ネムノキ 859 コンピュータの心と、自我障害

合歓木(ねむのき)も、
咲き終わった花が、萎(しお)れて枯れて、垂れ下がると、
 
 
生物には、色々な本能がありますけれど、
生殖本能一本に纏められる、と言われています。
 
本能って、
生きようとするエネルギーや、目的のようなものですけれど、
アリストテレスの考え方によると、
物体という形に、それらの本能が込められています。
 
形に、すべてが現われている、という考え方ですから、
唯物論ですけれど、
空間や時間や論理などの、人間の認識能力の特徴まで、
認識される物体の形に現われている、としますから、
現代物理学とまったく同じです。
エステティックなの。
 
人間の認識能力って、もちろん、生物の機能ですから、
アリストテレスは、生物でない物体を、生物学的に解釈しました。
具体的には、生殖本能によって、物事を認識しますので、
物理学って、スケベな目で、世界を知ろうとします。
 
     人間は、目が良いので、仕方ありません。
     脳の中の、視床ってところが、
     大脳の情報を束ねています。
 
     目から入って来る情報だけでなく、
     無意識に処理される感覚情報が、大脳のほうへ、
     情報処理の下請けに出される時に、
     視床から発注されます。
 
     大脳で処理された情報は、
     意識と言われる一部の情報も含めて、
     再び視床から、無意識に体を機能させる情報として、
     体の隅々に、伝えられます。
 
     人間では、言葉や、声帯の動作や、
     臭(にお)いや、手先の器用さや、二足歩行も、
     とにかく、大脳で処理される情報は、
     みーんな、視床に差配されなければ、
     感情や自我や事実などの、意識の内容に
     ならないかも知れません。
 
     フィードバックさせる時に、大切なの。
     判断が正しく実行されたかを見て、
     こまめに修正するときに、視床がものを言います。
     
     動物のように、嗅覚からの情報を処理するための、
     いわゆる嗅脳の機能は、
     人間では、ほとんど廃(すたれ)れて、
     臭(にお)いよりも、形による生殖になりました。
 
     うちのGID(性同一性障害)の患者さんたちは、
     人間って、
     性器の形により、雌雄を識別する唯一の動物である、
     と言います。
 
     性器の形を、事実として、視覚的に認識することにより、
     雌雄を識別しますけれど、
     人間って、手で触っても、
     頭の中で、わざわざ、形という映像に変換して、
     認識しますから、
     目がスケベなのでなく、視床が情欲に濡れています。
 
     生物の細胞は、化学物質の形に反応しますけれど、
     細胞だけでは、事実という意識を作れませんから、
     形を識別したと、言えないでしょう。
 
アリストテレスが、認識される物体の中に、
空間や時間などの、人間の側の認識の仕方が含まれている、
と考えたのは、
自然のありかたと、人間の認識の内容は、一致する、
と言いたかったのですけれど、
一致するものしか、知れない、と言う意味です。
 
端的には、自然は論理に一致する、と言いますけれど、
論理って、パラドクスが一杯ですから、
自然は、どれだけ矛盾に満ちているのかと、疑心暗鬼になります。
 
アリストテレスは、
じゃかましい、一致しないものは、認識できんのじゃ、
と言わなかったと思いますけれど、
認識される事実には、何の矛盾もありません。
矛盾しているのでしたら、
誰も事実として、認識できないのですから、当然です。
 
わたしたちが、矛盾していると思い、頭を悩ますのは、
定義の体系としての、論理法則という文化の側に、
みんなにとっての、共通性の低い定義が混じっているからです。
認識に適用される規格が、みんなに共通でなければ、
みんなと一緒の認識の内容になりませんから、
それは事実でないかもしれない、と疑われます。
 
みんなの合意が得られて、
認識のために適用される文化的な規格の共通性が高くなると、
客観的な事実として、誰の目にも同じように、
疑いようのない認識の内容に、見えて来ます。
 
誰が見ても、事実は一つなの。
みんなに共通の、同じ文化的な規則を適用して、
同じ価値を抽出したのですから、
みんなが、同じ内容を認識するのは、当たり前ですけれど、
ただ一つの客観的事実と言われています。
 
