夏の横須賀の街。
浦賀水道の向こうに、房総の山並が浮かんでいるように見えます。
写真をオリジナルサイズで見ると、
二隻の大きな船の間ぐらいの方向の、房総の山に、
白い棒が立っています。
高さ56mの東京湾観音ですので、
浦賀水道の千葉県側の位置を知るための目印になります。
海岸の山ね。
その後ろに、鹿野山(かのうさん)の山地があり、
わたしが性転換医療を知った病院は、
鎌倉時代からの修験道系の互助組織が運営していました。
性分化疾患の治療って、大昔からありましたので、
いつから始まったのかは、よくわかりませんが、
江戸時代には、すでに外科手術を行なっていました。
おしっこの出る道が塞(ふさ)がっていれば、
手術をしなければ仕方ありませんが、
抗生物質のない時代ですから、化膿を防ぐのは困難でした。
わたしの前任者が、すでに、今で言うGID(性同一性障害)の人に、
性転換医療を行なっていました。
体の性別は正常なのに、精神障害のせいで、
性転換を望む羽目になりましたが、
着衣の顔や体の見かけが、異性に似ているために、
社会的に差別虐待されていたことが、精神障害の原因でした。
日系の病院でしたが、
後に、TV(トランスベスティズム , ティーブイ)や、
TG(トランスジェンダー)と自称する人たちが、
たくさん、受診するようになると、
患者さんの多くが、韓国朝鮮系の人たちになりました。
在日の人って、昔は、日本の会社に就職できませんでしたけれど、
日本人でも、顔や体の見てくれが不細工ですと、
韓国朝鮮人や中国人のように言われて、差別虐待をされました。
言うまでもなく、欧米白人と日本人の、
見てくれの相違点が、差別の原因になりましたが、
実際には、目の小さい人と、足の短い人が、
集中的に被害を受けました。
今のほうが、ひどいのですが…
韓国人が、日本人を相手に、盛んに美容手術を宣伝するように、
差別をする人と、差別をされる人とは、
同じ考え方を共有しています。
類は友を呼ぶように集まり、
仲間内で、被害者と加害者の立場を、分かち合います。
共食いと言いますが、性転換医療がそれであると、
はっきりとわかりましたので、
わたしは、GID(性同一性障害)に対する性転換医療から、
撤退しました。
今は、性分化疾患の治療と、GIDの精神療法しか、
GID医療を行なっていません。
うちの患者さんの間では、
いわゆる部落差別が怪しい、と言われています。
関東や東北には、部落差別がなく、
大阪や京都などにしか、部落差別がないのは、おかしい、
と言います。
GID(性同一性障害)の人の多くが、
韓国朝鮮系の人であるだけでなく、
被差別部落の出身の人も、少なくありませんが、
関西の大都市の被差別部落は、
住人の大部分が韓国朝鮮系のようです。
昔は、精神障害者や犯罪者の子孫のような人たちが、
差別されて、流されて、吹き溜まるように、
被差別部落に集まって来ましたが、
朝鮮併合の後は、だんだんと、韓国朝鮮系の人たちが、
居着いて離れなくなりました。
被差別部落でなく、遊郭や色町であっても、
いわゆる赤線廃止後は、日本全国のほとんどの町が、
ほぼ完全に韓国朝鮮の人たちの支配下に入りました。
この事情は、祇園や赤坂などの、高級な色街でも、
同じです。
値段が高くても、やることは似たようなものですから、
当たり前ですけれど、
国会対策委員会が、夜毎(よごと)に赤坂で行われて、
料亭政治と言われていましたので、
韓国人の世界も、被差別部落から国会まで、
ちゃんと、道が通じていました。
うちの患者さんたちも、そうでしたけれど、
今でも、GID(性同一性障害)の人たちは、
遊郭の名残(なごり)の町で、売春をしている人から、
国会をうろつく人まで、色々いるでしょう?
