10+1web siteの、五十嵐太郎 photo Archives、
渋谷区大山町の、奇麗な坂です。
2010-02-17の、
赤玉土や鹿沼土って、鉢植えや花壇に使うけれど、火山灰みたい。
関東ローム層って、火山によって、鉄の含有量が違うけど、
真っ赤ってのは、めったに見掛けません。
普通の土色に近い褐色が多いけど、
武蔵野は、箱根の火山灰かしら。
赤玉土の中には、ほんとに真っ赤なのがあって、
どこらへんの、地下何mの、何という名前の地層で、
いつ頃の、どの火山の灰なのかしら。
粘土の塊を乾かして、粉砕して、
園芸用土に丁度いい、1㎝ぐらいの粒に篩って、販売します。
使ってると、粒が砕けて、粉になりますから、
水を含んで、上から重みが掛かると、
べちゃっと粘土になって、使い物にならなくなります。
もう一度、乾かして、固い大きな塊を粉砕して、
丁度いい大きさの粒にすれば、いいみたい。
使い古しの、鉢植えの土は、
ウィルスやばい菌が、いっぱい繁殖しているので、
鉄板の上で、まる焼きにして、殺菌すると、
なおよろしいって感じかしら。
鶏糞や牛糞や、腐葉土なんかも、
植物に悪さをする微生物が繁殖しているので、
いったん、蒸し焼きにして、殺菌してから、
もう一度、植物に有用な微生物だけを、
発酵させるように、繁殖させます。
うちの親戚に、馬糞と藁を混ぜて、
肥料を作って、販売していた人がいて、
臭いけど、一部始終の工程を見せてもらいました。
鹿沼土も、群馬県や栃木県あたりなら、
関東ローム層の、火山灰の地層の一つです。
あれは、赤城山なの。
やっぱり、柔らかすぎるのは、粒が小さくなって、
水分を含んで圧縮されると、
大きな粘土の塊になってしまいます。
丁度いい大きさの粒を維持するには、
ある程度の固さが必要ですけれど、
品質のいいのは、ほとんど軽石に近い固さですから、
赤玉土が粘土になって、固まって乾燥して、
岩みたいになったのを、粉砕するのとは、
ちょっと違うでしょう?
軽石に近いから、穴凹だらけです。
関東ローム層は、
新生代第四紀更新世(180万年前~1万年前)の
火山灰ですけれど、
栃木県あたりでは、
新生代第三紀中新世(2000万年前~3000万年前)の火山灰も、
降り積もっています。
土でなく、凝灰岩っていう石になっていますが・・
陸上でなく、海の底に沈んでいた時に、
海底火山の灰が、300mも積もりました。
大谷石って言って、穴凹だらけなんです。
もとは緑色の模様の入っていたところが、
みそって言われる茶色の粘土になると、
抜け落ちて、穴凹になるの。
みそ跡って言います。
みそは、方解石や苦灰石や長石や沸石やモンモリロン石などの、
珪酸塩鉱物のことで、
粘土に多く含まれる鉱物なので、粘土鉱物と言われます。
水を含むと、コロイド状になるの。
モンモリロン石って、トンネル工事の地盤強化や、
製鉄用のコークスを作る時などに、
粘結剤として使われます。
お化粧用のクレンジングパウダーにも使われてるみたい。
フランスの町の名前ですけれど、
地名としてのカタカナ表記は、モンモリヨンが普通?
