中国建築 0063 戦争と徴兵制と抗生物質と性転換手術と

大阪の鶴見緑地内の、中国庭園を外から見た写真です。
 
うちの父だけでなく、わたしの世代の人は、
父親が徴兵されて、実際に戦地に出征しています。
なかには、志願して下士官になった父親や、
長男だったので、内地の部隊で遊んでいた父親もいます。
 
本土では、戦闘がありませんでしたので、
空襲の敵機に、高射砲を撃ったり、
低空飛行で機銃掃射する敵機に、
機関銃で応戦するぐらいしか、できませんでした。
 
B29のような爆撃機は、高空を飛ぶので、
口をあけて、下から見ているだけだったそうです。
 
シベリアに抑留されていた人や、
南洋やビルマに行った人の話も、よく聞きましたが、
うちの父は、関東軍でしたので、中国の話ばかりでした。
 
わたしの子供時代は、テレビのない時代でしたから、
晩御飯の支度をしている間、父が答え、母が尋ねていました。
わたしも、根掘り葉掘り聞かないと、気が済まない性分でしたので、
父に尋ねると、父と母が一緒に、戦争のことを教えてくれました。
 
テレビが普及すると、男性はプロレスに夢中になりましたので、
わたしは面白くありませんでした。
戦争の体験談のほうが、
プロレスのようなの娯楽よりも、わたしの好みでした。
 
男が堕落すると、
わたしは、精錬所の溶鉱炉を見に行くのが、楽しみでした。
当時、
キューポラのある街という吉永小百合主演の映画が流行していましたが、
わたしは、太陽のない街という徳永直のプロレタリア文学を思い出しました。
 
鉱山や精錬のお仕事は、溶鉱炉が太陽です。
平塚らいてうは、元始、女性は太陽であった、と書きました。
アマテラスよりも、わたしは、フンコロガシやケプリを思いました。
 
溶鉱炉を守る精錬の神様は、
古代インドや古代ギリシャや、中世ヨーロッパや、現代日本に至るまで、
サラマンダーという神様です。
ヨーロッパでは、両生類の中の、イモリの一種の、
ファイアーサラマンダーという名の現生種が、
この化身のように扱われることもあります。
 
平塚らいてうは、わたしは女じゃないって言ったり、
心中未遂の浮き名は、わたしの所有とか、生涯のシステムの貫徹とか、
ちょっとした洒落た言葉や行動に、振り回される女性でした。
わたしは、精錬所で働くおばさん達を真似て、女らしさを学びました。
 
父は釜山に上陸してから、
     香港の手前の珠港河口で終戦を迎えました。
     1年半ほど抑留された後、ようやく舞鶴に復員できたのに、
     その後、半年近くたってから帰宅しました。
     日本全国を旅していたと、言い訳したぐらいですから、
     父が亡くなったあとでも、何人もの隠し子が現れました。
 
     中国での戦闘は、歩くだけだったと、父は言います。
     釜山から香港まで歩き、日本軍の武威を示して、
     占領地をパトロールするのが目的だったようです。
 
     実際には、日本軍が通り過ぎれば、
     内戦中の中国社会に戻りますから、
     行軍に遅れを取ると、日本兵は必ず殺されます。
 
     先頭と最後尾とは、歩いて半日ほどの距離だったそうです。
     これよりも遅れると、孤立して殺されますから、
     先頭を行く部隊の兵士には、半日分の遅れが許されていて、
     最後尾を行く部隊の兵士は、僅かの遅れも許されませんでした。
     後ろを歩く部隊ほど、精鋭部隊ということになります。
 
     父は、いつも自分の部隊に追いついた時には、
     小休止が終わっていたそうです。
     5分か10分程度の遅れでしょうか。
     半日ほどして、追いついて来る戦友もいたと言いますから、
     父の部隊は、新兵ばかりの、一番弱い部隊だったようです。
 
     兵隊たちは、地元の中国人に銃を向けて、
     クーリー(苦力)として徴用しました。
     誘拐と同じです。
     中国人に荷物を運ばせて、日本兵は銃だけを持って歩きます。
     
     何人もの中国人が、走って逃げましたが、撃ち殺されます。
     それでも、次から次へと逃げるので、
     中国人は勇敢だったと、父は感心していました。
     
     じつは、中国のしきたりでは、
     たとえ銃で脅迫されて、日本軍に使役されたとしても、
     敵に協力した中国人は、必ず銃殺されます。
 
     日本兵は、一つの町で銃を向けて、
     荷物運びのために、中国人を駆り立てると、
     次の町で、彼らを解放します。
     解放された中国人は、日本軍のいる目の前で、
     中国の民間人に捕らえられます。
     そして、日本軍が立ち去ると、
     見せしめのために、全員、中国人の手で射殺されます。
 