どこから抽出したかって、もちろん、動物や植物が、
自動機械のように、無意識に処理している情報の中から、
抽出します。
すでに持っている情報でなければ、
感覚器官を経て、新しく入って来た情報ですから、
無意識の情報です。
 
みんなに共通の、文化的な規格によって、矛盾なく認識する作業を、
わたしたちは、実験や試行錯誤や瀬踏みなどの、
経験的な工夫を、何度も繰り返して、
生活の役に立つ科学技術の成果を、
みんなが共通に享受している現実からして、
絶対に間違いないと、確信しているかも知れません。
 
こうすれば、必ずこうなる、という技術が、
誰にも共通の、動かしがたい事実がある、
と確信する根拠になっています。
 
人間という自動機械によって処理されていた無意識の情報の中から、
みんなに合意された文化的な規格に添う情報を、
事実として抽出しただけなのですが…
 
     みんなが、同じ夢を見ますけれど、
     一人だけの夢の中身が、
     夢幻(ゆめまぼろし)と言われるように、
     みんなと一緒に見る事実と言われる映像も、
     実体のない夢のようなものです。
 
     脳みその中に、実物が入るとは、思えませんから、
     どのように、あがいても、
     わたしたちは、実物を意味する記号しか、知り得ません。
     具体的な映像と思っているものは、
     実物を表す記号や、記号の塊(かたまり)のことです。
 
     映像と思っているのが、記号なの。
     見えている事実が、記号にすぎません。
     わたしたちは、数式を変形するように、
     事実と言われる記号式を変形しているだけです。
 
     実物の視覚情報が、どのような物であるかを、
     誰も知らないのは、当然です。
     認識のための、文化的な規格を適用される以前の情報は、
     無意識の情報に決まっています。
     
     わたしたちが、知っている、と意識できるのは、
     文化的な規格によって抽出された後の、
     二次的な情報だけです。
 
     編集された記号を、
     オリジナルの視覚情報のように思っていますので、
     実物の映像と言われますけれど、
     編集された後の、記号や、記号の塊(かたまり)です。
 
     文化的に合意された規格や定義などによらずに、
     その個体だけの、独自に抽出された記号や、記号の塊は、
     夢や幻のように、言われますけれど、
     みんなと一緒でしたら、確かな事実と言われます。
     共通性の程度が、違うだけです。
 
     みんなの文化に馴染めない人には、
     事実が見え難(がた)くなりますので、
     自分一人だけの、夢や幻と言われるだけでなく、
     妄想や幻覚や、あほや嘘や犯罪などと言われて、
     病院や牢屋に、ぶち込まれるかも知れません。
 
     他人とのコミュニケーションが足りなければ、
     そうなりますから、
     認識の規格が、みんなと一緒になるように、
     情報を交換するのは、
     ほとんど、みんなと一緒に判断をするのと、
     同じ意味です。
      
     脳みそって、
     コミュニケーションのための臓器ですけれど、
     自分の体の中の、
     部分と部分のコミュニケーションだけでなく、
     大脳は、
     他の個体とのコミュニケーションを行なうために、
     人間に特有と言えるぐらいに、よく発達しました。
 
     意識って、生殖をするためにありますから、
     感情や自我や事実などの意識を持つことにより、
     みんなと一緒の夢を見るのは、
     他の個体とのコミュニケーションによって、
     みんなで効率よく生殖するのと、ほとんど同じ意味です。
 
     なんとなく、サンゴやヒドロ虫の、
     群体に似ているでしょう?
     社会生活は、
     生殖のために、分業や協業を行ないますから、
     統合失調症やGID(性同一性障害)の人たちの、
     何が変(へん)になり、病気と言われるのかが、
     よくわかります。
 
     フランス革命の間違いに、似ているかも知れません。
     自由の女神のマリアンヌと、同じ病気です。
 
認識の仕方って、空間や時間や論理のように、
人類のみんなに、共通性の高い文化だけでなく、
その地域や時代や、特定の集団にしか、
共通しない文化もありますので、
当然、認識される自然のありかたも、流行のように変化します。
 