パリとボルドーの中間ぐらいの、
ポワチエという町の、50㎞東です。
大谷石は、粘土になった部分が抜け落ちて、穴凹になりました。
鹿沼土も、品質の悪いのは、粘土になりますから、
赤玉土と同じで、色が違うだけです。
黄色っぽいと言うか、白っぽいと言うか、
灰色っぽいと言うか・・・
薄色ね。
粘土でもなく、軽石でもなく、
丁度よい固さのものを粉砕して、ころ合いの大きさにします。
穴凹の多いのが、いいみたい。
鹿沼土は、気泡の抜け跡のある軽石ですけれど、
大谷石って、
火山灰が海底に積もった凝灰岩という堆積岩なので、
あの穴は、気泡でないのよ。
人って、土を耕して、雨が降って、種を播いて、
太陽が輝いて、作物を作ります。
木を燃やして、火の風を送って、
土や岩を溶かして、金属を作ります。
火と水と土と風と命と太陽が大切なの。
昔の人が、そう考えたように、
うちの家も、息子や娘を、そういうふうに育てました。
わたしも、ホモサピエンスの躾を、息子や娘や孫に伝えました。
別に宗教でないのよ。
我が家の伝統なの。
統合失調症って、脳や体の器質に、
原因となる何かの、物的証拠が出てきません。
発達障害も、そうなのよ。
結果として、脳が萎縮しますけれど、
健常な人の、個人差の程度しか萎縮しません。
萎縮したところを、顕微鏡で調べても、
病気と言える異常がみつかりません。
統合失調症では、
使わないから萎縮したのではないかと、言われています。
発達障害では、最初から発達不良ではないと言われていますが、
いずれも、健常な人の、個人差の程度ですから、
脳の大きさや重さの違いを、病気と言えるのか、疑問です。
統合失調症は、いったん発達していた能力が、
おもに思春期以後に低下して、人間らしさが退行します。
多くの統合失調症の患者さんには、
幼児期に、何かの能力の不足が確認できますが、
発達障害と言うほどでなく、周囲の人間社会に適応できます。
おもに思春期以後に、それまで無理をして適応していたのが、
たたったかのように、能力が低下しはじめて、
ゴムの力で、幼児期に引っ張り戻されるように、退行します。
御家族の人が、
幼児期の何かの能力の不足に、気づいていないことが、よくあります。
他人の子と比べなければ、なかなか能力の不足に気づきませんから、
御両親が、自分や他人の子を、
よく観察していなかったのかも知れません。
健常な御両親では、たいてい、
統合失調症の患者さんの、乳幼児の頃から、
先行きの慮られる異常のあったことを、よく覚えています。
人格障害でも、性同一性障害でも、拒食症でも、
統合失調症と、事情はほとんど同じです。
発達障害と騒いで、特殊な教育を受けさせたほうが良いかと、
深刻に悩むほどではありませんので、
もしも、この子を発達障害と診断して、薬物療法を勧める医師がいれば、
御両親は、子供の個性を尊重してあげて欲しいと、抗議するでしょう。
発達障害とは言えない軽症の子が、
統合失調症や性同一性障害や拒食症などになります。
でも、重症の統合失調症の患者さんを見れば、
支離滅裂や、寝たきりになったり、
人との応対がぎこちないことから、虐待されたり、
防御するために、被害妄想になり、他害に走ってしまったり、
自殺も、結構多いとわかります。
知能の正常な人では、本人は、おそらく気づいていますが、
気づいていないかのように、記憶を操作していますので、
自覚のないまま、精神症状を出しています。
知ると、悩ましくなり、自殺しかねません。
アルツハイマーは、
脳細胞の変性が、病気の原因として確認されています。
周囲の人は、心理症状として、
最初に、人が変わったような印象を受けます。
良いほうに変わることは、まずありません。
人間が幼稚化して、融通が効かなくなります。
合理的な理由もなく、
単なる幼児の我がままのように、頑固になります。
合理的な理由を考える根気がなくなり、衝動的になります。
いきなり迷信を信じるように、理由もなく咄嗟に判断して、
人が苦情をこぼすと、一生変更不能なほど、頑固になります。
きょうは暑いから、行くのは嫌だと言います。
寒いから、食べるのは嫌だ、食事は要らないと言います。
お天気が良いから、朝まで眠らないと言います。
なぜかと問うても、合理的な答えはありません。
それでも、暑いから行くのが嫌と言えば、
それはそれで、理由の体裁になっています。
なぜ、気候が暑いから温泉に行くのが嫌なのか、
本人にも、わかりません。
せっかく、温泉に来たのに、
露天風呂にも大浴場にも、入らないと言います。
家族が文句を言うと、
死ぬまで自分からは、入浴しなくなったりします。
温泉に入るも、入らないも、本人の勝手ですから、
