近くの公園の、鯉のぼり。
わたしが撮っていると、
よその人も、携帯電話を開いて、撮り出しました。
鯉の滝登りは、サケ・マスの母川回帰の真似ごとでなく、
生殖のためでありません。
龍になるために、登竜門を目指します。
後漢の、党錮の禁の、清流派の李膺という人に認められることを、
竜門に登ると言い、
江戸時代の武家が、旗指物や吹き流しの代わりに、
鯉幟りを使ったようです。
昔の戦争では、名を名乗って、家を明確に表示しなければ、
功績を上げても、人に認めて貰えません。
写真やビデオやボイスレコーダなどはありませんから、
目撃者の証言と、切り取った首だけが証拠です。
旗指物の類は、誰であるか、どこの家であるか、
敵か味方かなどを、明らかにするために、武家には必要でした。
吹き流しも、旗指物として、よく使われました。
風が無ければ、だらりと垂れているだけの旗や幟りは、
役に立ちません。
風が無くても、よく見えるように、
旗や幟の上端に、横棒を付けましたが、
吹き流しも、風によく靡くように、
わかりやすく工夫された目印の一つです。
わたしは、母衣武者(ほろむしゃ)を思い出します。
騎士が、全身に吹き流しを被り、
敵陣を、風のように走り抜けます。
体と布きれの間に、空気を孕ませ、
布きれを体から離して、風に靡かせると、
弓矢は、なかなか布きれを貫通しません。
馬上の騎士が、大きな吹き流しの中に、身体全体を入れて、
敵陣に勇ましく突入しても、
弓矢に当たらずに、無事に突破できるかも知れません。
このような騎士を、母衣武者と言い、
戦いの先陣を切り、敵陣を目がけて走ります。
これが大変勇ましく、格好良く、
日本の武士の、美しさを象徴していました。
吹き流しを見ると、わたしは母衣武者を思い出します。
母衣は、次第に飾り物になり、
母衣串という竹製の骨組みを入れて、
風に靡かなくても、いつも膨らんでいるようになりました。
女性のドレスのヒップボーンと同じで、男性の戦さも、大変です。
命懸けのデモンストレーションでしたので、
敵からも尊敬されました。
母衣武者の首を討ち取った時は、
母衣に包んで持ち帰るのが、武士の作法です。
GIDも、亡くなった時には、
鯉のぼりに包んで、棺桶に入れられる時代が来るかも知れません。
党錮の禁の清流派は、宦官に対して、
官僚や貴族などの、党人の派閥を言い、
宦官を、濁流派と言います。
去勢するのは、現代でも、同性愛や異性装と、かなり違いますので、
宦官を、MtFのGIDに似ているとは、言いにくいのですが、
鯉のぼりに関係があるってことで、堪忍してください。
鯉って、清流にしか棲めないのかしら。
うちの近所の公園の鯉は、
菱やコウホネの茂る泥沼に暮らしていますが。
中世以来の武士の男性同性愛は、
江戸時代になっても流行していました。
男性同性愛者は、だいたい、
今で言うオカマやGIDなどの異性装者を嫌いますけれど、
歌舞伎の女形(おやま)のような異性装者も、
生殖を拒否する人を好まずに、
健常な所帯持ちの男性同性愛者や人妻と、
親しくしていたようです。
生島新五郎という歌舞伎役者は、
大奥の御年寄という地位の、江島という女中さんと懇ろでしたが、
彼女が大奥の門限に遅れたために、スキャンダルになり、
1500人が連座する大事件になりました。
このために、彼女の属していた現将軍の派閥が劣勢になり、
スキャンダルを追求する前将軍の派閥が優勢になったことから、
次期将軍に、徳川吉宗という和歌山の人が選ばれたそうです。
大奥の女中さんは、将軍のお妾さんの一種かしら。
お妾さんって、人妻?