     この慣習は、おそらく古代中国から、受け継がれているものです。
     現代中国や現代朝鮮や韓国の人の、反日感情の背景に、
     どのような民族の文化的しきたりがあるのか、よくわかります。
 
     日本軍に連行されたクーリーたちは、
     少しでも、逃げやすい状況になると、
     次々に、先を争って逃亡しました。
     ほとんどが日本兵に射殺されたそうです。
     命が惜しくて、逃げられずに生きたとしても、
     次の町で解放されると、中国人の手で殺されます。
     
日本兵の多くは、同性愛の相手として、中国の少年と暮らしました。
それも、終戦後の捕虜になっている時ですので、
日本兵は銃を持っていません。
 
銃で管理する必要のある戦争中には、
性欲の捌け口として、同性愛を実行しようとしても、
勃起や射精が、思うようにならなかったそうです。
いつ殺されても不思議でないような、命の危険がありましたので、
健常な人の多くは、性交渉ができなくなりました。
 
降伏して、武装解除されて、日本軍は収容所の中で暮らしましたが、
毎日、暇で、餓死する一歩手前のように、お腹がすいたそうです。
トカゲでもヘビでも、木の芽でも、
食べられそうな物は、何でも試食しました。 
 
収容所から抜け出すのは、いとも簡単でしたが、
中国軍に見つかれば、処刑されます。
塀も囲いも、何もなかったそうです。
 
父は、収容所を抜け出して、
中国人の家から、しょっちゅう、食べ物を盗んだそうです。
どうせ、日本人は全員、
時が来れば、蒋介石軍によって、銃殺されるものと思っていました。
日本に帰国できても、降伏した日本の兵隊は、
日本政府の手で、処刑されるはずでした。
 
生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず。
それが、日本軍の教育でしたから、
教えられた通りに、兵士たちは信じていました。
グアム島の横井庄一さんや、ルバング島の小野田寛郎さんと同じです。
 
父も、そう信じていましたから、
中国や、朝鮮韓国の人の、社会慣習と、さほど変わりません。
敵に協力すれば、理由にかかわらず、味方の手で殺されるものと、
思い込んでいました。
  
同性愛の相手になった中国の少年たちは、
銃を突きつけられたわけではありません。
捕虜の日本人の従僕のように、性愛によって奉仕しました。
父によると、理由は、食べて行けなかったからです。
生きて行けなかったから、捕虜の日本兵の仲間になったそうです。
 
人数が多いほど、人は安心できます。
同性愛の中国の少年たちは、おそらく、ただの同性愛が趣味の少年でなく、
精神障害のせいで、中国社会に適応できずに、
捕虜の日本人の仲間になったのだと、父は言います。
 
わたしは、インドのヒジュラを思い出しました。
彼らもまた、性別ではなく、社会に適応できない精神障害のせいで、
生まれつきのカーストを、自分から飛び出してしまい、
なれの果てに、同性愛や異性装を習得することによって、
ようやく、ダリットと言われる不可触賎民の社会に、
適応することができました。
 
中国の捕虜になった日本兵の、同性愛の相手をしながら、
日本兵の従僕のように暮らしていた少年たちは、
日本兵が処刑されずに、故国に帰国できることになった時に、
一緒に日本に連れて帰って欲しいと、日本兵に泣いて頼んだそうです。
置き去りにされると、蒋介石に殺されると訴えました。
日本兵のほうも、帰国すると軍法会議にかけられて、
処刑されると思っていました。
 
     性転換手術は、
     抗生物質が薬剤として普及した1940年代の初め頃から、
     ヨーロッパで行なわれるようになりました。
     それまでは、外科手術に化膿が避けられませんでしたので、
     体の内部の手術は、虫垂炎でさえ、命懸けでした。
     
     抗生物質の実用化により、
     体の内部の外科手術が容易になりました。
     戦争中ですから、
     現場の判断による大胆な外科手術が、少なくありません。
     性器の損傷も、その他の部位と平等に起こりましたから、
     性器の形成術が、飛躍的に発達しました。
 
     戦争で築かれた技術が、
     戦後は半陰陽の治療に応用されましたが、
     近代的な国家では、日本だけが、現在に至るまで、
     男子皆兵の徴兵制度のない国でした。
     
     男子皆兵の徴兵制があると、性転換はたいへん厄介になります。
     実際に戦争が行なわれて、
     徴兵された一般市民が戦場に送り込まれていると、
     性転換手術を受けたほうが、得ではないかという計算が、
     必ず性転換を希望する理由になります。
 
     第二次世界大戦後のフランスやアメリカでは、実際に起こりました。
     フランスはディエンビエンフーで敗れるまで、
     一般市民がベトナムの戦場で戦っていました。
     ベトナム戦争を引き継いだアメリカもまた、朝鮮戦争に引き続いて、
     男子皆兵の徴兵制によって、戦場を維持していましたので、
     たくさんの一般市民の青年男子が、
     戦場から身体障害者になって帰って来ました。
 