患者さんを放ったらかして、家族は温泉を楽しみますが、
病状が進んで来ると、何をするかわかりませんので、
そばを離れられなくなります。
理由もなく、衝動的に迷信のように判断して、
頑固に変更不能になり、
物事の中間を調節できなくなり、
極端な判断しか、実行できなくなります。
物事の手順を、頭の中で組み立てることができなくなり、
手先も動作も頭も、不器用になります。
人が変わったように、周囲の人が感じるのは、
病気としての物的証拠をつかめないからで、
こういう状態を人格障害といいますが、
アルツハイマーでは、
やがて見当識や簡単な記憶に、異常が出てきますので、
診断名として、人格障害と言わずに、
アルツハイマーと言います。
融通が効かなくなり、衝動的で頑固になり、
中間を調節できなくなる症状は、
診断後も、ますますひどくなり、
寝たきりになるまで、家族を苦しめます。
寝たきりになっても、
点滴のチューブや針を、引きちぎるかも知れません。
歩き回らなくなるので、安心ですが、
火を使って、火事になることも、
グループホームで、よく起こっています。
統合失調症でも、人格障害が周囲の人を苦しめ、
人によっては、寝たきりになるまで進行しますが、
アルツハイマーのような、
脳の変性という物的証拠は出てきません。
アルツハイマーは10年で死にますが、
統合失調症は、一生もんの病気になります。
統合失調症と人格障害との違いを、
妄想のあるなしに求める人もいますが、
合理的な理由もなく、迷信のように咄嗟に信じて、
衝動的に判断したり、
融通が効かなくなって、変更不能になったりするのを、
どこから、妄想と言い、
どこまでを、間違いや了見違いや、
場合によっては、自由な考え方や生き方や個性と言うかは、
どこに線を引いても、うまく行かないことぐらい、
健常な人なら、すぐにわかります。
統合失調症や性同一性障害などの、
特定の目立つ症状に当てはまらなければ、
診断名は、人格障害のままで、一生、行きますが、
そんな人が受診することは、稀です。
自分が病気であるという病識がありませんし、
強制的に治療することもできません。
お薬もありません。
凶悪犯罪のほとんどは人格障害で、
何度も犯罪を繰り返す人のほとんどが精神障害者です。
はっきりと、人格障害と鑑定されていても、
責任能力は完全であるとされて、
治療法がなく、更生不能なことから、死刑にされる例は、
枚挙に暇がありません。
裁判官は、被告人の確信や哲学が幼稚であると、
はっきりと貶したうえで、死刑を宣告します。
知能検査の結果は正常です。
それなのに、はっきりと幼稚な判断や行動しか出来ません。
本人は、それを正しいと確信していて、
精神医学では、人格障害という診断名の病気であると、
鑑定されています。
知能が正常なのに、本人にはどうしようもなく、幼稚になり、
その幼稚さを確信して、実行してしまう病気です。
人格障害は、性格が少数派というだけではありません。
アルツハイマーのように、脳の器質に病変のある病気と、
統合失調症や発達障害のように、
脳の器質に病変の発見できない病気とで、
同じように人格障害が出て来ます。
アルツハイマーは、明らかに進行しますが、
統合失調症でも、重症の人は、寝たきりまで進行します。
拒食症では、20%が死に至ります。
発達障害が進行するときは、
統合失調症や拒食症や性同一性障害などを発症して、
それらの症状が進行するという形をとります。
発達障害そのものは、進行しません。
統合失調症や拒食症や性同一性障害などの精神症状の、
基礎にある能力の発達不良の部分を、
発達障害と言うことになっています。
いずれも、認知障害の一種として現れますが、
人格障害は適応障害と言うこともできます。
自由な考えや生き方や個性や了見などから、
多数派と異なる性格になったのでなく、
適応する能力が低いために、人間らしさを習得できずに、
人格障害をきたします。
アルツハイマーでは、脳の器質の病変によって、
途中から能力が低下します。
統合失調症や人格障害や性同一性障害や拒食症などでは、
おもに思春期以後に能力が低下したように見えますが、
能力の不足は、乳幼児期からありました。
本人は、それを自覚していながら、
能力の不足から出来ないのでなく、
能力はあるが、自由意志によって、
それをしないと、強がりを言います。
そのことを、裁判は責任能力があると言って、罰します。
人格障害は、アルツハイマーでも統合失調症でも発達障害でも、
同じように出てくることから、
病気の進行を現しているのでなく、
病気の結果として、人間らしさが受けるダメージを言っています。
障害と言うことです。
統合失調症の脳の萎縮のようなもので、
健常な個人差の範囲内であり、
