性転換医療を行なうお医者さんに、怒られるので、
わたしは、噛み付かれないように、用心しています。
 
 
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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