ゴールデンウィークのレジャーのために、
カムチャッカに行きました。
ルイジアナのオイルプラットホームには行っていません。
GID(性同一性障害)の発達障害は、自我障害だったりして…
自我障害は認知障害で、ヒステリーだったりして…
証拠のない心は、何とでも解釈できます。
統合失調症やGIDや拒食症や解離性同一性障害などの人は、
客観的な事実の記憶に嘘が多く、当人は嘘と自覚していません。
物事の推移を尋ねると、
宇宙の成り立ちを、何故と問い詰めても、埒が明かないように、
自分の経験した事なのに、
理由もなく物事が起こり、理由もなく行動します。
まるで、銀河系の彼方からやってきたように、
この人達は、驚異に満ちた日常世界に暮らしています。
健常な幼児に、一日の出来事を尋ねると、
朝、目が覚めた時から、時間の順番に教えてくれますので、
今さっきの事に、なかなか辿り着けません。
幼稚園から帰ったあとに、何をしたのか、
こちらから指定して、手っ取り早く聞き出します。
精神障害の人は、幼児の頃から、
客観的事実を、時間の順番に並べる記憶の形式を、
習得していないことが、稀にあります。
いったん、習得していたのに、
思春期以後に、記憶の形式の変わる人もいます。
最も多いのは、その時の気分によって、
時間の通りに記憶を呼び起こすことが出来たり、
出来なくなったりする人です。
統合失調症と同じ症状の出る人でも、
継続的に出ている人は、統合失調症と診断されて、
何度も措置入院になっていますけれど、
症状が出たり出なかったりする人は、
受診することも、診断されることもなく、
精神障害とは関係のない健常な顔をして暮らしています。
二人は同じ家族で、判で押したように、同じ症状が出ます。
どちらが精神障害として重症か、一概には決められません。
御家族の言うには、健常な人のほうが、
家族の生活を犠牲にする分だけ、重症です。
措置入院になる人は、病院に入れておけば、手間がかかりませんし、
退院すれば、しばらくは大人しくしています。
何か悪いことをしでかしても、
統合失調症の人のほうは、不起訴になりますが、
健常な人のほうは、せいぜい人格障害としか鑑定されませんので、
死刑になります。
この違いを、法的に作り出したのが、日本人です。
元禄時代に、責任能力のない精神障害者を、
処刑しない社会慣習が、すでに普及していました。
世界で最初です。
フランス革命の考え方では、
人間は生まれながらにして平等ですので、
生まれながらにして不平等な現実を、
どのように法的に、ひねくり回して理解するかが、難問でした。
現在に至るまで、死刑になるような凶悪犯罪では、
必ずと言ってもいいほど、被告人の責任能力が問題になります。
GIDでは、客観的事実を、
時間の通りに並べられなくなるのと、
GIDの発症とが、
ほぼ同じ時期の人が、少なくありません。
思春期の人もいれば、
子育て後の45才を過ぎてからの人もいます。
客観的事実が起こった順番の通りに、
一本の時間によって、記憶が整理されていることを、
意識の同一性と言い、
自分という気持ちの由来になっていますので、
自己同一性と言います。
GIDでは、性別のことだけでなく、
その時の気分次第で、目覚めている時でも、
しばしば、自己同一性を失います。
自己同一性を失うことを、解離すると言いますが、
眠って夢を見ている時は、慣用的に解離と言いません。
自我の未熟な乳児や、動物などでは、
自己同一性が一度も形成されたことがありませんので、
解離と言いません。
解離の反対語は、統合です。
自分という意識は、乳幼児期に、
少しずつ作られて行くと知って下さい。
最初から自分があるのでありません。
子供を育てたお母さんなら、
誰でも知っていることですが、
GIDになる人は、子供がいなければ、
ほとんどの人が、
自分は生まれつきに自分だったと思っています。
自分らしさも、工作物ですので、
他人との識別点を、自分らしさと言います。
自分らしさという個体の特殊性は、
脳の形や、脳の組織の分子構造も含めて、
体の器質の、形の違いでなければ、
人それぞれの置かれた状況の違いでしか、ありません。
脳の能力の違いや、経験や記憶の違いは、
分子構造の形の違いに現れているはずです。
現在の状況の違いは、
短期記憶を保存しているタンパク質の形の違いに、
反映されているかも知れませんが、
認知の仕方の違いがありますので、
現在の客観的な状況の違いが、
即ち器質の違いとは限りません。
認知の仕方の違いは、脳の組織の分子構造の違いに、
