表参道 0045 二日酔いなのです

 
読む人なんて、いないと思っていたから、
わたしの心の中を、言葉に纏める練習にしていました。
このブログ。
 
患者さんや、御家族の人に、尋ねられるんです。
やさしく、ていねいに答えるって、すごく難しいのよ。
 
学術用語や、論文は、ダメ。
患者さんは、専門家でないもの。
 
もの凄く出来の悪い高校の、ケツッペタの成績だったとかね。
それでも、素晴らしいんですよ。
どんな人にも、だれにも劣らない、素敵な人間らしさがあります。
それさえあれば、生きて行けたら、いいのにね。
わたしに、それができれば、幸せです。
 
どこのお母さんにも、健康な赤ちゃんが生まれるように、祈っています。
こういう気持ちって、
子供を救うために、自分の命を捨てる親の気持ちと、同じなんですよ。
今にも電車に轢かれそうな我が子を見て、じっとしていられますか。
踏み切りの遮断機をくぐり抜けて、
親御さんも一緒に、轢かれて死んでしまうでしょう?
 
本能なんですけど、
自分一人で生きる本能とは、違います。
自分の命を捨てて、子供を救う気持ちって、
子供の代わりに、見ず知らずの他人になったり、不特定多数の社会になったりします。
知らない人や、社会のために、自分の命を捧げる本能のほうが、
自分の命を守る本能よりも、強いのですよ。
 
社会は、こういう、ありきたりの普通の人たちの気持ちによって、成り立っています。
精神障害になる人って、それが信じられずに、病気になります。
 
でも、どうして、わからないのかって考えても、
これは本能だから、生まれつきに発達していないとしか、言いようがありません。
発達障害の人だけでなく、統合失調症の患者さんも、
この本能については、思春期以後に退行したのでなく、
発達障害の人と同じように、最初から発達が未熟です。
 
自分の命を捨ててまで、子供の命を救う本能って、
どこかの知らないお母さんにも、健康な赤ちゃんが恵まれますようにって、
心から願う気持ちと同じです。
 
だって、世界中のどこかのお母さんに、
先天的に障害のある赤ちゃんが生まれるのを、
想像しただけでも、心が傷みます。
どんなお母さんにも、健康な赤ちゃんが授かって欲しいって、
ほんとうに、祈るような気持ちになるでしょう?
 
現実は、一定の割合で、必ず先天的な障害を持つ赤ちゃんが生まれます。
事前に、どうにもならないものは、仕方ありません。
それでも、赤ちゃんを産んで育てる喜びって、
ちょっとした性交渉の成り行きかしら、
コンドームを付けなかったから、生まれてしまっただけかしら。
 
赤ちゃんを生んで育てないと、ライフサイクルが壊れるんです。
こっちのほうが、先天的な障害児を育てる苦労よりも、恐いのですよ。
生殖を拒否する精神障害者には、この恐さがわかりません。
だから、この恐さを、
刃物のように、他人に突きつけて生きている自分を、自覚できません。
 
精神障害って、ややこしいことになりそうな・・
そういう予感がしません?
 
     性同一性障害の人を見ると、はっきりと認知障害がわかります。
     普通の公立中学校で、
     学業成績が、クラスの最下位から2番目とか、3番目とかの、
     劣等生の子がいるでしょう?
     でも、健康な子ね。劣等生でも、精神は健常。
 
     性同一性障害の患者さんでも、一流大学の医学部出身の人がいます。
     わたしには、どうしても、
     健康な中学生の劣等生のほうが、
     一流の医学部出身の性同一性障害の患者さんよりも、
     認知能力が、格段に優れているように見えます。
 
     比べるべくもないほど、
     性同一性障害の患者さんの認知能力は、低い。
     目の見えない人を見るように、間違いなく病気とわかります。
 
     認知には、知能検査に現れる機能のほかに、さまざまな機能があり、
     性同一性障害では、認知の歪みや、性格の偏り(人格障害)や、
     記憶の意図的な不正(ヒステリー)などと言われるような、
     認知機能の低下が現れます。
     
     定義を変換する能力は維持されるけど、
     心の中だけの、好き嫌いをいじくるのと同じなので、
     アインシュタインの相対性理論や、
     服飾専門学校のファッションショーのようなものかしら。
     特に、MtFの性同一性障害の人は、その能力が優秀です。
 
     でも、客観的事実を知る能力が、著しく低下するの。
     他人や社会とのコミュニケーションを拒否すると、
     客観的事実を見失い、自己同一性が希薄になるでしょう?
     だって、客観なんて、
     他人や社会とのコミュニケーションがなければ、あり得ないもの。
     
     解離して、性的な気持良さをむさぼり、
     好き嫌いという自由な定義を、さまざまに変換しても、
     みんなの事実を許容できなければ、生きて行けるわけがない。
     定義って、自由でしょう?
     でも、誰が見ても同じように見えるっていう事実の客観性は、
     自然の普遍性に由来しているのよ。
 
     自然って、人の目には、いつも驚異なので、
     自然の普遍性って、自然の特殊性と、ほとんど同じ意味かしら。
     人は必然っていう考え方を作りましたけど、
     これは、自己同一性と、おんなじみたい。
 
     必然性って、自我機能なんです。
     因果関係とかって、言いますけど、
     自我機能は、自己同一性にしても、意志にしても、
     物事の認識や行動の仕方に、時間を取り入れたでしょう?
     人間の画期的な賢さみたいに、
     自我って言って、自画自賛してるけど。
 
     そういう約束事にしたのね、人間同士の。
     社会のコミュニケーションを、円滑にするための約束事。
     情報交換や、意志疎通のための、共通の様式。
 
     つまり、生殖を制御したってことよ、時間を使って。
     生殖の約束事って、社会のコミュニケーションの仕方そのものだけど、
     生殖のための、コミュニケーションのしきたりに、時間を使ったの。
     時間によって、物事を認識して実行する方法が、
     社会の共通の文化になりました。
     自己同一性と、客観的事実によって、
     コミュニケーションして、生殖するのよ。
 
     人間の自我機能には、もう一つ、自他の識別を、
     精神の免疫のように機能させる特徴があります
     白血球のような役割。
     なんか、思いつくままに書いたけど、
     自我障害について、ヤスパースの説を準っちゃいました。
     自我障害の言い出しっぺは、彼だから、当然かしら。
 
     知能検査に現れない認知機能の障害から、
     性同一性障害や統合失調症の症状を、認知障害と見るには、
     認知の仕組みと、自我の仕組みを、理解する必要があります。
     でも、認知も自我も、
     物的証拠が出にくくて、文学や形而上学になりやすいの。
 
     精神障害者をたくさん見ていると、
     性同一性障害の人の訴える性別の症状って、
     認知障害ってことが、一目瞭然なんだけど、
     たくさん見た経験がなければ、文学や形而上学になりかねません。
     だから、四苦八苦しているの。
 
     性同一性障害の性別の症状を、認知障害として、
     自我障害と一味同然ってことを、説明できればいいんだけど。
     週末にワインを飲まないとあかんみたいで、ごめんなさい。
     お布団に座ったままで、まだ半分眠っています。

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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