読む人なんて、いないと思っていたから、
わたしの心の中を、言葉に纏める練習にしていました。
このブログ。
患者さんや、御家族の人に、尋ねられるんです。
やさしく、ていねいに答えるって、すごく難しいのよ。
学術用語や、論文は、ダメ。
患者さんは、専門家でないもの。
もの凄く出来の悪い高校の、ケツッペタの成績だったとかね。
それでも、素晴らしいんですよ。
どんな人にも、だれにも劣らない、素敵な人間らしさがあります。
それさえあれば、生きて行けたら、いいのにね。
わたしに、それができれば、幸せです。
どこのお母さんにも、健康な赤ちゃんが生まれるように、祈っています。
こういう気持ちって、
子供を救うために、自分の命を捨てる親の気持ちと、同じなんですよ。
今にも電車に轢かれそうな我が子を見て、じっとしていられますか。
踏み切りの遮断機をくぐり抜けて、
親御さんも一緒に、轢かれて死んでしまうでしょう?
本能なんですけど、
自分一人で生きる本能とは、違います。
自分の命を捨てて、子供を救う気持ちって、
子供の代わりに、見ず知らずの他人になったり、不特定多数の社会になったりします。
知らない人や、社会のために、自分の命を捧げる本能のほうが、
自分の命を守る本能よりも、強いのですよ。
社会は、こういう、ありきたりの普通の人たちの気持ちによって、成り立っています。
精神障害になる人って、それが信じられずに、病気になります。
でも、どうして、わからないのかって考えても、
これは本能だから、生まれつきに発達していないとしか、言いようがありません。
発達障害の人だけでなく、統合失調症の患者さんも、
この本能については、思春期以後に退行したのでなく、
発達障害の人と同じように、最初から発達が未熟です。
自分の命を捨ててまで、子供の命を救う本能って、
どこかの知らないお母さんにも、健康な赤ちゃんが恵まれますようにって、
心から願う気持ちと同じです。
だって、世界中のどこかのお母さんに、
先天的に障害のある赤ちゃんが生まれるのを、
想像しただけでも、心が傷みます。
どんなお母さんにも、健康な赤ちゃんが授かって欲しいって、
ほんとうに、祈るような気持ちになるでしょう?
現実は、一定の割合で、必ず先天的な障害を持つ赤ちゃんが生まれます。
事前に、どうにもならないものは、仕方ありません。
それでも、赤ちゃんを産んで育てる喜びって、
ちょっとした性交渉の成り行きかしら、
コンドームを付けなかったから、生まれてしまっただけかしら。
赤ちゃんを生んで育てないと、ライフサイクルが壊れるんです。
こっちのほうが、先天的な障害児を育てる苦労よりも、恐いのですよ。
生殖を拒否する精神障害者には、この恐さがわかりません。
だから、この恐さを、
刃物のように、他人に突きつけて生きている自分を、自覚できません。
精神障害って、ややこしいことになりそうな・・
そういう予感がしません?
性同一性障害の人を見ると、はっきりと認知障害がわかります。
普通の公立中学校で、
学業成績が、クラスの最下位から2番目とか、3番目とかの、
劣等生の子がいるでしょう?
でも、健康な子ね。劣等生でも、精神は健常。
性同一性障害の患者さんでも、一流大学の医学部出身の人がいます。
わたしには、どうしても、
健康な中学生の劣等生のほうが、
一流の医学部出身の性同一性障害の患者さんよりも、
認知能力が、格段に優れているように見えます。
比べるべくもないほど、
性同一性障害の患者さんの認知能力は、低い。
目の見えない人を見るように、間違いなく病気とわかります。
認知には、知能検査に現れる機能のほかに、さまざまな機能があり、
性同一性障害では、認知の歪みや、性格の偏り(人格障害)や、
記憶の意図的な不正(ヒステリー)などと言われるような、
認知機能の低下が現れます。
定義を変換する能力は維持されるけど、
心の中だけの、好き嫌いをいじくるのと同じなので、
アインシュタインの相対性理論や、
服飾専門学校のファッションショーのようなものかしら。
特に、MtFの性同一性障害の人は、その能力が優秀です。
でも、客観的事実を知る能力が、著しく低下するの。
他人や社会とのコミュニケーションを拒否すると、
客観的事実を見失い、自己同一性が希薄になるでしょう?
だって、客観なんて、
他人や社会とのコミュニケーションがなければ、あり得ないもの。
解離して、性的な気持良さをむさぼり、
好き嫌いという自由な定義を、さまざまに変換しても、
みんなの事実を許容できなければ、生きて行けるわけがない。
定義って、自由でしょう?
でも、誰が見ても同じように見えるっていう事実の客観性は、
自然の普遍性に由来しているのよ。
自然って、人の目には、いつも驚異なので、
自然の普遍性って、自然の特殊性と、ほとんど同じ意味かしら。
人は必然っていう考え方を作りましたけど、
これは、自己同一性と、おんなじみたい。
必然性って、自我機能なんです。
因果関係とかって、言いますけど、
自我機能は、自己同一性にしても、意志にしても、
物事の認識や行動の仕方に、時間を取り入れたでしょう?
人間の画期的な賢さみたいに、
自我って言って、自画自賛してるけど。
そういう約束事にしたのね、人間同士の。
社会のコミュニケーションを、円滑にするための約束事。
情報交換や、意志疎通のための、共通の様式。
つまり、生殖を制御したってことよ、時間を使って。
生殖の約束事って、社会のコミュニケーションの仕方そのものだけど、
生殖のための、コミュニケーションのしきたりに、時間を使ったの。
時間によって、物事を認識して実行する方法が、
社会の共通の文化になりました。
自己同一性と、客観的事実によって、
コミュニケーションして、生殖するのよ。
人間の自我機能には、もう一つ、自他の識別を、
精神の免疫のように機能させる特徴があります
白血球のような役割。
なんか、思いつくままに書いたけど、
自我障害について、ヤスパースの説を準っちゃいました。
自我障害の言い出しっぺは、彼だから、当然かしら。
知能検査に現れない認知機能の障害から、
性同一性障害や統合失調症の症状を、認知障害と見るには、
認知の仕組みと、自我の仕組みを、理解する必要があります。
でも、認知も自我も、
物的証拠が出にくくて、文学や形而上学になりやすいの。
精神障害者をたくさん見ていると、
性同一性障害の人の訴える性別の症状って、
認知障害ってことが、一目瞭然なんだけど、
たくさん見た経験がなければ、文学や形而上学になりかねません。
だから、四苦八苦しているの。
性同一性障害の性別の症状を、認知障害として、
自我障害と一味同然ってことを、説明できればいいんだけど。
週末にワインを飲まないとあかんみたいで、ごめんなさい。
お布団に座ったままで、まだ半分眠っています。
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