すでに現れているはずです。
原理的には、自分らしさという個体の特殊性は、
すべて、体の形の違いです。
神秘的なものは、何もありませんので、
人間の心は、自然と同じように、機械と同じです。
個体が違えば、客観的な状況も違います。
規定されている情報処理の仕組みや、
入力された情報が同じでも、
誤動作が起これば、
自分らしさという個性の根拠になります。
誤動作の原因も結果も、形の違いに現れていますが、
いつ、どのように誤動作を起こすか、
予想された通りの誤動作を、
誤動作と言えるはずもありませんから、
個性や、人間らしさや、自分らしさを運営するために、
神様は、一切必要ありません。
精神障害の人の心は、
神様が運営しているかように神秘的です。
このことを、ヒステリーと言います。
自分や他人に、客観的事実を知られないように、
嘘をついて、嘘をついたという記憶を封印します。
わざと、自分の体や心の運営に、変調をきたして、
自分や他人や社会を困らせます。
うまく行くと、能力の低さから、
人にこき使われて、馬鹿にされます。
精神障害の人の心は、
人を馬鹿にしたり、馬鹿にされたりするような、
感情によって、動物的に、夢のように、
乳幼児のように運営されています。
感情は、哺乳類に受け継がれている情報処理の、
共通の形式の一つですが、
人間では、夢や乳幼児でなければ、
あまり使用されません。
多用すると、精神に異常をきたして、芸術的になり、
風俗に流されて、非行や犯罪に走りやすくなります。
GIDでは体の異常や、御家族に精神障害者が多く、
貧困も少なくありません。
認知障害の内の、知能検査や学力検査などでは測れない異常や、
体の見掛けの形や、内分泌や性反射や性周期の異常などのせいで、
周囲から差別虐待されている人もいます。
性別の違和感や、心の性別や、心と体の性別の不一致や、
性転換願望や、性ホルモン剤や各種美容手術の希望などの、
GIDの診断の根拠になる症状は、すべてヒステリーです。
ヒステリーは、自我障害と同じ意味に帰着するかも知れません。
人間に特徴的な自我の発達は、
哺乳類の生殖を処理していた嗅脳の機能が、
人間において特徴的に退化したことと、
抱き合わせになっています。
他人や社会とのコミュニケーション機能や、
一本の時間の上に、
客観的事実の起こった順番に、記憶を並べることによって、
意識の同一性を維持する機能などを見れば、
自我機能は生殖のためにある、とも言えます。
フェロモンを感じる能力が退化して、
時間と手間のかかる育児が必要ですので、
人間の生殖には、
優れたコミュニケーション能力と、自己同一性が必要です。
未来を見積もり、これこれならば、しかじかをすると、
将来の行動を、あらかじめ心積もりすることによって、
自分は何々であると、自分で自分を規定して、拘束して、
わざと型に填め込んだ自分を実行する意志の機能も、
自我機能の大切な機能の一つですから、
性交渉や育児や社会を作る機能などと同じように、
生殖の一部かも知れません。
過去にうまく行った行動を、未来にも適用するのは、
世代交代して、永遠に生きようとする生殖本能と同じです。
頑固になって、変更不能になります。
宇宙は均一であり、物体は恒常性を求め、
生物はアリストテレス風です。
意識の内容を、客観的に自覚する機能は、
他人や社会とのコミュニケーション機能を援用していますので、
ヒステリーの人が、記憶を封印するのは、
他人や社会とのコミュニケーションの拒否と、同じ意味になります。
GIDのように解離して、事実に即した記憶を失うのは、
一種の自閉です。
生殖の拒否は、言うまでもなく社会生活の拒否にほかなりません。
意志や自覚や自己同一性やコミュニケーションも、
生殖機能の一部と言えるなら、
生殖と言わずに、自我と言ったほうが、良いのかも知れません。
生殖の拒否は、自我を拒否することなのよと。
社会を拒否することです。
人間は死ぬまで自我を持ち続けるように、
死ぬまで生殖を望み続けなさいと言うと、
男性には健康的かも知れませんが、女性には酷です。
更年期を過ぎると、死んだも同然になりますので、
有性生殖を卒業して、生き続けます。
GIDの人には、性転換よりも、
有性生殖によらずに、社会的に生きる道を、
教えてあげたほうがいいと、わたしは思っています。
子供のいる人にも、いない人にも、共通に適用できます。
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