     日本でも、わたしと同世代の、年寄りのGIDと言われる人達は、
     再び日本が戦争するのでないかという見通しと、
     性ホルモン剤の使用や去勢手術とが、
     お見合いになっていた時代に、
     いち早く、当分は日本に戦争はないと判断して、
     男性器の形成手術に踏み切りました。
 
     まだアメリカはベトナムで戦争をしていて、
     ソ連とアメリカは、ベトナムの代理戦争を経て、
     冷戦の真っ直中でした。
     彼女らは、ソ連に占領されていたエストニアで手術を受けましたが、
     国際共産主義運動という仰々しい建前の、
     ソ連共産党のコーディネートする医療でした。
 
     ソ連国内は、
     政治犯がシベリアの収容所に送られる時代でしたので、
     ソ連政府にコネクションのない御本人たちには、
     共産主義のスパイになるつもりの覚悟が必要でした。
 
     戦争や徴兵制などの、
     当時のイデオロギーや政治体制の、根幹を支える権力の行使と、
     性転換とが、切り離せない関係にありました。
     
     当時の日本では、新左翼の運動が花盛りでしたが、
     フランスやアメリカの大学生のすることを、
     日本の大学生が真似ました。
     
     フランスやアメリカと違い、
     現実の戦争や徴兵制のない日本の青年が、
     フランスやアメリカの青年と、同じ思いを懐いているとは、
     わたしには、到底、思えませんでした。
 
     実際に徴兵されて、強制的に戦場に送り込まれる運命にあり、
     いま、まさに命の瀬戸際に追い詰められている青年たちと、
     有閑マダムのような日本の青年たちとが、
     同じのはずがありません。
     命と死とが違うほど、正反対の気持ちでしたが、
     日本の青年たちには、その違いがわかりませんでした。
     自分たちの気持ちは、フランスやアメリカの青年と、
     同じと思っていました。
 
     時と共に、日本の青年たちにも、
     ベトナム戦争の実態が伝わるようになりました。
     健常な青年たちは、
     自分たちの間違いを理解するようになりました。
     東京大学の安田講堂が陥落すると、
     潮が引くように、新左翼の学生運動は、消えてなくなりました。
 
     それでも、いつまでも
     新左翼の運動にしがみつこうとした人達がいて、
     過激派と呼ばれました。
     そのほとんどは、精神障害者でした。
     多くが男の子なのに、女の子のように、
     性別の逆転したデザインや素材や色などの服装を好み、   
     女の子なのに、男の子のように粗暴な事を好み、
     清潔を心掛けなくなり、怒りやすく攻撃的になりました。
 
日本には、欧米やイスラム教国のような、
異性装や同性愛の宗教的な差別がありません。
欧米の性別を自由化する運動は、
宗教的なタブーを撤廃する運動に連結しています。
 
日本では、異性装や同性愛は自由にきまっていますので、
たんなる文化や趣味が、
流行するか、流行しないかの問題にすぎません。
流行すれば、法的に支援されますが、
嫌われれば、法的に禁止されるかも知れません。
流行する文化や趣味は、何ごとにつけても、いつもそうです。
支持されれば、国是となり、
支持されなければ、法律によって禁止されます。
 
日本では、異性装も同性愛も、
一般的な文化や趣味の、流行り廃りと同じように、自由です。
欧米やイスラム教国では、違います。
文化や趣味や法律を超えて、
神の名において、禁止され、差別され、虐待されます。
欧米の性転換運動は、それを解放しようとして来ました。
日本には必要ありません。
 
日本とは、まったく事情が異なるにもかかわらず、
日本の性転換運動を声高に叫ぶ人達には、
欧米が文化的にも政治的にも、性転換の先進国で、
日本は後進国のように見えています。
 
この認識は、奇麗に逆立ちしています。
かつて、徴兵制も戦争もない日本の青年たちが、
フランスやアメリカの青年たちの政治運動を真似たように、病的です。
     
かつての、日本の過激派と言われた青年たちは、
日本が、フランスやアメリカと手を組んで、
戦争をしているのかのように、思い込んでいました。
フランスやアメリカの青年たちが先進的で、日本は後進国でした。
 
平和な日本にいながら、
徴兵されて戦場に引き立てられるアメリカの青年のように、
日本の過激派の青年たちは、
命の瀬戸際に立たされているうような、危機感を感じていました。
     
いまの、日本の性別や性転換の、
自由化や解放運動に躍起になっているGIDの人達もまた、
性転換は戦争だと、たびたび言います。
その人の心の中に、戦争のような混乱と危機感があります。
よく話し合ってみると、その人達の性別の違和感や、性転換の望みは、
ある種の精神の病気に特徴的な、理由のない不安が原因と、わかります。
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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