梅花卯木(ばいかうつぎ)は、
放ったらかしにしておいても、毎年、よく咲いてくれます。
花が終わると、邪魔になるので、すぐに刈り込みますが…
見慣れていますので、季節を感じます。
花壇の花は、品種だらけですので、季節感が乏しくなりました。
樹木の花や、野山の草花は、まだ大丈夫です。
ミズキ目アジサイ科ですけれど、
水木(みずき)にしろ、紫陽花(あじさい)にしろ、
卯木(うつぎ)にしろ、そういう季節なの。
植物って、進化系統の近いものは、近い時期に咲きます。
一斉に咲かないと、生殖できないもん。
性周期です。
人間の、時間という認識の仕方は、性周期から進化したって、
なんとなく感じません?
季節は、性欲なの。
卯木(うつぎ)って、卯(う)の花です。
梅花卯木(ばいかうつぎ)は、卯(う)の花の一種。
発達障害では、
空気が読めないとか、目を見て意思疎通ができないとかって、
言うでしょう?
ビネー式の筆記の知能検査をやっても、
優秀なことが、少なくありません。
物事の成り行きがわからないのですけれど、
こうなればこうなるって、杓子定規に覚えることはできますので、
知能検査や学力検査の結果は、悪くありません。
やっぱり認知障害の症状ですけれど、
どうして、知能検査や学力検査に現れないのかしら。
目を見て会話をすることは、
トレーニングをすれば、簡単に出来るようになりますけれど、
いわゆる、空気を読むことは、
出来るようにならないかも知れません。
もしも、出来るようになる人がいても、
10年ぐらいの、長期間を必要とします。
GID(性同一性障害)の治る人も、短期間には、まず治りません。
こうなればこうなるっていう筋道を読み取るのが、
目で見たことと、連動していませんけれど、
顔や体や服装などの見てくれに凝る人って、
目で見たことから、筋道を読み取る能力が、低いかも知れません。
顔や体や服装の見てくれって、筋道でなくて、
これとこれっていう2つを結びつけただけと思いません?
この顔なら、みんなに評価されてお金持ちやリーダーになるとか、
この服装なら、みんなに笑われるとかね。
それって、文化的に形成された定義のようなものでして、
知能検査や学力検査で測られれるものと、よく似ています。
定義を変形して使うって、数学の能力もそうですので、
ファッションに明け暮れている学業成績の悪い女の子も、
トレーニングをする癖(くせ)がついていれば、
お医者さんになっていたかも知れません。
知能検査や学力検査の成績が高く、お医者さんになっても、
ちゃんと、GID(性同一性障害)や統合失調症になる人って、
たくさんいます。
子供時代を知れば、
軽い発達障害の疑いの掛かることが、よくあるの。
みんなの定義を知り、同等のものに変形する能力と、
物事の筋道を知る能力とは、違うのかしら。
物事の筋道がわからなければ、
人の目を見て話さない傾向があるだけでなく、
物事の筋道のわからない人と話していると、
人の目を見て話さなくなる傾向もあります。
物事の筋道を知る能力のうちでも、
定義を知り、同等のものに変形する能力と、
定義されないものを知る能力とは、
もしかしたら違うかも知れません。
わたしたちは、こうなればこうなるって予測して、
暮らしていますので、
予測外のことが起こると、対処不能になるかも知れません。
日本のような、人口密度の高い国に暮らしいると、
不慮のことって、ほとんどが他人の行動や発言です。
精神障害の人の心の中では、
ちゃんと言葉を使って標語のように定義された事柄でなければ、
すべてが突発的に、予測外に起こるのかも知れません。
ちゃんと定義されたものって、
言葉を使った法律や規則や、数学や科学や、
エステティックやファッションなどのような、
いわゆる杓子定規なものが、代表的です。
いずれも、
理由もなく文化的に定義されたものを、弄(いじく)るだけの、
いわば事務なの。
数学や科学や、エステやファッションを、事務と言うと、
怒られるかも知れませんけれど、
科学技術の実験や検証などの手続きは、事務そのものです。
空間や時間や論理や言語などの、文化的な定義を、
物事(ものごと)に適用して、事実として認識することね。