萎縮そのものに病変を確認できませんので、
病気の進行を現しているとは言い難く、
病気の結果を現しているとしか言えません。
人格障害は、それです。
なんらかの病気のせいで、
結果として廃れた人間性を現しています。
廃れた原因は、能力の不足です。
能力の不足の原因は、なんらかの病気や発達不良です。
人格障害は、人間性の残骸です。
けっして少数派の性格ではありません。
自由に選択されたものではなく、
能力の不足から、こうならざるを得なかったものです。
能力を増す方法がなければ、治癒しません。
裁判は、それを責任能力は完全であるとして、死刑にします。
急性期や認知障害の進行した統合失調症のような、
物的証拠のない精神異常を、
心理症状だけから病気として、
けっして処罰しない社会慣習を、
世界に先駆けて築いたのは、日本です。
元禄時代(1688~1703年)には、
すでに、今で言う統合失調症を処罰しない慣習ができていました。
フランス革命は、1789年です。
急性期の統合失調症や子供の死刑がなくなったのは、
欧米では、1900年を過ぎてからです。
1900年では、まだロンドンやニューヨークで、
引ったくりや万引きをした子供の公開処刑が、
町の中で行なわれていました。
ほとんどは、路上で生活する孤児でした。
絞首刑です。
住民は、拍手喝采しました。
日露戦争の頃ですので、日本では考えられませんが、
1960年頃、年寄りのGIDと自称する一人が、
山の町の橋から、被差別部落の子が逆さ吊りにされたのを見て、
駐在所に駆け込みました。
部落の子は助かりましたが、年寄りのGIDはお巡りさんに叱られました。
男の子なのに、女の子のような服装でしたが、そのことでなく、
部落の子と遊んでいたことを、強くたしなめられました。
1960年頃ですと、日本でも、
部落差別を受けている子たちは、ひどく虐められていました。
いったい、何人が虐められて殺されたのか、それとも自殺したのか、
わたしの子供時代を思い出しても、数えられないほど、たくさんいます。
都会では、朝鮮韓国の子が、差別されていました。
物的証拠のない精神の病気では、
たとえば、統合失調症のように、
重症の人は、寝たきりになりますが、
それでも、病識があるとは限りません。
病気でないとされると、御本人は喜びます。
統合失調症の患者さんの多くが、
自分は病気にさせられていると、思い込んでいますが、
その大部分の人は、通院して、お薬をもらって、服薬しています。
お薬を飲まなければ、耐えられないことを、
自分でよく知っていますが、
社会の無理解や陰謀などのために、
精神病にさせられていると思っています。
被毒妄想なども、それです。
他人の悪意のために病気にさせられていますので、
自分は被害者です。
通院して、お薬を飲まなければ、ひどいことになりますが、
自分の精神は健常なのに、
悪意を実行している奴の精神が、病気なのです。
なんとなく、性同一性障害(GID)の人に、似ていませんか。
精神疾患からGIDがはずされると、喜びます。
世間の無理解や、時代遅れの考え方のために、
精神障害にされているだけで、
自分の精神は健常であると、GIDの人は思っています。
それでも、GIDのホルモン剤や手術のために、
健康保険を適用するのが正義と、主張します。
予防医療のようなものですが、
ホルモン剤や手術がなければ、
自分の心がひどいことになるのを、知っています。
寝たきりになる統合失調症の患者さんや、
免疫不全のために亡くなる拒食症の人などのように、
病気の証拠がなくても、はっきりと障害が現れて、
周囲の人の介護がなければ、生きて行けなくなる人や、
特別扱いにしてもらわなければ、生活能力のない人が、
統合失調症の類の病気には、たくさんいます。
GIDでも、特別扱いや介護の必要な人は、
数え切れないほど多数ですので、
特別扱いにする法律があります。
それでも、GIDの人のほうは、自分から手術を受けて、
何カ月も、手術後の養生のために、
自分の体を不自由にします。
診断名がどうなるのか、病気なのか病気でないのか、
障害なのか障害でないのか、
御本人に病識があるのか、ないのか、
そんなのは、どうでもいい場合が少なくありません。
精神の病気の人を、死刑にするか、不起訴にするかは、
社会が一方的に決めます。
そうでなければ、統合失調症の類の病気では、
病識がありませんので、
みなさん、強がりを言い、自分は病気でない、健常であると言って、
自分から死んで行くことになります。
統合失調症や発達障害や認知障害などを、病気の一種とするのは、
放っておけば、自分から死んで行くからです。
体の病気でも、同じでしょう?
