街路樹になっていますので、どこにでもありますが、
ちょっと見ないうちに、葉が落ちそうになっていました。
昔の九州地方で、
蝋燭(ろうそく)の蝋(ろう)を採(と)った木と聞きます。
患者さんの苦しみを和らげて、
周囲を苦しめずに、生きて行けるように、
精神科のお医者さんは、努力します。
働かずに遊んで暮らそうが、結婚せずに子供を生まずに暮らそうが、
とやかくは言いませんが、
健常な人でも、お金だけを抱えて、独身のまま、遊んで老化すれば、
苦しくなるのに決まっている、と言う人もいます。
ましてや、若い元気な時に、すでに尋常な社会生活に耐えられずに、
音(ね)を上げた精神障害の患者さんが、
老年の苦しみを乗り越えられるとは、到底、思えません。
お金があっても、年齢と孤独と無為には、勝てません。
実際に、治らない半数の人は、他の精神障害に苦しみ、
自殺や痴呆に至る人の、少なくないことが、知られています。
GID(性同一性障害)のままで、生きて行ける人は、約1%ほどです。
女衒(ぜげん)のように、
性転換の吹聴を、生き甲斐にしている人でなければ、皆無です。
性転換すると、性交渉の相手が、
事実上、同性愛者に限られます。
性欲を感じられないシャカムニと言われる人たちが、
性転換によって、性欲を感じるようになっても、
性交渉の相手が、男性同性愛者に限られますので、
精神病院に、生涯、就職してしまった気持ちになるそうです。
シャカムニの人たちに、同性愛の趣味はありませんが、
簡単に同性愛を習得できます。
でも、性転換した性器の都合から、
健常な男性とは、暮らせません。
事実上、同性愛者の中の、異性愛や生殖を拒否する人だけが、
性交渉の相手になります。
日常生活の性的パートナーも、その種類の人になります。
でも、異性愛や生殖を拒否するタイプの、同性愛者は、
必ず精神障害者であると、
性転換によってシャカムニの治癒した人たちは言います。
同性愛しか習得できない人は、自我機能が弱く、
御本人の自覚できる心の中に、
御本人に制御できない気持ちが、混じってきます。
わたしたちに自覚できる気持ちの中で、
制御できない気持ちは、
合理的に制御できないという意味です。
もしかしたら、合理的でない方法によって、
制御できるかも知れませんが、
おそらく、社会の害になる方法です。
たとえば、痛いという気持ちは、
ケガや病気などを治せない時に、
自分で感じられますが、制御できません。
どのような病気であるかは、医師に尋ねれば、
治療法がないとしても、客観的に、ある程度はわかります。
痛みの中でも、合理的な説明のできないものは、
精神の痛みと言われます。
合理的な理由もないのに、
痛いと感じられる気持ちを、制御するのは、
精神科のお薬に頼らなければいけないかも知れません。
その痛みを感じる脳の機能を、
化学的に停止させてしまいます。
脳が機能しているので、痛いと感じられる、としか言えずに、
脳の、その機能を、無理矢理に停止して、
痛みを無くすのでしたら、
できるだけ、その機能だけに、限定したいのですけれど、
実際には、そのあたりの機能を、何もかも纏(まと)めて、
ばっさりと麻痺させてしまいます。
そのあたりと言うのは、必ずしも、脳の中の場所でなく、
その化学物質に反応する神経細胞全部であることが、
少なくありません。
特定の化学物質を、
神経伝達物質として使用する神経細胞のことで、
その化学物質に反応するシナプスの受容体の機能が、
強制的に亢進したり、制限されたりして、
自由に機能しなくなります。
痛みが取れれば、気持ちは楽になりますが、
痛みを感じる以外の作用まで、
正常に機能しなくなりますから、
そのぶんだけ、脳味噌の融通が効かなくなります。
元々、合理的な理由もなく、
雑音や誤動作のように、痛みを起こすことが、
脳味噌の性能の、低さや弱さや悪さを、意味していますが…
合理的な理由もなく、本人に制御できない気持ちが、
自覚される心に混じってくるのは、
精神の病気かも知れません。
心として意識されて、体の状態や、情報処理の状態を、
自覚して制御する機能は、自我機能ですが、
合理的に説明できない情報が混じって来たのでは、
ストレスの原因になり、自我機能を低下させます。
健常な精神では、合理的に説明できない情報を、
きっぱりと、自覚しない手もあります。
合理的に説明できずに、制御できない情報は、
自我機能の内と外の、中間ぐらいのところに、
未処理の懸案として、記憶されて、
心にぶら下がった芥川龍之介の『鼻』のように、懸念されます。
自我の外側に記憶されれば、まったく意識されませんので、
制御できない情報であっても、自覚されません。
自我の内側の情報は、自覚されます。
いったん自覚していたものを、自覚されなくするのは、
情報を封印してしまうことですが、
単に封印の記号を付加するだけや、
特定の樹状突起を消滅させるだけでなく、
神経細胞もろともに、殺してしまうこともあるようです。
自分から壊死するように見えますので、
アポトーシスと言われています。
精神の病気の人が、脳の機能の一部を使用しないことによって、
脳の廃用性の萎縮が起こるのは、