みんなの目に、同じように規則的に変化するものが、
事実と言われます。
 
流行であろうが、なかろうが、
めまぐるしく変化しようが、しよまいが、
みんなと一緒の文化的な規格の適用された認識であれば、
その中身は事実と言われます。
 
自然の変化の規則性って、
みんなと一緒の文化的な規格という意味の、規則性なの。
認識の規格が、みんなと一緒、という共通性のことを、
わたしたちは、自然の変化の規則性として、認識します。
 
視床は、目や耳などの感覚器官からから入って来た情報や、
大脳で処理された情報を、束ねていますけれど、
文化的に共通の規格によるコミュニケーションを維持しています。
みんなと一緒っていう生殖本能によって、
個体特有の行動を束ねているの。
 
生殖は、性交渉をして、妊娠出産育児をして、
世代交代をしますけれど、
個体を超えて、いつまでも生き続けようとします。
 
いつまでも、と言うのと、みんなと一緒、と言うのは、
似たような意味ですけれど、
具体的には、損になる奴を殺して、自分の子孫を殖やすために、
得になる奴と結託して、集団安全保障で行くってことです。
自然淘汰や弱肉強食と言われますけれど、 
進化論や精神分析などに、剥(む)き出しに現われています。
 
統合失調症やGID(性同一性障害)では、
コンピュータのような記号論的な情報処理の仕方から、
生物のスケベな本能が発達する途中の、
どこかに、何かが引っ掛かって、
うまく行かなかったのかも知れません。
 
いつまでも、みんなと一緒に、
という損得計算ができなくなりますので、
認知障害と言われますけれど、
統合失調症では、乳児期の動作に、
すでに軽い程度の発達障害の現われている人が、多いようです。
 
GID(性同一性障害)では、乳児期の異常が、あまり知られずに、
幼児期に、初めて、みんなと一緒のことの出来ない症状が、
軽度に現れて来る人が多いようですけれど、
後にGIDになる人の、乳幼児期を、ほとんど見れませんので、
直接に見届けたのでなく、お母さんからの聞き取りにすぎません。
 
もしかしたら、乳児の頃に、すでに異常の現われていたGIDの人は、
将来、統合失調症の症状が、現れるかも知れません。
 
統合失調症の認知障害のことを、
陰性症状でないか、と文句をつける人もいますけれど、
陰性症状って、統合失調症の症状のことを言っていますので、
統合失調症を発症する以前には、陰性症状と言えません。
 
ほとんどの統合失調症の人は、
統合失調症と言うには、症状の足りない頃から、
すでに社交的でなくなり、
知能検査や学力検査の成績が下がり始めますので、
ざっくばらんに、認知障害と言っても、構わないと思います。
 
乳幼児期の軽い発達障害から、
思春期に、認知障害の現れて来る人が、少なくありません。
 
そのことを、ドーパミンうんぬんの証拠と言う人もいますけれど、
人を無理やりに大人しくさせるための、抗精神病薬の効き目を、
そこまで、根本的な病気の仕組みのように、すり替えるのは、
薬屋さんだけかも知れません。
 
統合失調症の人って、生殖を目的とする物事の認識の仕方が、
変(へん)なの。
 
嫌(いや)な事を、我慢できずに、
人に合わせることができないのは、我儘(わがまま)なのでなく、
みんなと一緒に合わせても、
ちっとも、気持ちが良くならないのかも知れません。
 
普通は、みんなと一緒が、気持ち良いものなの。
 
わたしなんか、あほだから、うつ病のような理由や、
脳の器質的な病変が、どうのこうのと言う前に、
顔や体の形や動作などに、異常がないかって、とても気になります。
脳の中なんか、見えないもんね。
 
体の見てくれの異常や、色覚障害や、べた足などが、
重なっていると、それが原因でないかと、疑います。
貧乏や、ご両親の病気とかね。
 
みんなと一緒という生殖本能が働かずに、
コンピュータみたいな認識の仕方になるのは、
GIDによく似ているかも知れません。
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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