癌を放っておけば、癌も身の内ですから、
自分から死んで行くことになります。
病気って、みんなそうなんです。
精神の病気も同じなんですよ。
放置すれば、自分から死んで行きます。
社会が一方的に、
この人は精神の病気なのよって判断してあげて、不起訴にします。
そうでなければ、本人に判断能力はありません。
GIDも病識がありませんから、本人に任せれば、
みんな、自分から死んで行きます。
自律的に生きて行く能力がないのに、
背伸びして早とちりして強がりを言いますから、
みんな、半ば自殺って感じの死にかたになります。
マイケル・ジャクソンの死にかたって、半ば自殺でしょう?
GID医療を実施しているお医者さんにも、
そういう死にかたをする人が、少なくありません。
お医者さん自身が、統合失調症の類の精神障害なんです。
そういう仲間社会を作っていますので、
外からは、まるでオウムのような宗教に見えます。
統合失調症の類の病気って、病識がありませんから、
仲間同士の社会を作ると、みんな、こういう形になります。
GIDだけが特別ってことでなく、
こういう形っていう要件を、
GIDの仲間社会も、ぴったし、耳を揃えています。
集団ヒステリーって言い方をする人もいますが、
電磁波の御祓いをする宗教や、オウムやナチみたいに、
宗教を自称しても、しなくても、似たような仲間になります。
インドに、ポンディシェリっていう、
フランス統治時代の名残をとどめている町があって、
年寄りのGIDの人が、その町のイギリス人の男性と、親しくなると、
彼はこう言いました。
当時のインドは、人口問題と食糧問題のために、
餓死者が続出していました。
豚や牛や鶏も、品種改良をして、
おいしく大量に食べれるようになった。
人間も、今は食べても不味いだろうが、
品種改良すれば、すぐに上等の肉になる。
インド人を品種改良して、缶詰にすれば、
人口問題と食料問題は、一挙に解決する。
人間は賢いので、自分で自分を飼育できる。
食肉用の人間たちは、自分達の社会を作って、
自分たちで、食料を作り、食べて太って、おいしい肉になり、
缶詰になって、人間に食べてもらうことに、
至福の喜びを感じるだろう。
インカの人達も、心臓や内臓を、神に捧げた。
生け贄になるのは、たいへん名誉なことで、
喜びに満ちて、心臓をえぐり取られた。
自分で自分の体や命を捧げて、幸福になる人たちを、
だれが妨げることができるだろうか。
幸福を追求する喜びは、基本的人権に違いない。
だれが、奪い取れるだろうか。
自分達で身の回りを処して、誰にも迷惑を掛けずに、
自分達で肉の缶詰になって、最高の幸福を感じる人達を、
だれも、非難できない。
みんな羨ましく思うだろう。
イギリス人は、そう言いました。
現代日本のGIDは、自分からお肉の缶詰になって、
喜びを感じる人達です。
日本には、欧米やイスラム教国のような、
異性装や同性愛に対する差別がありません。
普通の文化や趣味の一つとして、
自由に流行して、自由に廃れて、自由に禁止されることができます。
日本では、江戸時代から、
ひどい精神障害者を処罰しませんでした。
自分からお肉になるかのように、
自分から生殖機能を捨てるGIDの人達は、
ひどい精神障害者ですが、
自分達は、精神障害でなく、責任能力があると言い、
自分からお肉になる権利を、死守しようとします。
日本のGIDは、諸外国に比べて、
政治や宗教の、強制的な影響が少ないにもかかわらず、
自分から政治のせいにして、宗教に傾いて行く傾向は、
むしろ強いかも知れません。
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