夜の町にたむろする人たちのする事は、
昔と、ちっとも変わっていません。
京都から大阪にかけての、淀川水系の被差別部落に、
竹田の子守唄という民謡が、伝えられていますが、
韓国朝鮮の民謡でないかと、疑われています。
似たような旋律が、周囲の日本の民謡にありません。
歴史的に、同性愛差別のなかった日本では、
性転換の流行って、
オカマも、ブルーボーイも、ニューハーフも、TVやTGも、
社会的に差別された人たちが、吹き溜まって来る地域の、
生殖拒否のための、自傷自滅の風潮でなかったかと、
疑われます。
エステティックは、それを意味しています。
性転換医療を行なう医師が、
そもそも、同じような種類の遊び人たちでした。
生殖や世代交代の拒否を目指して、
性別の文化的な心がうんぬんと言い逃れるために、
エステティックな手法を使います。
殺し合いを、歯に衣(きぬ)を着せて言えば、
エステティックと聞こえるの。
性別も同じです。
有性生殖のために、性別があるのに決まっていますから、
生殖や世代交代を妨げるのは、念入りに殺す意味です。
本人だけでなく、子孫まで絶やします。
差別をされる人たちが、そのように解釈しました。
欧米白人が、アフリカ黒人や、インド人や中国人や、
日本人などを、差別虐待するときには、
顔や体の見てくれや、服装を見て、
相手を識別しますから、
顔や体や服装などを差別された、と思うのは、
当たり前です。
欧米白人は、
鉄砲や黒船や、蒸気機関や電信のような技術を使い、
仲間でない連中を殺そうとしましたけれど、
欧米白人でも、子供たちは技術を知りませんから、
教えなければいけません。
欧米白人でない奴に教えても、理解する能力がないと、
高を括って、馬鹿にしていましたので、
鉄砲や軍艦を使い、征服することになりました。
日本人は、欧米白人の真似(まね)をして、
技術を覚えましたので、
黒人や黄色人種には、理解力がないと、
思い込んでいたのは、誤解でした。
そのせいで、黒人や黄色人種を殺そうとしましたから、
戦争になるのは、当然です。
殺し合いをすれば、欧米白人が勝ちましたから、
人殺しの憎しみが、自惚れや偏見に、重なりました。
誤解を拭(ぬぐ)い去るのは、容易でありませんが、
日本人や中国人やインド人や黒人の、だれもが、
欧米白人の技術を、習得できるのでありません。
頭が悪ければ、文化を模倣できないのは、
欧米白人の子供たちも、同じです。
頭が良くても悪くても、
自分たちの仲間内を、贔屓目(ひいきめ)に見るのは、
当たり前でした。
頭の悪い我が子を、
頭が悪いからと言って、差別をしてはいけません。
我が子だからと言って、大目に見るのが、人情でした。
どれほど賢い人にも、障害を持った子供が生まれます。
これを虐待したのでは、人情が廃れますけれど、
頭の悪い子供たちが、鉄砲を振り回すのと、
顔や体の見てくれや、衣服の美を、競い合うのとは、
同じ社会の出来事でした。
仲間内で殺し合いを行なうのが、性転換医療です。
関西の被差別部落や、遊郭や、
韓国朝鮮系の人たちの間に、普及しました。
エステティックと言い、顔や体の見てくれによって、
人を殺します。
GID(性同一性障害)の人たちは、
心の性別と言いますが、共食いの意味です。
人間って、差別をされると、頭が悪くなります。
知能は価値観ですから、何が賢いかは、人それぞれの考え方です。
知能を測る方法はありませんけれど、
人が何を賢いと思っているかは、人に聞けばわかります。
みんなが何を賢いと思っているかは、みんなに聞けばわかります。
みんなが賢いと思っている通りのことができれば、
知能検査は、知能が高いとします。
早い話が、みんなと同じことをできる人は、賢いと言われ、
できない人は、あほと言われますから、
孤立して疎外されて、差別されると、頭が悪くなるのは、
当たり前です。
仲間はずれにしてやれば、どんどん頭が悪くなりますから、
頭が悪いと言って、人を笑ったり、
頭が良いと言って、人を褒めたり、自惚(うぬぼ)れたりするのは、
殺し合いと同じです。
ノーベル賞と言い、金メダルと言い、人を褒めるのは、
殺し合いをしています。
そのことが、エステティックに現われます。
目で見て、手で触って、殺し合いの相手を識別しますから、
当たり前です。
何々ならば、何々である、という因果関係が、
自然と一致するかのように、ギリシャ人は考えました。
論理と自然は一致するってね。
自然には、筋道(すじみち)がある、と考えたの。
ほんとは、論理って、定義をしているだけですから、
これとあれ、という二つのものを、結びつけているだけです。
連合と言いますけれど、言葉みたいに、くっつけているだけなの。
言葉は文化ですから、覚えるほかないでしょう?