同性愛者にしても、異性装者にしても、
生殖を拒否する人は、貶められました。
精神障害者は差別された、ということです。
生殖を拒否する理由は、今でもそうですけれど、
体の事情や、家庭の事情が多く、必ずしも精神障害でありません。
でも、人に言えなければ、頭が変と思われます。
日本は、責任能力のない精神障害者を庇護する社会慣習が、
世界に先駆けて、元禄時代に普及しました。
平和な同族社会でしたから。
家族や社会の庇護を、蹴ってしまう精神障害者は、
見放されました。
社会が精神障害者を庇護するのは、
精神障害者の代わりに、責任をとる人が、
社会にいる、ということです。
たいていは、家族です。
可哀想ですけれど、勘当されて、身寄りがなくなれば、
現代インドの、ダリットのようになります。
江戸時代から、太平洋戦争後1960年ぐらいまで、
日本でも、社会から見放された人は、
いわゆる被差別部落民や、旅芸人などになりました。
おそらく、やくざ未満の、社会的地位です。
インドでは、ヒジュラというGIDも、ダリットの一種ですけれど、
日本でも、オカマや陰間などという人達は、最底辺の人達でした。
今でも、その傾向があります。
多くは、勘当されると言っても、
自分から一般社会を飛び出してしまう精神の病気です。
一般社会というのは、
融通を効かせなければ生きて行けない社会のことで、
時代や場所によって、
変形菌のように、なんとでも姿や形を変えます。
社会人は、それに適応する能力が要求されますが、
GIDには、その能力が足りません。
GID(性同一性障害)の性転換を知らないお医者さんは、
精神科の診断基準やマニュアルを、
患者さんに当て填めて、診断しようとします。
GIDっていう診断名は、
先に患者さんと、その仲間社会と、
性転換手術の実態があり
あとから、それを合法化するために、
性転換する人達の実態を、言葉で形容しただけです。
診断基準の言葉は、
合法化のための、便宜的な建前にすぎませんから、
実態と大きく違います。
言葉のほうを、法律のように杓子定規に尊重して、
GIDを診断しようとすると、
実態にそぐわない人が、性転換手術を受けたり、
仲間社会の人が、診断されなかったりします。
たぶん、GIDという診断名の弊害が大きくなり、
性転換医療によって、
人生の混乱する人達が増えることになります。
GIDは、本人が性転換の方向に行きたいと思って、
性別の違和感や、
体の性別を許容できないという気持ちを訴えます。
性転換の方向に行きたいのは、
一般社会を蹴って、
GIDの仲間社会に、骨を埋めたい気持ちです。
出家して、オウムの教団の中で暮らして、
オウムの仲間内で死にたい、と思うのと、
似たような気持ちです。
仲間から離れたいと思えば、
とりあえずは、GIDが治ったのかも知れませんが、
一般社会に適応して治る人と、
相変わらず、一般社会に適応できずに、
GID以外の精神障害が、
目立つようになっただけの人とがいます。
いずれにしろ、
GIDの仲間社会の実態を知らなければ、診断できません。
同じように、
GIDの仲間社会で仕込まれた人でなければ、
GIDでありません。
GIDは、性転換医療や、それに関わる医師や、
性交渉の相手になる人なども含めて、
仲間内のものですから、
仲間でない人が診断したり、
診断されたりするものではありません。
GIDの仲間社会を知らない人の、
GID(性同一性障害)についての質問や、
性転換医療に関わっていないお医者さんの答えは、
GIDの相場からすれば、
へんてこなものが多いようです。
たとえば、現実には
GIDと、その性交渉の相手になる人とは、
ほとんど同じ種類の精神障害者です。
実際に、その人たちは、
お互いに、簡単に立場が入れ替わります。
GIDだった人が、足を洗い、
性交渉相手だった人が、GIDになるのは、
けっして、珍しくありません。
GIDになる前は、
異性装や同性愛の趣味はない、と言っていたのに、
GIDになると、診断基準の通りの事を、本当に信じて、
性別の違和を訴え、性転換を強く望みます。
こんな現実を、当たり前のように理解できなければ、
GID医療に、口を出せません。
GIDって、診断されてから10年間ぐらいは、
仲間社会での暮らしが、人生の中心になります。
ここに適応できなければ、
GIDと診断されても、一般社会を飛び出すだけで、
野垂れ死にます。
この仲間社会に、
適応できている実態のある人だけが、
GIDと診断されます。
これって、診断基準に載ってないでしょう?
(つづく)
0コメント