ユリノキ 839 形而上学と、事実や技術

百合(ゆり)の木って、アメリカの背の高い木を、
公園の木や、街路樹として、輸入したものです。
 
下から撮(と)り上げても、花の様子が、よく見えないので、
近くに小高い丘があれば、好都合です。
 
 
 
人は、たくさんの物事(ものごと)に、共通点を見つけ出して、
たぶん未来にも、この共通点が現れるだろう、と予想します。
 
共通点には、条件があります。
これこれならば、これこれの間に、これこれの共通点があります。
条件に適(かな)えば、未来にも、同じ共通点が現れます。
 
人間の見ている事実は、
さまざまな条件によって抽出された共通点を組み合わせて、
構成されています。
人間は、かつて抽出したことのある共通点しか、認識できません。
 
ほとんどは、文化と言われる共通点ですので、
今、認識している張本人の個人が、抽出したものでありません。
 
人間は、共通点しか、認識できないとするなら、
これとあれとの、共通点を抽出して、未来を予想したところ、
その通りに抽出された共通点が、未来にも現れたので、
これこれの条件ならば、これこれの共通点が現れることを、
自然の法則とするのは、
いかにも技術者が得意になりそうな、形而上学です。
 
昔は錬金術師と言えば、悪魔の手先のようでしたが、
うちの先祖は、だいたい溶鉱炉が好きでした。
 
共通点には、すべての物事(ものごと)に共通のものもあれば、
一部の物事に共通のものもあります。
いつでも現れる共通点もあれば、
これこれの条件でしか現れない共通点もあります。
 
すべての物事に、いつでも現れる共通点を、
強いと、仮に表現しておきます。
一部の物事に、限られた条件のもとでしか現れない共通点を、
弱いと表現します。
 
最も強い共通点は、空間や時間のような、無条件の定義です。
比較的に強い共通点は、文化と言われるかも知れません。
弱い共通点は、
個人の経験の中の、神経質な条件のもとでの共通点ですので、
未来や、他人の経験には、現れないかも知れません。
 
人間は、様々な共通点の組み合わせを、事実として認識します。
共通点として抽出されたことの無いものは、認識できません。
人間は、認識の対象に、文化的な規格を適用して、
事実を認識します。
特定の共通点を抽出する様々な要領が、文化的な規格ですから、
事実は、強弱の様々な共通点によって、成り立っています。
 
認識の対象は、文化的な規格が適用される以前の、
無意識の情報です。
動物の多くは、感覚器官から入力された刺激情報に対して、
無意識の自動機械のように反応します。
人間の機能の多くも、
白血球のように無意識であるにもかかわらず、
身内と異物の違いを学習して、識別します。
 
無意識に処理される情報に、他の個体との共通の文化が適用されて、
二次的に編集された虚像を、
新ためて認識の対象であるかのように再認識すれば、
意識があると言い、
再認識の対象とされた虚像を、自我や事実と言います。
 
自我や事実は、
さまざまに抽出された共通点のみによって、成り立っています。
 
技術者が実験を繰り返して得られた知見により、
未来を予測しますと、その通りのことが起こりますので、
人間は、鉄を作り、
船や車や超高層ビルやコンピュータや宇宙船を作り、
抗生物質を作り、外科手術を行ない、
衣服や家や下水道などを作りました。
 
これを、事実が確かである証拠と、人間は確信します。
事実の成り立つ仕組みを知っていましたら、
技術は、論理的な定義を、同等の定義に変形する作業に似ていると、
感じられます。
記号や数字や言葉による論理式を扱うように、
溝を掘り、水を流したに過ぎません。
 
認識された事実は、
自然という名前であろうが、土や水という物体であろうが、
記号と同じなの。
すでに共通点として定義されて抽出されたものです。
人間は、記号式や数式や文章を変形するように、
溝を掘り、水を流します。
わたしたちが見ている土は肉や血は、記号なの。
 
コミュニケーションが不調になると、
自我障害や幻覚が現れるのは、当然です。
意識が解離して、自我や事実の認識が、歪んで壊れます。
 
人間が、認識や表現のために、
みんなと一緒の文化的な規格を適用するのは、
もちろん、他の個体とのコミュニケーションの必要性からです。
 
文化という共通の規格によって、
他の個体と、情報を交換する必要がなければ、
情報を再認識して、自我や事実という意識を持つ必要もありません。
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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