これを表す言葉は、これであると。
物事(ものごと)という記号と、音波という記号に、橋を掛けます。
自然の必然性や筋道(すじみち)なんか、
あるわけがありませんから、覚えなければ仕方ありません。
でも、溝(みぞ)を掘るように、筋道(すじみち)をつけると、
水が流れるでしょう?
自然には、筋道があるように、見えます。
この自然の必然性という筋道は、どこから来たのかしら。
どうしても、実際に水が流れるにように見えるのが、
認識の仕組みですけれど、これが論理に一致するって、
ギリシャ人は書き記しています。
自然の仕組みと、論理の仕組みと、認識の仕組みが、
一致するって意味です。
コンピュータは、
水が高い方から低い方に流れるのは、文化である、と教えています。
物事(ものごと)と言葉の関係のように、
人間の作った約束事である、と言います。
定義って意味ですけれど、水の流れるのが、定義にすぎません。
水が高いほうから低いほうに流れる、と定義しているから、
確かに、自然に水が流れるように、見えます。
それが証拠に、
溝を掘るから、確かに自然に水が流れた、とわかります。
溝を掘らないのに、勝手に水が流れれば、
元から水が流れていたか、さもなければ、
誰かが、こそっと溝を掘ったのでないかと、疑います。
大雨が降り、水が溢れ出して、水が流れるのは、
神様のせいかも知れませんし、人間の誰かのせいかも知れません。
自然に水が流れる、と理解するには、
どうしても、誰かが工作したと、理解しなければいけません。
神さまや、他人や、自分や、あるいは、自然が主体かも知れません。
自然の摂理と言うけれど、主体がなければ、そうなりません。
誰かが働きかけなければ、自然は機能しない、と人間は見ています。
刺激がなければ、反応しません。
自然が勝手に、自動機械のように機能するって、
人間には認識できません。
無意識って、認識されないから、無意識でしょう?
自然も、そうなの。
誰かが働きかけたことしか、わたしたちは自然を認識できません。
自然が、自分で自分に働きかけた、と言うような、
自動機械のことを、認識できませんから、
自然が自然に働きかけたとなれば、
人間で言うところの、解離した意識のようになってしまいます。
ヒステリーのことね。
病気です。
それなら、溝を掘って、水が流れたのは、
自分が掘ったから、水が流れた、と見るのが、
いちばん理解しやすいのでないかしら。
自然の摂理でなく、自分が溝を掘ったからです。
掘れば、水が流れる、というプログラムを使ったからです。
キーボードから入力をするように、掘って作業をしただけです。
そうすれば、水が流れると、プログラムされているので、
水が流れたと、認識されました。
自分が働きかけた、と言っても良いし、
自分が刺激して、自然が反応した、と理解しても良いし、
自分が原動力であると、認識することも可能です。
そういうプログラムのことを、文化と言います。
みんなのプログラムを使ったので、
みんなの文化の通りに認識されました。
どうしても、みんなに共通の事実が、
そこにあるかのように見えます。
これって、入力する主体が必要ですので、
自分で入力をして、
自分でプログラムを作ったり、選択したりした覚えがなけば、
誰かがやったと、理解せざるを得ません。
なんとなく、統合失調症の被害妄想にそっくりですけれど、
自分がやったのでなければ、誰かがやったのに決っている、
と思うのは、当たり前です。
精神の病気では、プログラムの作り方や選択の仕方に、
間違いがあったような気もしますが、
孤立して疎外されると、あほになりますから、
みんなと一緒の選択になりません。
それにもかかわらず、習慣のせいで、
勝手にプログラムが選択されていたら、
きっと、御本人は、誰かのせいと、解釈してしまいます。
習慣のせいで、勝手に頭が機能してしまうのを、
自分一人で自覚するのは、不可能と思います。
わたしたちは、文化的なプログラムという入れ知恵を、
知っていますので、
習慣のせいで、無意識に二足歩行をする、と解釈しますけれど、
文化的な先入観がなけば、無意識を自覚することは、できません。
わたしたちが意識するのは、
文化のせいでなければ、精神の病気ですので、
意識という文化的なプログラムの作動を、
精神の病気の一種と、言えないこともありません。
みんなと一緒のことをしていなければ、仕方ありません。
統合失調症の多くの人は、
みんなと一緒のことをするのを、意図的に拒否しますから、
孤立して疎外されるのは、当たり前なのですが…
GID(性同一性障害)も、そっくりです。
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