役に立つことや、危険なことなどを、見つけ出すします。
エステやファッションも、古代エジプトのピラミッドを作る技術や、
ラボアジェやニュートンやアインシュタインっていう人たちが、
お薬や望遠鏡や数式などを捏(こ)ね回したのと、同じ手続なの。
そのような事務と、
事務的に認識されない物事の筋道を知る能力とは、
違うかも知れません。
精神障害者には、
理由もなく突発的に起こる不測の判断ってのが、多いのですけれど、
それは、その人たちの行動が、
しょっちゅう、不測の事態のように起こることから、わかります。
精神障害の人の行動が、予測不能に近く、突発的に起こるのと、
その人たちが、目で見て会話をしないで、
目の動きによって意思疎通を図らなかったり、
いわゆる空気が読めない、と言われたりすることとは、
関係があります。
ついでに言うと、精神障害者と話している健常者は、
相手の目を見ても、意思疎通ができないので、
自分も、相手の目を見ないで話す癖(つき)がつきます。
目を見て、意思疎通を図ることを、
アイコンタクトって言いますけれど、
素敵な彼氏の目を見て、妄想を逞(たくま)しうするだけの女性も、
少なくありませんから、
何に対して役に立つコミュニケーションの手段であるかって、
一目瞭然かも知れません。
他人とのコミュニケーションの不調が、
発達障害の重要な症状の一つになっています。
ほとんどのお医者さんは、
患者さんの話を聞いても、目を見ませんから、
被告人が何と言おうとも、事実によって判断するとして、
言葉ばかりの判決文を読み上げる裁判官に似ています。
コミュニケーションが不調であると知っても、
なぜ、コミュニケーションが不調なのか、という理由には
なりません。
定義を同等のものに変形して、物事に適用する能力と、
定義されない物事を見る能力って、違うのかしら。
杓子定規の事実を知る能力と、
ほんとうのことは、目に見えないって、
星の王子さまのサン=テグジュペリが言った能力とは、
違うのかしら。
認識の仕方って、全部、定義ですけれど、
精神の病気の人には、
みんなの定義でなく、自分一人だけの定義を多用する人が、
たくさんいます。
自分一人だけの定義って、他人に通じませんけれど…
感覚器官から入ってきた情報や、
すでに体の内側に持っている情報などが、
認識される対象としての物事ですけれど、
空間や時間や論理や言語やエステやファッションなどの、
みんなと一緒の文化的な定義を適用して、
事実と言われる役に立つものや危険なものなどを、抽出します。
感覚器官から入ってくる情報の元ネタが、
他の人と大きく違っていると、
たぶん、自分一人だけの定義を多用することになります。
生まれ育った境遇が、他人と大きく違っていたり、
身体的な事情が、大きく違っていたりね。
経験が大きく違うと、そうなります。
GID(性同一性障害)の人は、心の性別と言い、
自分の心の中の出来事が、原因であるかのように主張しますけれど、
体の事情や社会的な境遇が原因のような気がします。
心の中の情報って、遺伝的なプログラムでなければ、
体の外から入ってきた情報ですから、
自分の心の中だけの独自の定義や、
オカルトな文化的定義などを使わなければいけない理由って、
体の遺伝的な事情でなければ、経験の違いしかありません。
わたしは、GIDの人を見ると、
体の違いや、境遇の違いが、わかるような気がしますけれど、
御本人は、経験の違いを教えてくれません。
生れつきに目の見えない人は、
目が見えないってことを、
人に教えてもらわなければ、気づかないように、
生れつきの体の事情や、境遇から来る経験の違いって、
自分では、なかなか気づきません。
GID(性同一性障害)の人たちは、
分界条床核や、視床下部の鈎状核や、扁桃体などのせいと、
言いますけれど、
そこに異常のない人は、GIDでないのかしら。
GIDの人には、顔や体の見てくれや、御家族の境遇に、
特徴的なものが目立つような気がします。
習慣の変更って、難しいのですが…
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