神経細胞のアポトーシスによると思われます。
GID(性同一性障害)や同性愛の一部の人のように、
絶対に生殖を拒否する人では、
異性との生殖によって、処理できない情報が生じると、
情報を封印するだけでなく、樹状突起を衰退させたり、
神経細胞もろともに壊死させたりも、しているようです。
異性との性交渉のできない人では、
その機能を持つとされる神経核の、
萎縮や未発達が確認されています。
未処理の懸案情報は、一時的に記憶して置くものです。
懸案ばかりが溜まってしまうと、苦しくなるのは当然です。
説明できずに、制御できない情報が、
脳の中に溢(あふ)れてしまうことも、あるかも知れません。
懸案情報を一時的に記憶する場所として、
海馬がよく知られています。
精神の病気の人には、
合理的に理解する機能の低い知的障害の人のほかに、
合理的に説明できない気持ちを、
大量に、心に抱(かか)えてしまう人が、たくさんいます。
忘れることが、下手(へた)くそなのかも知れません。
異性愛や生殖を拒否して、同性愛しか出来ない人には、
不合理な気持ちを、不規則に自覚する人が、
少なくありません。
精神の病気ですが、治癒した元シャカムニの人の言うには、
体が健常で、子供がいないのに、
絶対に異性愛や生殖を拒否する同性愛者は、
全員、精神障害者だそうです。
シャカムニの人は、
性転換によって、性欲を感じられるようになりますので、
性欲を感じられずに、自殺したくなる病気は、治癒します。
でも、性交渉の相手が、性転換によって、
事実上、異性愛や生殖を拒否するタイプの、
同性愛者に限られますので、
精神障害者のお相手から、解放されない人生になります。
性欲を感じながら、健常な男性と、
時々、冒険的な恋を楽しむだけの、独身生活は寂しい、
と言います。
いつも一緒に暮らせる性的なパートナーは、
事実上、精神障害者に限られます。
明けても暮れても、精神の病気の世話をしてあげる日々は、
辛(つら)いと言いいます。
シャカムニの性転換による治療は、
シャカムニという精神の病気の治癒と、
同性愛という精神の病気の世界に、
生涯、縛り付けられる人生とを、見合いにしています。
同性愛そのものは、病気でなく、
健康な趣味の一つにすぎませんが、
健康な体で、子供がいないのに、
異性愛や生殖を拒否して、同性愛しか出来ない心は、
精神の病気です。
犯罪者や自殺者が、
異性愛を拒否する同性愛者であるかは、
知らない人には、わかりません。
独身か妻帯者かも、最近は報道されません。
職業の有無は、必ず報道されますが…
資産や性的な趣味などは、病気の一種とも言えますので、
差別しないのが、フランス革命の考え方のようです。
性転換によって治癒したシャカムニの人たちは、
同性愛の人たちの生態を、
よく知る人生にならざるを得ません。
犯罪や自殺や精神の病気などと、
生殖を拒否する同性愛との関係は、非常に太いと言います。
知能は正常でも、自我機能に難点があり、
合理的でない気持ちが、篩(ふる)いに掛けられずに、
不合理な気持ちとして、心に自覚されてしまいます。
雑音のように不規則な気持ちが、
正常な心の内容と同じように、さまざまに解釈されて、
精神の苦痛の原因になります。
理由のない痛みや不安や怒りなどとして、
現れることもあります。
こんなものが、不規則に現れて、
正常な心の営みの邪魔になると、
合理的に解釈できないにもかかわらず、解釈してしまいます。
解釈の内容が、妄想や幻覚となって現れます。
GID(性同一性障害)のように、
心の性別や、性自認となって、現れることもあります。
老人に、補聴器を教えてあげても、多くの人が適応できません。
耳の健常な人が、補聴器をつけて、聞いてみても、
雑音だらけですので、適応が難しいと、わかります。
音楽ソフトを再生するだけでは、
さほど雑音が入りませんので、
マイクロホンが、雑音の原因のようです。
それにしても、補聴器の雑音は大きいので、びっくりします。
慣れると、その雑音が聞こえなくなります。
脳には、必要な音だけを聞き取る機能や、
不必要な音を、無視する機能があります。
規則的な音でしたら、
必要と不必要を、聞き分けることができます。
でも、除去すべき雑音が不規則であったり、
必要な音が不規則であったりすると、厄介です。
補聴器を使わない時でも、
耳の遠い老人は、不規則な音に弱いことが、わかります。
精神の病気の人も、不規則な情報に、とても弱い傾向があります。
それなのに、規則的な生活を拒否するのは、
自分自身のほうが、不規則であるのかも知れません。
昔、ノベルティ・シーキング(Novelty Seeking)を決める遺伝子が、
見つかったと、話題になったことがありました。
裏が取れなかったので、うやむやになりましたけれど、
人の心って、冒険心とか、進取の気性とかっていう性格が、
遺伝的に決まっているのでなく、
思い切ってやってみるか、それとも自重するかを、
調節するための仕組みが、遺伝的な素質として、
制限されているかも知れません。
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